仏の顔も三度イランの核施設攻撃の可能性高まる?

佐々木良昭
仏の顔も三度イランの核施設攻撃の可能性高まる?
国家は尊厳を守るためには、自滅を覚悟しても、立ち上がる場合がある。戦後60年以上も、平和ななかに暮らしてきた日本人には、到底理解しがたいことであろう。
 日本は平和であり続けたために、結果的には経済発展が遂げられ、国民は幸せであった。しかし、他方では平和が全てであるとし、自由が全てである、という考え方が蔓延した。
 そして、結果的に日本人は、尊厳とか社会性といったものを失い、いまでは無国籍のような、人種とも呼べない怪物になってしまった。その重大な日本人の人種的後退を、重く受け止めている日本人は、どの程度いるのだろうか。
 アメリカの経済破綻が語られ、アメリカの対外姿勢に、非難が寄せられているが、アメリカは他方で、どんな犠牲を払ってでも、尊厳を守ろうとしている国であることを、忘れてはなるまい
 イランはアメリカとの緊張当初から、アメリカが軍事攻撃をかけてくることは無い、と踏んでいたようだ。少なくとも、イランの政府高官たちは、皆そう語っていた。そして彼らの主張していたとおり、今日までイランはアメリカの軍事攻撃を、受けることなく過ごして来ている。
 しかし、今回はどうであろうか。イランは密かに、もう一箇所核燃料の濃縮施設を建設していた、ということが明らかになった。今度はオバマ大統領も激怒しているようだ。
 言ってみれば、オバマ大統領は核削減を、世界に呼びかけているわけだから、顔に泥を塗られたということになる。まるで小ばかにしたようにアハマド・ネジャド大統領は「平和利用だ」と応えている。なにやら「やれるものならやってみろ」と言わんばかりという感じがする。
 さすがに、これまでイランの擁護に回っていたロシアや中国も、アメリカの激怒に反応したようで、ロシアはアメリカを支持し、中国は沈黙している。
 イランは本気でアメリカの意向を、完全無視の立場を、貫こうとしているのであろうか。そして、それでもアメリカは攻撃してこない、と踏んでいるのであろうか。
イランのアハマド・ネジャド大統領の強硬姿勢は、アメリカとの関係修復の限度を、通り過ぎたような気がするのだが。もし本当に危険が迫ったとき、イランは豹変して、状況を変えられると、いまでも思っているのだろうか。それはアメリカを甘く見すぎている、ということではないか。
今度のアメリカのイランに対する激怒は、必ずしもイランと国際社会に対する、アメリカの強がりだけ、とは受け止めるべきではなかろう。
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