晴天が続いて月山がきれいに見える。こんなにきれいな月山がみえるのは、この季節だけではないか。空気が澄み、雪もしっかりと残っている季節ゆえにこんな月山をみることができる。どなたかが、月山に春を感じるのは、3月になってから、というのを聞いたことがある。次第に太陽の位置が高くなり、積もった雪をまんべんなく照らすようになる。積もった雪が丸みを帯びてくるというのだ。それほど、詳しく観察したことはないが、数日前から見えている月山はどことなく穏やかな感じがする。
日本海から海上を渡ってくる風はたっぷりと水分を含み、厳冬期にはこの山に雪をもたらす。10mを越す積雪があり、大雪城のあたりでは、真夏になっても雪が消えない。麓でこの秀麗な姿を、人々はどんな気持ちで見ているのだろうか。山に対する思いは、当然、時代によっても異なる。
明治29年は、斎藤茂吉が15歳になった年である。初詣と称して、湯殿山に登るのが、15歳の一人前の証であった。上山から本道寺まで、歩き通して1泊。2日目は志津で先達を頼み、谿を越えて湯殿山へ。そこで風と雨の洗礼を受けて、湯殿山神社に詣でる。危険なことを身に受けて、そこを越えて成人していく。それがこの時代のイニシエーションであった。後年、茂吉は弟と甥と連れ立って、初詣の道を経て月山に登っている。
さ霧たつ月読の山のいただきに神ををろがむ草鞋をぬぎ手 茂吉
茂吉は長男を連れて、湯殿山へも詣でている。人に生きることを教える信仰の山、それが月山であった。
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