福島の伊達町にある霊山は825mの低山であるが、多くの奇形の岩峰を持つ名山である。登山家の岩崎元郎は『新日本百名山』に、この霊山を選び、「山容はもちろん、たどる山道にも気品がある。歴史もある。」と紹介している。その歴史の一端は、この山が慈覚大師が修験の地ととして貞観元年(859)に開山された。私の住む山寺立石寺と縁の深い信仰の山ということになる。さらに、室町の南北朝時代には、南朝の北畠顕家が義良親王を擁して、霊山城を築き、北朝との戦闘が繰り広げられた。今日行く最高部はこの城跡になっている。頂上の東物見岩は、この城を守護する部隊がこの岩から敵の動向を見ていたであろう。南朝はこの戦いに敗れて落城する。
山道の途中にある天狗の相撲場に立つ。眼下に霊山の奇峰の下に渓流が下るのが見え、その先に吾妻連峰の山々が美しく見えている。慈覚大師といえば、比叡山で千日回峰を始めた僧である。その開基によるこの霊山でも、僧たちは山中に籠り、峰々を巡り修行を続けたであろう。この奇峰の一つ一つに神々が宿っていることを確信したであろう。
山道を護摩壇入口にとる。まさに修行僧たちの回峰の道である。雪融け水のしたたりは、朝の寒気に太い氷柱となって垂れている。左手は切れ落ちて深い沢になっている。親不知子不知の道があり、親子で通るにも手をつなぐことができず、ここで足もとを踏み違えれば、もとより親子は生死を境にすることになる。この地は3.11で原子炉のメルトダウンにより、放射能が飛散した飯館村に隣接している。この春には、飯館村の大半が避難指示が解除されるが、なお避難困難地域をかかえ、まだまだこの問題の解決には長い道のりが残っている。この山の付近にも、除染したものと見られるシートに包まれたものがまだ山積みされている。霊山の神々は、人の営みをどのように見ているのだろうか。
護摩壇に至る道は、足もとが狭いトラバースであり、頭上には岩がせり出して覆うようになっている。そのため歩行は、頭を下げながら、足もとを気遣う困難を伴う。うっかりすると、硬い岩に頭をぶつけかねない。胎内くぐりのようになっている岩の穴の先に護摩壇の看板が見える。修行の僧たちが護摩を焚き、読経をした場所なのだろうが、それらしき遺構があるわけではない。護摩壇を設えて火を付け、そこえ供物や護摩木を投げ入れて、読経する。息災法と呼ばれ、干ばつ、強風、洪水、地震、火事など避ける祈りである。あるいは攻め込んでくる敵を調伏し、戦勝を祈ることもされたのかも知れない。
本日の圧巻は甲山からの眺望であった。青空に浮かぶ吾妻連峰や安達太良の山々がまじかにくっきりと見えた。本日の参加者8名、内女性5名。山中の歩行距離6㌔、歩数8900歩。登山口10時、下山2時。紅彩館の温泉で汗を流す。入浴料400円。