今日、24節季の霜降。朝は気温が下がったが、霜降に似合わない暖かさだ。悠創の丘に、秋を求めた。悠創館で用を足したあと、裏の道から吊り橋を二つ渡ると、20分コースと標識のある遊歩道がある。階段のある急坂をのぼると、たおやかな斜面に芝生が張られた広場に出る。背の高いポプラの樹が聳え、秋の空の高さを強調している。ポプラの葉は少し、色づき始めた。この樹のみごとな紅葉の時期に、もう一度来たいと思った。芝生の草紅葉や、カエデがやっと色づき始めたばかりだ。広場の奥に、若い女性が犬を遊ばせている。犬も気持ちがいいのか、膝のそばでおとなしく日光浴をしている。ほかに、広場を散策する人が、一組、また一組、秋晴れの陽を楽しんでいる。
トレッキングポールを持参した。この丘の広場で、ポール使いを習熟のためである。80歳の壁を越えて、衰えてきた脚力を何とかカバーできないか、という淡い期待だ。脚力の衰えは、バランスが取りにくい筋肉になっている。ポールはバランスを取るための心強い補助具だ。登りでは坂を登る推進力とバランス。下ではブレーキとバランス。急な下りで、恐怖感がなくなるのはこのバランスを補助してくれるためである。ポールに力をかけるのではなく、補助として使う。手皮を上手に使うことも大事になってくる。
広場のあずま屋の奥に、木立がある。そこから小高い山の上の青空に積乱雲が見えている。夏の雲だ。陽ざしが強いだけに、夏の名残りのようだ。木陰に入ると急に肌寒くなる。ふと、熊が出てきそうな気分になる。秋田では熊の被害が甚大だ。襲われ怪我をした人が50人以上、果実などの食害も大きい。小屋に入った3頭の熊を駆除したところ、市役所に抗議の電話が殺到したらしい。電話の応対で役所の仕事ができないと、秋田知事が語っていた。内容は、「熊を殺すの可哀そう」ということらしい。人命が危険にさらされているなかで、こうした電話に悩まされては、泣き面に蜂ということだ。熊の被害は、人間の活動による自然破壊と無関係ではない。温暖化のせいで、農業も野生動物の生態系も大きく崩れている。ただ、熊を駆除するのが可哀そうという発想では、問題の解決にはほど遠い。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます