中韓人は本当に歴史を鑑にする民族か?

中韓人は本当に歴史を鑑にする民族か?
 黄:中国人が本当に歴史を鑑としているかというと、かなり疑問に感じるんですが、どうなんでしょうか。

 :鑑にするということは、それによって自分の顔や姿を見るということでしょう。とすれば、中国はむしろ反対ですよ。歴史によって自分の姿を見るのではなく、他人にそれを要求するんです

 :外国を侵略したことがないというのは、外面的に見た歴史的な事実ではありますが、韓国人が平和主義者だったからというのは後付けです。例えば、李氏朝鮮王朝時代には、対馬を攻め取ろうという計画がありましたし、モンゴルの日本侵略でも、平和主義を貫いて協力を拒否することなどできるわけもなく、大々的に協力したわけです。済州島に立てこもって、日本の協力を得てモンゴル軍と対決しょうと訴えた高麗の武人たちを、高麗王朝はモンゴルと一緒になって攻め滅ぼしたんですね。(中略)

 朝鮮から侵略したことがなかったというのは、それだけの弱小国だったということを意味するだけで、自分達が戦争を嫌う平和な民族だったというのは、まったくのご都合主義にほかなりません。(中略)

 たしかに韓国は、度重なる異民族の侵入を受けてきました。それでもなお生き残ってきたわけですから、それを誇りとするのはいいことだと思います。しかし問題は、単に誇るのではなくて、それが恨みとなっていることです。韓国人はよく自分達のことを「恨の民族」だと言います。それは、歴史的に受け続けてきた受難のなかで、艱難辛苦によく耐え続け、立派に民族と国を守り通してきたということなんですが、何をバネにしてきたかといったら恨みなんですね。

 :韓国人は、ユダヤ人に強いシンパシーを感じるんです。つまり、優秀な民族ほど受難に遭うんだと、いや優秀な民族だからこそいじめられて受難をこうむることになるんだと、そう考えたがるんです。これもひとつの自虐史観なんですね。
 成功の方向へ歩んでいくことで恨を解体していくといいましたが、これは韓国の美学としていわれていることで、実際とはかなり異なります。実際には自分の置かれた不幸な境遇を仲間と一緒にありったけ嘆いたり、恨をもたらした対象に思い切りぶつけることによって、「恨が溶けていく」という感じをもつんです。ですから、文化的な意味での「恨の精神」とは異なり、一般的には心の内の恨を外へ向けて強く発散していくことになってしまっているんです。(『売国奴』 黄文雄、呉善花、石平《鼎談》ビジネス社)

真中 行造のページ 2008年1月25日より 引用
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