常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

秋のふき

2021年09月20日 | 日記
ふきと言えば春の味覚。秋のふきがおいしい、と教えてくれたのは野菜の畑を作っていた隣の奥さんだ。そもそも、蕗といえばフキノトウから始まって、柔かい茎がおいしい春の味覚だ。しかし、頂いた秋のふきを食べてみると、春に劣らずにいい香りがして実においしい。敬老の日、お祝いの赤飯とお菓子をいただいたあと秋のふきをとりに出かけた。春に比べて細いが、手で触って柔かいふきをさがして採った。夜は蕗の煮つけで晩酌の予定だ。

水上勉の『精進百撰』に「蕗と昆布の煮しめ」がある。使う昆布は出汁をとったあとのもの。野から採ってきたふきは、皮を剥いて同じくらいの大きさに切りそろえる。フライパンにごま油をしいて焼きころがす。じかに醤油、ミリン、砂糖で煮しめていく。秋のふきは、さっと湯がいて皮を剥き、少し水に浸して灰汁を抜いた方がいいかも知れない。
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涸沢カール

2021年09月20日 | 登山
奥穂高岳頂上からの穂高岳山荘までの下りは厳しい。写真のような岩の道を下って行くのだが、垂直の梯子や鎖場を疲れた足で下っていく。ピッケルの道標が山荘へ800mを記しているが、ここの800mは体感的には数キロに感じる。こうしてブログを書いているところに槍ヶ岳北鎌尾根で地震のために落石が起こり、7名の男女のパーティーが身動きがとれなくなり、県警のヘリで救助が行われているというニュースが飛び込んで来た。奥穂と槍ヶ岳は距離的にかなり近い。もし地震のときその場にいたとしたら、恐怖が身近に感じる。この度の山行では、3日間の短期保険に加入した。

小屋に着いたのは5時過ぎ。着替える暇もなく夕食となる。ストーブが燃えて、乾燥室でも温風が出っ放しだ。酒類は食事の時間だけ。ワンカップの日本酒を熱燗にして飲む。身体が熱燗が巡って温められて心地よい。
一夜明けて、登山の最終日は霧のなか。夜露と霧でまるで雨が降ったようにあたりがぬれている。下る道はザイテンクラード。初めて聞く言葉だ。急な岩場につけられた道に変わりはない。このドイツ語の意味は支尾根、主稜線から別れた支線のことだ。はるか下に涸沢ヒュッテの赤い屋根が見えている。日が登ってくると、霧の合間に涸沢カールの特有の地形が見えてきた。カールの日本語は圏谷。氷河の源流で形成された谷である。上から見れば半円状や馬蹄状の谷である。涸沢カールは日本最大のカールとされ、氷河時代、ここに氷河あったことの証しである。
カールのなかところどころ見える半円錐形の出っ張り。崖錐(がいすい)という。氷河の上に貯まった岩屑が落下しない傾斜に紡錘形の崖錐を作る。上部に土砂がたまって植物が根を張る。オンタデ、ハクサンイチゲ、オヤマソバ、シナノキンバイなど見られる。もとより崖錐 に近づいて見ることはできないが、その周辺には小さな植物の草モミジが白いカールに彩りと添えている。険しいザイテンクラートを下り切ると、難所は越えた安心感が広がる。涸沢ヒュッテで小憩の後、横尾から徳沢、そして奥上高地の長い探勝路が待っている。小屋から上高地まで25㌔。疲れた足には過酷な歩きだ。横尾の小屋でカレーライスを食べて、徳沢に来ると、もう最終バスの時刻が迫ってきた。足の疲労が限界に達しようとしてバスターミナル着。4時35分。
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奥穂高岳

2021年09月18日 | 登山
人は一つのものを得て、同時に一つのものを失う。山の奥深い絶景の景観を目にして失うのは再会の希望。より深い景観の味わいを得て、失うのは若い脚力と俊敏さ。ガスに巻かれて失われていた景観が、上がっていく霧のなかから姿を現す喜びは何にもかえがたい朝4時に山形を出発して上高地のバスターミナルの駐車場で昼食。いよいよ2泊3日の奥穂高岳の登山の開始である。この日かっぱ橋から、岳沢に沿う登山道を最初の宿泊地岳沢小屋を目指す。目の前に迫ってくる巨大な屏風を立てたように聳える穂高の山々。その岩峰の存在感に圧倒されながら小さな歩を進める。



この度の9月14日からの奥穂コースの計画は、高橋リーダーによって昨年11月に立てられた。折から台風14号が進路を大きく変え、日本列島を伺っていた。偶然というか、奇跡というべきか。14日・15日と勢力を強めながらも、台風は東シナ海上に停滞。16日になって、動きはじめ進路は九州をめざすという。そのため一年前の計画が、風雨がなく暖かい青空のもとを歩くという僥倖に恵まれた。山道左手に岳沢を埋めつくす岩石を見ながらの歩きだ。さほどの傾斜ではない。

振り返ると河童橋が小さくなっていく。岳沢小屋着16時。部屋で着替えをすませて、ホテル前のベンチで、周囲の景色を見ながらビール。やや肌寒いので、それほどビールは欲しない。特筆すべきは夕飯のおいしさだ。揚げたてのアジフライにハンバーグ。味噌汁の熱々がお代わり自由。コロナ禍、山小屋の経営も大変なはずだ。収容人数を抑え、食堂の椅子のデスタンス。加えて泊りの登山客も秋山のシーズンにしては極めて少ない。我々12名のほかには、1,2名の数組が見られるのみだ。

