常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

信仰の山 霊山

2017年03月26日 | 登山


福島の伊達町にある霊山は825mの低山であるが、多くの奇形の岩峰を持つ名山である。登山家の岩崎元郎は『新日本百名山』に、この霊山を選び、「山容はもちろん、たどる山道にも気品がある。歴史もある。」と紹介している。その歴史の一端は、この山が慈覚大師が修験の地ととして貞観元年(859)に開山された。私の住む山寺立石寺と縁の深い信仰の山ということになる。さらに、室町の南北朝時代には、南朝の北畠顕家が義良親王を擁して、霊山城を築き、北朝との戦闘が繰り広げられた。今日行く最高部はこの城跡になっている。頂上の東物見岩は、この城を守護する部隊がこの岩から敵の動向を見ていたであろう。南朝はこの戦いに敗れて落城する。



山道の途中にある天狗の相撲場に立つ。眼下に霊山の奇峰の下に渓流が下るのが見え、その先に吾妻連峰の山々が美しく見えている。慈覚大師といえば、比叡山で千日回峰を始めた僧である。その開基によるこの霊山でも、僧たちは山中に籠り、峰々を巡り修行を続けたであろう。この奇峰の一つ一つに神々が宿っていることを確信したであろう。



山道を護摩壇入口にとる。まさに修行僧たちの回峰の道である。雪融け水のしたたりは、朝の寒気に太い氷柱となって垂れている。左手は切れ落ちて深い沢になっている。親不知子不知の道があり、親子で通るにも手をつなぐことができず、ここで足もとを踏み違えれば、もとより親子は生死を境にすることになる。この地は3.11で原子炉のメルトダウンにより、放射能が飛散した飯館村に隣接している。この春には、飯館村の大半が避難指示が解除されるが、なお避難困難地域をかかえ、まだまだこの問題の解決には長い道のりが残っている。この山の付近にも、除染したものと見られるシートに包まれたものがまだ山積みされている。霊山の神々は、人の営みをどのように見ているのだろうか。



護摩壇に至る道は、足もとが狭いトラバースであり、頭上には岩がせり出して覆うようになっている。そのため歩行は、頭を下げながら、足もとを気遣う困難を伴う。うっかりすると、硬い岩に頭をぶつけかねない。胎内くぐりのようになっている岩の穴の先に護摩壇の看板が見える。修行の僧たちが護摩を焚き、読経をした場所なのだろうが、それらしき遺構があるわけではない。護摩壇を設えて火を付け、そこえ供物や護摩木を投げ入れて、読経する。息災法と呼ばれ、干ばつ、強風、洪水、地震、火事など避ける祈りである。あるいは攻め込んでくる敵を調伏し、戦勝を祈ることもされたのかも知れない。



本日の圧巻は甲山からの眺望であった。青空に浮かぶ吾妻連峰や安達太良の山々がまじかにくっきりと見えた。本日の参加者8名、内女性5名。山中の歩行距離6㌔、歩数8900歩。登山口10時、下山2時。紅彩館の温泉で汗を流す。入浴料400円。

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霊山へ

2017年03月24日 | 登山


明日、福島県の霊山に登る。貞観元年に修験道の霊山寺が開山、東北の天台宗の拠点となった。山の特徴として多くの奇岩が散在し、修験道の修行の山であった。宝寿岩、日暮岩、弁天岩などの名がつけられて岩のほか、南北朝時代には霊山城が築かれ、物見岩もある。登山というよりは、史跡を訪ねる山旅である。登山の記録は帰宅してから書く。
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踏青

2017年03月23日 | 日記


東京で桜の開花が宣言された。こちらの朝はまだ寒い。散歩コースの紅梅は花の数を増やしている。野山に草が萌えると、ハイキングや野遊びに出かける人も増えてくる。中国では、野遊びを踏青(とうせい)と言った。なかなか洒落た言葉である。孟浩然の詩に

大堤行楽の処、車馬相い馳突す
歳々春草生じ、踏青両三日

貴公子たちは、車馬を駆って行楽地へと繰り出す。妓女を伴い、また手を携えて、花の咲くのを愛でる。この言葉が日本に伝わって俳句の季語となった。心地よい春の野に出て遊びには、若いカップルの恋も芽生える。

