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後世に伝えたいエピソード
好きな日本人、トップは坂本龍馬
貴方が後世に伝えたいエピソードは?
1 多くのユダヤ人を救った樋口少将と安江大佐のエピソード
2 沖縄戦で知覧から飛び立った特攻隊のエピソード
3 潜水艦事故で亡くなった佐久間艇長のエピソード
4 エルトウールル号遭難と救助のエピソード
1については 不勉強でした
ネットでみますと
樋口少将については
樋口季一郎 - Wikipedia
JOG(085) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(上)
JOG(086) 2万人のユダヤ人を救った樋口少将(下)
人種差別の壁を崩した日本
杉原氏以外にも、実はもっと大規模にユダヤ人の救済に奔走した人物があると言われる。1938年(昭和13年)当時、関東軍ハルビン特務機関長であった、「樋口季一郎少将(後に中将)」である。1938年3月、ドイツからシベリア鉄道経由で約2万人のユダヤ人難民が、ソ連と満州の国境の駅、オトポールに集まった。国境を挟んで満州側には、満州里の駅がある。ユダヤ人たちは、満州経由で上海へ向かいたかったのであるが、満州国外交部は、友好国ドイツへの配慮から、ユダヤ人の入国を拒否した。このため、ユダヤ人避難民達は、満州国境まで来て足止めを食らい、オトポールの駅で野営生活を強いられたのだった。満州国境の3月は、寒さが厳しく食料もなく彼らは凍死寸前だった。そこで、ハルビン在住の極東ユダヤ人協会会長、アブラハム・カウフマン氏の要請により、樋口少将が満州国外交部の責任者と会って説得した。一方で、樋口少将は、南満州鉄道の松岡洋右総裁に救援列車を要請し、12両編成の列車13本が、行き場を失ったユダヤ人救出のため出動したと言われる
この救出劇は、当然のように、ドイツ外務省より厳重な抗議を受けた。このため、当時の参謀長、東条英機中将が、樋口少将を参謀本部へ呼びつけた。そこで樋口少将は、東条参謀長に持論の正当性を熱心に説明したところ、なんとそれは東条参謀長に受け入れられ、樋口少将の行為は不問に付されることとなったと言う。
樋口少将が、後にこの人道的行動に出た背景には、もともと少将がヨーロッパ駐在武官をしていた頃、当時のヨーロッパでは日本人に対する差別が相当あり、ドイツなどでは普通の家庭に泊めてもらえなかった。そんなとき温かく迎えてくれたのがユダヤ人の家庭だった為、「昔の恩を返すのが当たり前と言う気持ちだった」と自ら語ったと言う。
安江大佐については
JOG(257) 大日本帝国のユダヤ難民救出
つくる会品川&史の会:上杉千年先生講演内容2
つくる会品川&史の会:上杉千年先生講演内容4
この上杉千年氏の話は 1から通して読むと なるほど そういう事情があったのか と 教えられること たくさん
さらに
72.満州にユダヤ国家を樹立せよ!!~幻に終わった「フグ計画」
・・・今尚続く「パレスティナ問題」として尾を引いてしまったのです。しかし、もし、戦前・戦中の激動の時期に「フグ計画」が実現し、満州の一部にユダヤ人の「約束の地」として「ユダヤ国家」が建国されていたとしたら・・・そして、英国が「二重手形」を振り出さなかったとしたら・・・ひょっとしたら、その後の中東戦争もパレスティナ問題も起こらなかったかも知れません。その意味では、ユダヤ人に対する「最終的解決」の好機を逸したと言う点で、非常に残念としか言いようがありません。
なるほど そういう重大な意味づけできるんですね
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