早朝、昨夜の就寝が早かったの目が早く覚めた。4時小屋の前に出てみると、降るような大きな星が満天に。雲一つない晴天である。5時半からの朝食もそこそこに、いよいよ、コースの難関に向い、緊張感が走る。穂高の岩肌はますます間近に、人を寄せ付けない鋭利さだ。重太郎新道を紀美子平へ。この道にその名を残す今田重太郎は、穂高連峰で様々なエピソードを残している。重太郎は山の案内人として、槍ヶ岳~上高地~穂高連峰で活躍するかたわら、吊り尾根やジャンダルム、奥穂高の登山道作りに励んだ。重次郎新道は、昭和26年9月にほぼ2週間で作り上げたと言われる。終点の紀美子平は、小屋の人気者でもあった養女の紀美子の名が付けられた。紀美子は父が作業している傍で遊んでいたという。
重次郎新道から道は傾斜を増していく。昨夜の小屋で寝不足だった人もいて新道で体力を消耗した人も出た。4名が紀美子平に残り、8名が前穂高岳のピストンを行った。マップタイムでは往復1時間だが、ほぼ2時間で紀美子平に戻った。平日であったが、入山者が予想よりも多い。ほとんどが若い人たちだ。ガイドを伴った若い女性の姿もあった。コロナ禍のなかで、若者たちの足は山へ向かっているのであろうか。キャンプや日帰り登山の人も多い。

山道は石の上である。急な傾斜の上の石を確認しながらの登山は、脚力と同時に注意力が必要になる。前穂高3090m、明治26年の夏、嘉門次の案内でここに立ったのはかのウエストンである。当時は奥穂高岳は知られず、ここが最高峰の穂高岳と考えられていた。ウェストンの『日本アルプス』から引いてみる。

「岩場は、私たちが今まで出会ったどれよりも険しく、それで私たちは全力を注がなければならなかったけれども、それだけこの登攀は爽快だった。12時45分には険しい痩せ尾根に達した。ここから大きな花崗岩の岩塔が聳えていて、このために似つかわしい「穂高山」(立穂の山)の名がついているのである。1時30分になる前に最高の岩峰に着いた」(ウェストン)

百名山の案内書には我々のとったコースは経験者向きのコースで初心者なら経験豊富な案内者を必要とある。幸いTさんというリーダーが山の会にいて、今回の山行が実現できた。もう一つ奇跡的な好天の恵まれたことも今回の素晴らしい山行となった。
吊り尾根は見通しのきかないトラバース。しかし、時折り尾根に出て、裏側に見える涸沢カールの素晴らしい景観に足が止まる。持参したカメラを出すのももどかしく、この景色を収める。吊り尾根から稜線へ、南稜の頭を越しても奥穂高岳の頂上は目に入って来ない。頂上の小さな祠を目にしても、疲れた足が頂上を踏むまで時間が経過していく。尾根道の風は冷たく、強い。暑い夏に馴らされた身体には5℃ほど気温が寒く身に沁みる。用意してきたジャケットを通して風が吹きつけて来る。しかしついにケルン状に石の積まれた頂上がそこにある。この道を作った重次郎が登って来る登山者に、その在処を知らせるために積んだのだという。午後4時、一行12名は無事頂上を踏むことができた。
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登山三昧

2021年09月13日 | 登山
(写真は日本アルプス登山ルートガイドさんから借用しています)
県内の高い山は紅葉が始まった。いよいよ秋山シーズンである。思えば、今年ほど多くの山に登った年はない。先月の八ヶ岳や大朝日縦走、この15日に行く奥穂高と小屋泊まりの山旅が続く。長く続けた山登りだが、技術も知識も初心者の域をほんの少しも抜け出ていない。高齢になって違ってきたのは山を見る眼だ。恐らくこの人生で再びこの山には来れないだろうという意識が心の眼を開いてくれる。元気に任せて登っていたころには見えなかった山の不思議が見えてくる。せっかく気づいた山の魅力を今少し深めたい。そのためには脚力の維持が必須となる。ウォーキングと筋トレ、地道な努力も欠かせない。

「穂高は今も、日本の持つ、最も美しい山の一つであろう。しかし、穂高の美しさは、いつまでも徳本峠から見た眺めにあるのではない。山が変わったのではない。時が、山を見る人の目を変えて来たのだ。山の美しさは、その姿が、大きな要素をなしているのであろう。しかし山が人の心を惹きつける魅力は、山の持つ味にあるのだろう。山を攀じて、初めて、私たちはこの味を知るのだ。」(浦松佐美太郎「穂高・徳沢・梓川」)
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シャインマスカット

2021年09月12日 | 日記

シャインマスカットが人気らしい。ここ山形でも作られているので、郊外の農園に買いに行った。娘や孫たちの好物であるので送ってやりたいと思った。農家の作業所にカウンターを設けただけの売り場だが、作業場では収穫したブドウの選別に余念がない。聞いて見ると、箱売りはもう終了して、餞別したブドウをばら売りのみしているという。近くの畑に鈴なりになっているシャインマスカットは全て行く先が予約済みになっているという。人気の波は、こんな小さなブドウ園にもその波が来ているらしい。先日、東根の白桃で川中島と名付けられた桃も送った。山形の果樹はサクランボだけではない。ブドウが終わると庄内柿。そしてラフランス。そう言えば刈谷梨はもう販売が終わったらしい。そして寒くなって美味しさが増すリンゴ。数えあげれば切りがない。果樹の国住む幸せをしみじみと感じる季節がやってきた。

重き房なりし葡萄を食べ終る 山口波津女
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