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山間に広がる棚田の景観は、日本の風景のシンボルであり、その美しが心に響いてくる。先人はこの景観を作り上げるために、またこれを維持するために、どれほどの血と汗の努力を費やしてきたであろうか。想像の範囲を大きく超えている。棚田の上流には、この田を潤すための用水池が設けられ、その管理をめぐる人々の水争いも、数多く言い伝えられている。
越後国上山の五合庵に住み、近在を托鉢していた良寛は、通りすがりの山田の風景に触れていた。8月の酷暑の月ともなると、田を守る農夫の姿に、感謝の念を抱かずにはいられなかった。
あしびきの山田の爺がひねもすに
いゆきかえらひ水運ぶ見ゆ 良寛
上り下りの大変な山の田圃で働く爺さまのさまが、天秤で水桶を運んで行ったり来たり、一日中干上がった田に水を運んでいる姿がここから見えるよ、というほどの歌意であるが、国上の山を登り降りしている良寛にも爺さまの大変さが痛いほどに分かる。農夫の苦労は何も、夏に限ったことではない。春の田の水張りから田植え、草取り、そして毎日の水の管理。平地には必要のない作業が棚田には数多くある。それは山村に住む人々の、食に対する執念と言ってもいいであろう。疫病も熱中症も、今とは比べものにならないほど、死にを伴って襲ってきた。加えて、飢饉。冷夏で農作物が採れずどれほどの命が失われたか。
棚田の風景を目にするたびに、ここで流され来た先人たちの汗が目に浮かぶ。今を生きる自分に、「へこたれるなよ」と叱咤する声が、耳もとに響いてくる。明日の那須岳の天気は、悪化するののが一日延びたようだ。登山指数は今朝、「A」に変更になった。
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