最初は見事に一本背負いを決めたのだが
11月4日の記事「菅義偉首相は『いろいろな意味で』豊臣秀吉になれるのか?」で菅政権の初動を絶賛し、今後の政権運営に大いに期待した。
特に日本学術会議に見事な一本背負いを決めたことには驚かされた。相手の力を最大限に利用して、小柄な人間でも大男を倒せる「柔よく剛を制する」素晴らしいお手本である。あるいは「肉を切らせて骨を断つ」戦略とも言えよう。
このように初動を大絶賛した菅政権だが、それから1カ月ほどの間に多くの懸念材料が出てきた。
個人的には、そのようなマイナス材料を乗り越えて、菅政権とともに日本が繁栄してほしいと考えているのだが、最近浮上してきた問題は大きく分けて3つある。
1. 携帯電話料金の値下げには熱心なのにNHK受信料の値下げには積極的ではない?
2. まだ大統領選挙の結果が確定していない時点でのバイデン氏への対応の稚拙さ
3. 中国や韓国に対する強硬姿勢は見せかけである疑惑
これらの3点を順番に考えていきたい。
携帯電話料金の値下げには熱心なのに…
官房長官時代から、菅義偉氏は「携帯電話料金の値下げ」に熱心で、内閣総理大臣に就任してからはさらに攻勢を強めている。大手携帯3社もたじたじで、首相の意向には逆らえないと感じて、料金値下げを実行し始めているようだ。
もちろん、私も含めた国民の大多数は携帯電話料金の値下げは大歓迎だから、国民に寄り添った政策であり、菅政権の人気にもつながる賢い戦略であると言えよう。
しかし、官房長官時代にこの政策を打ち出した時から気になっていたのが「民間企業の経営にそこまで政府が口を出していいのか?」ということである。
もちろん携帯電話事業は許認可事業であり、楽天などの参入もあるが、事実上大手3社の寡占状態である。だから、自助努力により自由市場で経営している一般企業と同列に扱うことはできない。「公共サービス」として、政府が介入して、国民の福祉の向上のために利益を吐き出させる(つまり値下げ)ことを強制することは必ずしも理不尽とは言えない。
しかし、もしそうであれば「公共放送もどき」のNHKの受信料を携帯電話同様「4割」下げようと菅首相が動かないのはなぜか?
国会議員とNHKの「親密な関係」はよく話題になるが、自分たちに好都合なNHKの問題には手を触れず、NHKよりも自由度が高くあるべき携帯電話の料金の値下げだけに熱心であれば「菅政権の本質は『強きを助け、弱きをくじく』点にある」と国民から思われても致し方あるまい。
そもそもNHKって何のためにあるのですか?
日本に存在する色々な組織の中で、NHKほど「奇怪」なものは珍しいであろう。
もちろん国営放送ではないし、TBS、WOWOWなどの民間テレビ局とも全く違う。彼らが自称する「公共放送」というものの位置づけが極めて不明確なのだ。
かなり昔のことだが「第3セクター」というものが全国的に流行って多数設立された。簡単に言えば、地方自治体などの信頼できる「公」な組織と自由な「民間」を組み合わせて、1+1=3となるようなより良いものを創造しようとしたのだが、結果は1+1<1(つまり、合体する前の個々の能力よりも低くなってしまった)という悲惨な状態が相次ぎ、次々と破綻していった。つまり「公」と「民」のいいとこ取りではなく、「悪いところ取り」になってしまったのだ。
第3セクターと同じようにに「悪いとこ取り」と思われるNHKがなぜ破綻しないのか?それは、NHKの放送など見たくもないという善良な国民からも無理やり受信料を徴収する制度のおかげである。
NHKの放送内容については、色々な議論があるが、少なくとも国民が(民間放送ではなく)NHKで必ず視聴しなければならない内容が存在するとは思えない。
2017年12月6日に、最高裁大法廷はNHK受信契約の義務規定を合憲とする初の判断を示したが、この時には腰を抜かすほど驚いた。
憲法など持ち出さなくとも「自らの望まない契約を強制されない」ことは民主主義社会の基礎であり、この判決は明らかに間違っていると考える。
このようなことがまかり通れば、日本は「自らが望まないことを強制される」全体主義への道を歩んでしまう。民主社会で国家が国民に強制できるのは、基本的に税金の支払いだけであり、国民に受信料の負担をさせるのであれば「国営」にして税金(あるいは税金に準じる国営法放送のための受信料)でその費用をまかなうべきなのだ。
逆に、よく言われるように、NHKを完全民営化してスクランブル放送にすれば、誰も文句はないはずだ。視聴したい人が料金を払って視聴するのが自然の姿といえよう。
儲けすぎのNHKをどうすべきか?
