村上氏は三島由紀夫、日本の文壇、日本文化を嫌い、日本語にもあまり好意を持っていない

宮崎正弘
村上春樹、三島を語る   
珍しく世界的ベストセラー作家、日本の歴史、言葉についてホンネを語る


―あなたは三島由紀夫が好きではないと聞いていますが。
(村上)三島のスタイルが好きじゃないということです。
―というのは、彼の文学的スタイルのことですか? それとも彼自身のあり方についてですか?
(村上)読者として好きになれないのです。最後まで読めた作品はひとつもありません。
―三島を軽んじたために、あなたは日本の文壇から、さらに引き離されたのでしょうか?
(村上)そんなことはないでしょうが、いずれにせよ僕が日本の文壇に好かれていないことは、まあ、確かだと思います。彼らはとにかく違いすぎるのです。少なくとも僕は、彼らが作家とはこうあるべきだと考える存在ではない。彼らは文学というものは多かれ少なかれ、日本語が持つ美しさや、日本文化のテーマを追求するものでなくてはならないと考えている。でも僕はそうは思わない。僕は言葉を道具として使います。とても効果的に使える純粋な道具として。その道具を使って自分の物語を書く。ただ、それだけです。

このインタビューは最新刊の刊行直前にスペインで行われたものです。
日本語以外でやり取りされたインタビューなら細かいニュアンスは語り手の意図と違っているかも知れませんが、村上氏が三島由紀夫、日本の文壇、日本文化を嫌い、日本語にもあまり好意を持っていないことが看て取れます。
日本固有のものにはすべて忌避感を抱くので外国にばかりいるのでしょう
ところで三島由紀夫は自決直前の対談の中で次のように語っています。


(引用開始)「ぼくは自分をペトロニウス(ローマ皇帝ネロの側近で、『サチュリコン』の作者)みたいなものだと思っているんです。そして、大げさな話ですが、日本語を知っている人間は、おれのゼネレーションでおしまいだろうと思うんです。日本の古典のことばが体に入っている人間というのは、もうこれからは出てこないのでしょうね。未来にあるのは、まあ国際主義か、一種の抽象主義ですかね。
・・・それで、世界がすくなくとも資本主義国では全部が同じ問題をかかえ、言語こそ違え、まったく同じ精神、同じ生活感情の中でやっていくことになるんでしょうね。そういう時代が来たって、それはよいですよ。こっちは、もう最後の人間なんだから、どうしようもない。
(引用止め)
 
 三島の預言は不幸にも当たってしまいました。
「無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、ある経済大国」には、日本語を道具だと言い切る作家の本を争って買い求める日本人しか居なくなったようです。
       (西法太郎)

日本の古典のことばが体に入っている人間
三島は さすが !
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