常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

川すじ

2020年07月22日 | 日記
ウォーキングに向いているのは、川の土手などにつけられた道だ。車が走らないのが一番である。そして、川の流れに沿って自然な曲線を描いている。そのまわりには樹木があり、日陰の役割も果たしてくれる。川の匂いに敏感だったのは、長く川の辺に住んだ幸田文である。春先の若葉の匂いが、そこに佇んでいる幸田文を包み込んでいる。「匂うのは若葉のうちの短い期間であり、それも朝早い時間である。夜来の雨が上がって快晴の早朝、並木の下を通ると、ほんのりと柔かい匂いがうごく。」(『ふるさと隅田川』幸田文)

石狩川の辺で育った私は、川の匂いを勘違いしている。上流にパルプ工場ができ、そこからの廃液が薄められて独特の匂いを放つ。子どもであった私には、それが川の匂いであると、刷り込まれてしまったのだ。最近、清流の傍を歩くようになって、幸田の言う川の匂いが理解できるようになった。川すじに咲く木槿の白い花。石狩川のあの黒い流れとは、およそ違った風情がある。

最近の雨の降り方は、長い歴史のなかでも記録されないような大雨が降る。九州や四国などのような氾濫は起きていなが、最上川の支流でも、蔵王などの山中で降った雨が、清流を濁流へと変える。この地方でも、線状降水帯のような現象が起きれば、いつ川の大氾濫が起きても不思議ではない。鮭川村を流れる鮭川が氾濫したのも、つい昨年のことだ。
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サングラス

2020年07月21日 | 登山
サングラスを買った。長い間、山歩きをして、紫外線は浴び放題。山の仲間たちが、色々考えながら、よりよいサングラスを選び、愛用しているのを見ながら、一向に買う気にならなかったのが、突然思い立って買うことにした。理由は、山行後の疲労感である。。足に筋肉痛ではない疲労感が残り、回復までに2日ほどかかるようになった。コロナの影響で山行が2ヶ月ほどブランクになったのが原因かも知れない。あるいは加齢による、体力の減退か。

購読しているヤマップマガジンに、目を引く記事があった。「目の日焼けが体力を奪う原因!」というびっくりするような内容である。読み進めると、目から入った紫外線が網膜で大量の活性酸素を発生させ、それが疲労の原因になる、というものである。そして日本人に一番フィットする優れものに、鯖江市のブランド、フロートが紹介されていた。安易ではあるが、疲労にサングラスが役立つものであるなら買い、と決めた。

ただ、フロートを売る店はここの地区にはない。ネットで見ると、お勧めが14,000円ほどで買える。だが、現物を掛けて試すことができないのは不安である。行きつけのメガネ店で相談してみた。かけて視界に違和感のないもの、掛けたときの安定感、UVカットなど、店で色々勧めてくれたが、手頃でそれほど高価でないものを選んだ。今日は天候は曇り、ウォーキングでサングラスを試す必要もなかった。足の疲労は回復して、約40分のインターバル速歩ができ、安堵。
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2020年07月20日 | 日記
人さまのブログを拝見していると、ぽつぽつと蝉の初鳴きという記事に出会うようになった。テレビの天気予報を見ていると、太平洋高気圧が、日本列島の付近で大きく変形している。昨日、今日と予報は梅雨明け型の天気という聞きなれない予報であった。太平洋高気圧が変形しているために、このまま強まって梅雨明けにならないらしい。やはり、梅雨が明けないと、蝉しぐれの季節にはならない。山中で蝉が殻から出てくるのを見たことがある。地中から這い出て殻を脱ぎ捨てた蝉は、葉陰のあたりにとどまって、じっと陽が当たるののを待っている。太陽のエネルギーを全身に受けてやっと鳴き声が出てくる。

やがて死ぬけしきは見えず蝉の声 芭蕉

蝉は六年ほど地中で暮らして地上に出てくる。初鳴きから1週間、長くても3週間ほどで突然に死を迎える。道を歩いていて蝉の抜け殻を見つけるより、ばったりと死んでいる蝉は年に何度も見かける。最近、ある高校生が調査をして1か月ほど生きている蝉が見つけられた、という話を聞いた。我が家のベランダには、鉢植えが置いてあるので、ときおり蝉が鉢の植物に止まって鳴くことがある。近くで聞くと、蝉の鳴き声の大きさに驚かされる。
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安達太良山

2020年07月18日 | 登山
梅雨の長雨と登山、どうにかして雨に降られずに登れないか。登山愛好家であれば誰もが願うことである。予報でも曇りマークに、時折り雨。2週間雨に降られて中止を余儀なくされているだけに、天候の好転へ一縷の望みを祈るような山行であった。結論から言えば、その望みはみごとに叶えられ、大満足の一日になった。

