学校に入学する時や、会社に入社する時に、不安を感じるだろうか?
まあ、かなり多くの人がそうで、そんな不安を感じることが慢性的になっている人も少なくないだろう。

だが、能力さえ高ければ問題ない。
自信たっぷりで入っていけば、その後も快適だ。
では、能力が高いとはどういうことだろう?
それは、自分の能力が高いと決めつけることだ。
では、私がそうなのかというと、たまにはそうだ(笑)。

私は、幼稚園生活が終わる頃には、ズタズタに自信を失っていた。
悪意なのかどうかはともかく、先生達の、私へのあの言動では当然の結果だった。
しかし、小学校入学の時は自信たっぷりだった。
きっと、蝶ネクタイをしたからだ(笑)。
いや、お洒落は、自信を高めてくれることが多いのだ。
ソウルオリンピックで女子100m、200m、4x100mリレーで金メダルを獲得し、今だ、100mと200mの世界記録保持者であるフローレンス・グリフィス=ジョイナー(1959~1998)は、「走るクレオパトラ」と呼ばれるほど、派手なメイク、ユニフォーム、ネイルで出場したが、そんなことをした理由について、彼女は、「お洒落をすると自信が出るから」と言っていた。
しかし、私は、小学校入学からしばらくして、すっかり自信を失った。
女性教師が私を激しくこき下ろし、タチの悪い級友達がそれに乗って私を馬鹿にしたからだ。
そこからずっと、自信のない暗い小学校生活を送ったが、5年生で転校する時には、溢れる自信と共に新しい学校に登場した。
そこはかなり田舎で、私は都会から来たからだ(笑)。
いや、自信を持つ理由なんて何でも良いのである。そこはよく覚えていていただきたい。
もちろん、私の学校生活は、それまでと打って変わって快適で、女の子にもモテモテだった(まあ、おかげで散々な目にも遭ったがw)。自信があれば何でも出来るのである。
しかし、それも中学校入学で終わる。中学校というのは、体制に従わない生徒の自信を徹底的に叩き壊す仕組みがあるからね。おかげで、以降は引きこもりである(笑)。

とにかく、自信を持つことだ。
自信とは、自分は能力が高いと決めつけることだ。根拠など不要だ。
実績も資格も何もなくても、「俺、凄い」「あたし、出来るの」で良いのである。
ただ、こじつけるものが何かあった方が、決めつけ易い。
たとえば、こんなことがあった。
昔、私がTM(超越瞑想)を始めて1か月くらいの時のことだ。
私は、交通違反(運転時の信号無視)で警官に捕まった。
しかし、「俺はTMをやっているから」という自信があったので、警官を下がらせることが出来た。これは誓って事実だ。
TMはその後やめたが、自信を持つことに利用出来たのである。もちろん、TMでなくても何でも良い。
念仏を唱えているから、腕振り運動をやっているから、ナンバ四股をやっているから・・・もう何でも良いのである。
ただ、自信とは、誰かが与えてくれるものではなく、自分で持つものであることを忘れてはならない。
日本人は民族的に言って、十言の神咒(とことのかじり。「アマテラスオホミカミ」と唱えること)との相性が良く、これをやっているから大丈夫だという自信を持ち易いのではと思う。
昔、書いたこともあるが、割と普通の女の子(小5位)にこれを教えたら、3か月で天使に化けた(言い方がおかしいが)ことがあったのだ。
まあ、やれることは無限にある。
そう言えば、最近、私は自信に欠ける(笑)。自信を持つため専用に何かやるのも良いものであると思う。