嫌がる日本を戦争へと引っ張り込んだ中国

嫌がる日本を戦争へと引っ張り込んだ中国

 盧溝橋事件を巡って最も論議されたのは最初の数発を撃ったのが日本軍か中国軍のどちらであるかという問題である。中国は一貫して、日本軍は行方不明の兵士捜索のため発砲してきたと主張してきたが、日本では最近すでに中国共産党の陰謀説が定着している。真犯人は宋哲元指揮下の国府軍第29軍に潜入していた張克侠副参謀長以下、多数の中国共産党員だったとの説、あるいは劉少奇の差し金とする説(劉少奇自身がそう語っていた)などがある。

 コミンテルンと中国共産党が、嫌がる日本軍に無理やり始めさせたのが支那事変なのである。日本が何故「謝罪と反省」をしなければならないのか、まったく理解できない。

 <本当の被害者は日本だった>
 日中間の戦争において、日本は明らかに被害者だったのだ。
 民国樹立から終戦に至る迄の間、中国は多政府の混戦状況から、一日たりとも抜け出すことはできず、そのカオスに日本は引きずり込まれたわけである。
 日中戦争の後半は、明らかに日本が支援する南京政府、アメリカが支援する重慶政府、ソ連が支援する延安政府の三つ巴の内戦の様相を呈していた。そのなかで日本は南京だけでなく、重慶に対しても、内戦の早期終結と、「共同防共」との希望をすてなかった。
 日中戦争の本質を客観的に言うならば、中国内戦に対する日本の人道的、道義的介入だったと言うことができるだろう。
 だがそれに対してスターリン=コミンテルンは、何としてでも日中戦争の長期化で国民党と日本を弱体化させ、共産党の拡大と日本のソ連攻撃の阻止を行い、中国で、そしてうまくいけば日本でも、共産政権を樹立させようと狙っていたのだ。マッカーサーが朝鮮戦争を経て、日本が中国で戦っていたのは侵略ではなく、防共の戦いだったと悟った話は有名だ。(黄文雄 別冊正論 08、「日中歴史の真実」

真中 行造のページ  2008年2月14日より 引用
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