NHKが「公共放送もどき」の立場を維持しようとするのは、「悪いとこ取り」を続けたいためと思われる。つまり、受信料の強制徴収という「公」の立場を維持しつつ、「民」の仮面をかぶって、経営から政府(国民の監視)を排除してお手盛りで役職員に対して世間の常識からかけ離れた高額報酬を支払いたいのだ……
国営放送になってしまっては好き勝手(自身の偏向に基づいた)な番組の製作ができなくなるだけではなく、給与も国家公務員とかけ離れた水準にはできなくなる。
逆に、民営化されれば、視聴者のニーズにあった良質の番組を、努力して提供しなければ淘汰される。官僚以上に官僚的なNHKの職員にはそのようなことは耐えがたいのだろう。
「儲けすぎ」という観点から言えば、4割値下げをすべきなのは明らかにNHK受信料である。だから、菅首相の現在の政策はアンバランスに思える。
しかし、もう少し深読みすると菅首相にはこれまで述べてきた究極の解決策である「国営化」または「民営化」という究極の目標があるのかもしれない。
NHKは最近、「テレビを設置した視聴者や事業者にNHKへの届け出義務を課すなどの案を提示」したが、このような国民の反発を買う提案に積極的な反論を行わないのも実は思慮遠望なのかもしれない。
日本学術会議のケースでは、オールドメディアや自称知識人が大騒ぎしたおかげで、国民にとって無用どころか害があると思われる組織に血税がつぎ込まれている実態が明らかになった。
NHKも、「強権的受信料徴収」を強調すればするほど、一般国民の反発を買い、その力を逆に使って「背負い投げ」を決めやすくなるとふんできるのかもしれない……
いずれにせよ、NHKという組織は、ラジオやテレビ以外の情報伝達手段が乏しい時代に、国民の「情報を得る権利=知る権利」を守るために設立されたものと理解している。つまりどのような電波事情の悪い地域の国民も等しくテレビから情報を得ることができるようにするためのシステムだ。
したがって、インターネット・通信が発達し、情報があふれ、テレビそのものの必要性が薄れている現代においては、「公共的な役目を終えた」存在である。
結局、完全民営化してスクランブル放送にするのが最善の策だと考える。
バイデン氏への対応は正しかったのか?
2のバイデン氏への対応については、11月22日の記事「まだまだ揉める米大統領選、トランプは一体何をしようとしているのか」でも述べた。
菅首相が祝辞を述べた11月8日時点では、実のところ米国の次期大統領は決定していなかったし、本稿執筆時点でも同じだ。
確かに、ドイツのメルケル首相やフランスのマクロン大統領もバイデン氏へ祝辞を述べているが、2人ともトランプ氏とは相性が悪く、「修復不能」とさえ思える最悪の関係であった。だから、「心の底から落選してほしいと思っていた」はずである。
また、関係が最悪だから、もしバイデン氏に祝辞を贈った後トランプ氏が再選しても、今以上に関係が悪くならない。したがって、それなりに大統領になる可能性があるバイデン氏のご機嫌を取った方が得策だという判断もあったと思う。
諜報能力の優れたKGB出身であるプーチン氏は、まだ祝辞を贈っていない。また、共産主義中国は、遅ればせながら外務省レベルで11月13日に祝意を表明した。そして習近平氏は、トランプ氏を横目で見ながら、11月25日になって、ようやく祝電を送った。
バイデン氏への祝辞は菅首相の独断ではないかもしれないが、もしそうであれば情報の収集・分析を行った外務省を始めとする諸官庁の能力不足と言えるだろう。
もし、トランプ氏が勝利して再選されれば、日本の外交に大きな問題が立ちはだかると考えられる。
韓国・中国への強硬姿勢も見せかけか?
3についてだが、習近平氏とバイデン氏が、バイデン氏のオバマ政権副大統領時代から「極めて親しい」関係にあったことは有名だ。菅首相が「バイデンシフト」を行った背景には、そのような事情も考えられる。媚中派の筆頭と目される二階俊博氏とは、同じたたき上げ同士で仲が良いとされるのも気がかりだ。
また、米国大統領選挙の混乱の中で、共産主義中国が日本に対する軍事的脅威を見せつけているのに、その割には甘い顔を見せているようにも感じる。
ドイツの慰安婦像も、初動はよかったのだが、その後、進展が見えない……
本当に日本の国益を守るために毅然とした態度をとり続けてくれるのかと心配になってしまう……
超短期政権に終わるのか?
内政はともかく、外交に大きな懸念があることは隠せない。下手をすると1イニングどころか、1打席のリリーフになりかねない。
現在の菅首相を見ているとどうしても思い出してしまうのが「今太閤」ともてはやされた田中角栄氏である。優れた人心掌握術で、学歴が低かったにもかかわらず、首相まで上り詰め、日本の経済を発展させた姿が豊臣秀吉に似ているということである。
その角栄氏が成し遂げた最大の外交的成果とされるのが1972年の日中国交回復である。しかし、7月11日の記事「限りなく北朝鮮化に向かう中国『1国2制度破棄』でサイは投げられた」のような共産主義中国の現状を見ると、本当に外交的「成果」と言えるだろうか?むしろ「敵を増長させる」結果になったのではないかとも思える。
また、田中角栄氏を失脚させどん底に落としたのは、この日中国交回復が遠因となって巻き込まれたとも噂されるロッキード事件である。
初動で鮮やかな手腕を見せた菅首相にはぜひ活躍していただきたいが、4年後の大統領選挙も含めて、意外に安倍首相―トランプ大統領コンビ復活の日が近いのかもしれない。