常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

冬の樹木

2017年12月26日 | 日記


爆弾低気圧が発生して、昨日は強風、そして今日は吹雪のような雪が降ってきた。周りの里山の木々もすっかり葉を落し、いよいよ冬の装いになった。冬になって葉のない木は、その骨格をあらわにし、その樹形をはっきり見ることができるようになる。近所のお寺や神社の木立を見るのが、この季節の楽しみでもある。なかでもケヤキやクスノキ、クヌギなどどっしりとした幹を持ち、樹冠の丸い木を見るのが好きだ。先端部分へ行くほど枝は細く密集し、しかも光を受け入れやすい構造が、自然の美を作りだしている。冬葉がなくなって、あらためて知る木の美しさだ。

フランスの劇作家劇作家ジャン・ジロドゥの戯曲「間奏曲」にこんな木の箴言が出てくる。

「木とは人間の兄弟で、動かないのです。木の話す言葉では、人殺しのことを樵夫といい、死体を運ぶ人のことを炭焼きといい、蚤をキツツキといいます」

木に寿命というものがない。木を枯らすのは、台風や土砂崩れなどのいわゆる災害や酸性雨、害虫などの被害だけだ。環境にさえ問題がなければ、千年でも二千年でも木はずっと生き続ける。
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クリスマス

2017年12月24日 | 日記


濃霧のなかのクリスマス。予報通りやや温かいクリスマスである。雪の降るホワイトクリスマスにはならなかった。子どもたちもいない我が家では、アパートの玄関に飾られたツリーのみがこの日の雰囲気をかもし出している。何故かケーキとチキンが食卓に並ぶ。萩原朔太郎の詩「クリスマス」を記念に読んで見る。

クリスマスとは何ぞや
我が隣の子の羨ましきに
そが高き窓をのぞきたり。
飾れる部屋部屋
我が知らぬ西洋の怪しき玩具と
銀紙のかがやく星星。
我にも欲しく
我が家にもクリスマスのあればよからん。
耶蘇教の家の羨ましく
風琴の唱歌する聲をききつつ
冬の夜幼き眼に涙ながしぬ。

朝早くから、ラインの友だちから「メリークリスマス」がたくさん入った。
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水を飲む

2017年12月23日 | 日記


この一年で重要だと思い知らされたことに「水を飲む」ということがある。そもそも人体は成人の場合60%が水で占められている。体重60㌔ならば、36㌔がが水である。汗などによって2%水分が体内から失われると、喉の渇きを覚え、3%失われると強い喉の渇きを覚え、運動能力の低下が現れる。さらに4~5%も失われると、目まいや頭痛などの脱水症状を起こす。夏山登山など体力消耗の激しい運動では、特に重視されるのが水である。どのくらいの量の水が必要かと言えば、自重(体重+ザック)×5×歩行時間で計算できる。自重70㌔の人が8時間の歩行の山行をするとすれば2800ccつまり2.8㍑の水が必要になる。ばてない登山の第一条件が水分の補給である。

寒くなって風邪を引く人も多い。インフルエンザの発症や予防注射のニュースも目にする。風邪でも強い味方は水分補給であるらしい。幼稚園や保育園で、いつでも飲めるペットボトルを子どもに持たせ、気づいたたき一口ずつの水分補給をする。これによって、かなり風邪の予防に効果があるらしい。さらに老人ホームの取り組みにも水分補給がある。認知症で水分を積極的に摂る人は、記憶に著しい改善が見られた。自分の息子の嫁をお手伝いさんと勘違いしていた人が嫁と認識し、名前まで思い出したシーンがテレビで写し出された。

こんなにうまい水があふれている 山頭火

山頭火は酒を止めようとして止められず、行乞の旅でも酒を飲んだ。酒は利尿作用があるので、体内の水分を出してしまう。それだけに、酔い覚めの水をいつも飲んだ。山頭火の身体は常に水を欲していたのであろう。山頭火はうまい水を飲み分ける「きき水」の名手とも言われている。どのようにして水を見分けたのか。「味をきく」「香りをきく」「音をきく」ところまで奥は深い。ミネラル分を多く含んでいる水流の岩や石には苔がつきやすく、水流の音もやわらかいらしい。そこまで水に鋭敏になるには、放浪ともいえる水だけで一日を過ごした経験を持つ山頭火ならではことであるに違いない。
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冬至

2017年12月22日 | 日記


今日、冬至。一年で夜が一番長い日とされている。だが、3日ほど前から心なし日没の時間が遅くなっているような気がする。こう感じているのは、自分だけではなく、そんな感じを漏らす人も複数いる。冬の寒さはこれからが本番だが、明日からは確実に日が長くなる。夜、冬至カボチャを食べた。これを食べると、風邪を引かずに一冬を過ごせるという言い伝えがある。それだけ、カボチャが栄養豊富で、身体にいいということであろう。

冬至とて南瓜嫌いも食はさるる 下村ひろし

戦後、食糧難の時代、カボチャは米の代用にされた。秋になると毎日のようにカボチャを食べるので、身体が黄色くなった。友だちと、手のひらを強く握って見せあう。どの手もカボチャの黄色が浮き出ていたものだ。そんな子供の時代を過ごしたのので、長い間カボチャは嫌いだと言って食べずに過ごした。今ではそんな記憶も薄れて、しみじみとカボチャの美味しさを味わっている。
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冬の朝

2017年12月21日 | 日記


冬の朝、それも晴れて放射冷却で気温が低い朝は、目覚めるとすぐにベランダの障子を開けて西の山々を見る。日が当たって、山がきれいに見えるのが楽しみであるからだ。掃除の前に先ず今日の一枚を撮る。戸外の冷たい空気にふれると、身が引き締まる思いがする。『枕草子』の冒頭の言葉が懐かしく思い出される。

 冬はつとめて。雪の降りたるはいふべきににもあらず、霜のいとしろきも、またさらでもい と寒きに、火などいそぎおこして、炭もてわたるもいとつきづきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、火桶の火もしろき灰がちになりてさろし。

「つきづきし」とは、辞典を引くと、いかにもぴったりとはまっている感じ、と解説してある。冬の朝は、この時代にあっても、気が引き締まり、さあ今日も一日無事過ごそうという朝の気配が伝わってくる。
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