踏青やこころまどへる恋二つ 日野 草城
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青春懐古

2017年03月22日 | 日記


啄木の歌集を開くと、学生時代を懐古する甘酸っぱい青春の歌に心を打たれる。啄木にとって学生時代ほど夢と希望に胸をふくらませた時代はなかった。友と友情を育み、淡い初恋に心を震わせた。盛岡中学校では学業に打ち込み、成績もよく、先輩の影響で文学への関心を高めて行った。

不来方のお城の草に寝ころびて
空に吸われし
十五の心

不来方はこずかたと読む。不来方城は南部二十万石の居城で、今は岩手公園になっている。この空を見上げながら、15歳の啄木はどんなことを思ったのであろうか。空に吸いこまれて行く少年の心は、友との友情も、初恋の思いもいつしか消えていき、ただ無心で空の青さに見入っていたのではないか。

わが恋を
はじめて友にうち明けし夜のことなど
思ひ出づる日

啄木の初恋の人は啄木が下宿していたほど近くの堀合家の長女節子であった。節子は女学校に通っていたが、堀合家に啄木の同級生が住んでいたので、自然の成り行きで親しくなって行った。バイオリンを弾く才媛で、歌を詠む啄木の才能に惹かれ、二人は恋文を交し、恋を語り合った。同級生の証言によると、啄木との恋におちた節子はみるみると、見違えるほど美しくなったという。後年啄木は節子と結婚する。

選抜高校野球に不来方高校が出場していた。啄木の後輩たちが、この城の名を背負い、甲子園ではつらつとプレーした。強豪静岡に敗れるも、不来方の名を全国に知らしめた。
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絶版文庫

2017年03月21日 | 読書


雨、孫たちが帰って読書の日。本棚の隅に一冊の本がある。岩男淳一郎『絶版文庫発掘ノート』、読書の面白さを教えてくれた一冊である。この本が出版されたのは1983年、この年代は出版の世界が売れる本への傾斜が進み、古典と言われた岩波文庫などで名作としてあった作品が次々と書店から姿を消していく際立った現象が起きていた。その傾向は、もとに戻ることはなく、かっての青年の血を躍らせた文庫本が入手できなない状況は今も変わらない。著者は古書店へ足しげく通い、古書価が数千円する絶版文庫の名作を30円で見つけた喜びが綴られている。副題に、「失われた名作を求めて」のフレーズが掲げられ、単なる稀覯本ではなく、名作の目利きとしても貴重な存在である。

この本に刺激されて求めた本も少なくない。薄田泣菫『茶話』、プルースト『失われた時を求めて』、高田保『ぶらり瓢箪』、ギッシング『蜘蛛の巣の家』、森田たま『もめん随筆』などなど。買いためた本を読み切るには、残された人生の時間は少ないのだが、不思議なものでなお絶版になった名作に触れたいと思う気持ちは衰えていない。最近気づいたのだが、ネットでかっての古書店巡りのような体験が可能になっている。「青空文庫」はそんな本好きに貴重な存在である。『絶版文庫』に取り上げられた作家が、「青空文庫」に入っている。釣随筆の佐藤垢石、『赤蛙』の島木健作、佐々木邦、北原白秋、豊島與志雄などのほぼ全集といえる作品群がひしめいている。

岩男はこの本の緒言にギッシングの『ヘンリ・ライクロフトの私記』の一節を抜粋している。
「ああ再び読むことのないだろう数々の書物!・・・床しい、心をしずめるような書物。気高い、魂を揺り動かすようような書物。一度きりでなく、いく度も読みかえす値打ちのある書物。だが、自分はもう二度とそれらを手にすることはないだろう。歳月の過ぎゆくのは余りにも早く、歳月の数は余りにも少ない。」
岩男が取り上げたこのギッシングの魂の叫びは、多くの読書人に共通したものだ。せめて、戸外で過ごせない雨の日には、こうした読書人の驥尾に触れながら、書棚やネットの「青空文庫」やコボのライブラリーを従容していたい。
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