安達太良山(標高1700m)は福島県二本松岳温泉の奥にある。深田久弥の日本百名山に選ばれている。先年亡くなられて女性登山家、田部井淳子さんのホームグランドとしても知られている。この山を有名にしたのは何といっても、高村光太郎の『智恵子抄』だ。

あどけない話

智恵子は東京に空がないといふ、
ほんとの空が見たいといふ、
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら云ふ。
阿多多羅山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だと云ふ。
あどけない空に話である。

高村光太郎が智恵子の郷里である二本松を訪れたとき、裏山を案内した智恵子が指さすところに安達太良山があった。「あれが安達太良山、あの光るのが阿武隈川」この詩を教科書でじゅ読んで、何度も復唱した少年のころを思い出す。
今日は空に霧が流れて、智恵子の青空は残念ながら見えない。この日我々が目指したのは、安達太良スキー場から勢至平を経てくろがね温泉を目指すコースだ。硫黄の匂いが立ち込める源泉から左手の登山道へ入るとすぐに急登となる。ここを登りきると広い林道になる。久しぶりの山行とあって14名(内男性6名)、広い林道で2、3列の歩行で思い思いの会話が弾む。林道を示す看板に馬車道という表示がある。所々にショーカットの山道があるが、雨上がりのため林道の緩いカーブの道をとる。

勢至平からトラバースの道もあるが、くろがね小屋まで約2時間。急勾配もなく、歩きやすい道である。くろがね小屋は冬季も閉じない通年営業の小屋だ。冬季も雪山初心者も楽しめるコースである。案内役のTさんの話ででは、残雪期にはアイゼンも不要の雪山が楽しめるという話であった。案内書にも、このコースが「安全に楽しめるスノーハイキング入門コース」とある。次年度の計画に組み入れたいコースだ。

くろがね小屋でトイレを借りる。小屋の管理の人は気さくで、面倒見がよい。「今日は午後雷と大雨の予報が出ています。早めの行動をお勧めします。十分に気を付けてください」と話かけてくれた。少し霧雨模様であったので雨具着用。しかし、次第に空は明るさを増し、汗ばんでくる。雨は上がっていく様子だ。
雨上がりだけに、周りの緑はひときわ濃くなっている。その向うに、柱状節理の断崖が見えている。木陰にホシガラスが、餌を漁っている姿が見えた。大勢で通っても恐れる風もなく、餌探しに夢中である。あのだみ声を発することもなく、可憐な様子だ。
霧が上がってくるとトンボが飛び始めた。山で生まれたトンボは、次第に高度を下げて平地に向かう。ウグイスの声も聞こえる。雨が上がっていく前兆でもある。ガレ場の中の登山道をすぎて、稜線に近づくと風が強まってくる。安達太良山は強風の名所でもある。勢至平の吹雪のなかで、映画「八甲田山」のロケ地にもなっている。

花の百名山としても知られるが、この日は咲き残った石楠花を見るくらいで、花には縁遠かった。ガレ場の稜線から一旦下って、頂上への稜線を目指す。この日カメラを持参したが、なかなかこれぞというシャッターチャンスがなく、ブログに上げる写真も限られている。特徴的な乳首山も、ガスに込められてカメラには収めず終いになった。

陽がさして来たのは、下り始めて、腰掛のような岩が散在する広場に近づいた頃だ。雨が降られてはと下山を急いだのが、皮肉な結果となった。ここで、空腹を感じて弁当とする。ここから、ゴンドラまで40分。望外の楽しい山行となった。ゴンドラは急斜面を一気に下って奥岳の湯へ。ここで硫黄をたっぷりと含んだ湯に浸かり一日の疲れを癒やす
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アサガオ

2020年07月17日 | 
ベランダの花の管理は妻の担当である。外をあまり歩かないので、如雨露で水道と何往復もするのが、妻流の運動らしい。腰にスマホを下げて、今日は1000歩を越えた、と励みにしている。蔓が伸びたアサガオにいつの間にか花をつけた。植え込み用のプランターには昨年の種が落ちて、種植えをしなくても毎年花を咲かせる。2、3日前から花の数を数えていたので、今朝見ると、斑入りの小さな花がたくさん咲いていた。

川端康成は庭にアサガオを植えて、薬の用途に使っていた。「蚊やぶよは素よりムカデでも蜂でも非常によく利く。葉を三、四枚、両の掌で暫く揉んでいると、ねっとりした汁が出てくる。それを葉と一緒に刺された個所に擦りつけると、痛みでも痒みでも直ぐ直る」と、もっぱら虫刺されの薬に使うために植えていた。

作家であった川端は、朝の起床が遅いため、朝早くアサガオ見なかったらしい。ある年の夏、早朝に咲いたアサガオを見て、驚いている。その時の川端は、アサガオを水々しい、と表現した。ベランダで咲くアサガオを見なれている者のとっては、清々しいという表現の方が勝っているような気がするがどうであろうか。

朝顔の葉陰に猫の目玉かな 漱石
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