加瀬英明氏 15日午前五時に永眠。

 

宮崎正弘の国際情勢解題」 
    令和四年(2022)11月16日(水曜日)
       通巻第7524号   <前日発行>

 

加瀬英明氏
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 15日午前五時に永眠。心不全。このところ入退院を繰り返されていたが病院はコロナ対策で面会ができないため心配していた。
 思い起こせば半世紀をこえる小生の「兄貴分」だった。
ちょうど50年前、小生が26歳。加瀬さんは36歳。ふたりして、『浪漫』の取材で台湾へ一週間。どこでも歓迎されたが、加瀬さんは童顔なので、小生が兄貴かと言われた(苦笑)。気があって、すぐに飲み仲間。新宿、赤坂、銀座。氏の『新聞批判入門』は小生が担当した。北野アームスにあった事務所には、アクセスも抜群だったので、しょっちゅう出入りしたが、夕方五時に行くと必ずバーボンの乾杯だった。氏はなにしろパーティが大好き人間、酔うと陽気に軍歌を歌った。若い日々は午前三時頃まで飲んだ。
加瀬さんは福田内閣で首相補佐官となられ、以後八面六臂の外交方面での活躍を本格化、1980年にはフォード大統領、岸信介両氏を日米の代表とする「日米安保条約20周年記念シンポジウム」を主宰されたので、小生もかり出されてホテルに一週間泊まり込み。
それから『日本安全保障研究センター』のボランティア事務局長をやらされた。ヒルトンホテルで毎週のように開催した朝飯勉強会では毎回二、三十人ほどの政治家も加わった。
前後して一緒にアメリカ、韓国、台湾へ何度か行った。氏の紹介でアメリカの要人、多数と知り合った。
となりで加瀬さんの繰り出す洗練された英語を聞いていると、あ、こういう表現をするのかと学ぶこと多く、しかし論語など中国古典にも明るかった。
なお通夜、葬儀は身内だけで行い。お別れの会は後日となる。合掌

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