ハンナン牛肉偽装事件と利権
ハンナンの社長・浅田満・・・「食肉の帝王」あるいは「食肉業界のドン」
解同と山口組という二つの闇権力をバックにしてのし上がってきた
浅田は、北海道に事業進出する際に、当時の北海道政界のドンで、農水族の実力者でもあった中川一郎に取り入ります。そして農水省に影響力を持つようになり、輸入牛肉の割り当てを巡る利権を握ります
浅田ともっとも近しかった農水族の政治家とは?それは鈴木宗男と野中広務です。
若の富士(当時、九重部屋)と浅田の長女との結婚式で仲人を務めたのが鈴木
野中は元日本共産党員で、その後、反共産党の急先鋒になりますが、金日成の信奉者で創価学会とも仲がよく、そして同和行政にも大きな影響力を有していました。このような背景を持つ野中は、1983年当選という新参者にもかかわらず、1994年の村山内閣以降、橋本内閣、小渕内閣、森内閣と、歴代の内閣に大きな影響力を持つ超大物政治家として自民党内に君臨します。
2001年には小泉純一郎が首相に就任します。そして、野中を筆頭とする鈴木、古賀誠などの「抵抗勢力」との凄まじいまでの権力闘争が展開されます。2003年には小泉が再選されます。
2005年には小泉率いる自民党が総選挙で圧勝します ここにおいて、自民党内に巣食う抵抗勢力、親勢力は完全に無力化されるのです。
小泉内閣にならなければ鈴木の疑惑が表面化することはなかった
野中が2003年に突然引退したのは謎とされてきましたが、浅田の摘発が現実味を増してきた時期であることを考えれば納得がいきます
浅田は、故郷の羽曳野市に2軒の豪邸を持っています。
3000坪以上の敷地に建坪471坪の住まいが新宅、総面積1185坪に延べ床面積が158坪の住まいが旧宅。
旧宅にはドラクロワなどの泰西名画の本物が飾ってあり、浅田の娘が小学生の時、美術の時間に教科書を見て「この絵、うちにある!」と叫んだという逸話が残っています。
2008年3月4日、大阪高裁の控訴審でも懲役7年の実刑判決が支持された浅田は、現在、最高裁に上告中です
いずれにしても、政・官・暴が解同という組織を媒介として癒着し、税金を理不尽なまでに貪るという構造を二度と許してはなりません。
また、この構造をメディアは「沈黙」という形で助長してきました。
私たちは、これを許してはなりません。