ついに来た、師走。
コロナ禍の年月、月日の経つ早さは半端ではなかった。
年をとると昨日の事さえ思い出せないことも多く、老いが時の経つ早さを感じさせるのであろう。
思い起こせば、この2年毎日感染者数を確認していた気がする、兄弟は京都、大阪、千葉、広島、子供は鹿児島、
大阪にもゼロになった日があったのに。 共存の今。
11月やなぁ・・と思っていたらあっと言う間だったが、11月を感謝だった・・で閉じた。
日々のお付き合いのお陰でお歳暮ではなく日常の頂き物すごく多かった、それは夫のお陰である。
夫に前から良く言われていた。「あんたは自分の物差しで人を見るから、腹が立ったり不足にもなるんやけど
わしは相手に合わせた物差しで人を見る、この人はこう言う人やからと思って付き合うから腹が立たないんや」
そうなのだ、ここが夫と私の大きな違いである。 凄いと思う。 偉そうなんだ私。
相手の喜ぶ顔が見たい・・だから、友人と繋がっている夫の本音はここだ。
横にいてはらはらすることもあるが、その時相手に嫌な思いをさせるかも知れないが、言う時は言う。
相手を思えばこそで、突っ込んで言う事がある。 尊び、信頼すればこそ言えることである。
所帯を持ち50年近い友人が多い。 いいお付き合いが続いているのは夫ならばこそかも知れない。
私はどちらかと言うと、その場をうまく取り繕おうとする、言いたいことを抑えて、人に優しく己に甘い。
若い時多趣味な夫に、子育ての最中良く遊ぶなぁと時に羨ましく不足に思うこともあった。
卓球、ゴルフ、麻雀、将棋、釣り、映画、読書、そうだ蕎麦打ちもある、ブログも。
老いて今、病と闘いながらも夫は趣味を楽しみながら、それに関わる友人たちとの日々がある、嬉しい。
どこそこへ行ってきたからとお土産が色々と届いた。
いざ何かあったら駆けつけてくれる友人が何人もいる。 すごい、夫の今を生きる中でとても有難い。
そんな今日、病院から帰宅した夫の目は赤かった。
卓球仲間から電話があり、4つ下の友人が定期検査中に病院で、容体が急変して帰らぬ人になったと。
10日前釣り仲間から頂いた大きなハマチ一本、お刺身して「あいつ好きやから」と届けたばかり。
その前には卓球の試合をした友人からの電話だった。 40年以上の仲の良い同士である。
病気と闘う夫はより複雑な思いだろう、私にも、緊張が走った。 誰も自分の明日は分からない。
おついたち、緊張感がはしる。
膝や腰の悪い私、走れないけれど、師走、ゆっくり、ひとつひとつをこなして行こう。
整形の定期診察だった。 1年前に右膝の手術をして定期的おさまり具合をX線で見て頂く。
整形の医師沢山の中「患者さんがもし自分の家族だったら・・」が先生のコンセプトである。
とにかく丁寧な説明、かける時間が長い。 患者は嬉しい、だが待つ人には精進である。
手術前の説明、夫と娘と3人で夜聞いた。 模型なども使いながら丁寧に丁寧に説明された。
患者や家族の不安を取り除いて下さろうとする、一生懸命説明された、すごいと思った。
不安はなくなり信頼感が生まれ、先生がこんなの初めてと言われるほど回復が早く、歩いた。
左膝はまだするほどはないと言われ、1年半が経った。 右は全然健在だが、同居は仕事量が違う。
とどめは東近江の・・がたたった? 未だに痛む。 来年同じ時期に手術を予定した。
イケメン、堅実、懇切丁寧、患者にとれば安心感大である。 「自分の家族だったら・・」が良く分かる。
尾籠な話だが、先生にだからと言って少し化粧を丁寧にしようが、ちょっと洋服を意識しようが、そんなもん!
いつも笑えてしまう。 X線の画像診断に映った下半身、レースのおパンティをはこうが写るのは私の・・!
最初見た時はショック、と言うより恥ずかしかった。 毎回、(いややわ・・夫よりも見られてるやん)
帰って夫に見せて、2人で大笑いする。 こんな風に映るなんてね。
診断の時私は、平然と向き合うんだけど我を捨てて。 優しい話術に恥ずかしさは、巻き込まれる。
帰りには深々と頭を下げるが、先生も椅子から立ち上がって深々とお辞儀をされる。
会計を待つ間は長い。 受付や入院や会計やお問い合わせや、人が入れ代わり立ち代わり。
高齢の男性、女性、奥さまの車椅子を押す旦那さま、息子さんや娘さん、あきらかに老々介護の人などなど。
我も通る道、行く道・・と思うと待合室には人間模様がちらり。 胸がいっぱいになる。
私達四姉妹は、一番下の妹は同居だったが、後の3人は親の介護の経験がない。 私も義母を看る事はなかった。
友人やブロ友さんでも、介護のご苦労、何人かのお嫁さん同士で交代で新幹線でお世話に行く方も。
実の娘達であっても、お互いに自分の生活もあるわけで、段々不運な空気になって姉妹で喧嘩になったり、
お嫁さん同士も不足や負担で、中々うまくいかない例も多々。
私達は、兄嫁さんのお陰で、何もこちらに頼まれたこともなかった。 夫の実家も同じく。
だから双方、兄弟や嫁同士でも何の問題もなく、兄嫁さんを労い皆が仲がいい。
親を看て頂いて下さっているので、5人兄弟普通に財産放棄していた、私の実家もそう。 当然の気がする。
365日暮らしているお嫁さんに、感謝といつも労う母には良く言われた。
「姑さんと同居していない3人は、核家族で人生を楽に生きてきた」と。 言葉がない。
私の4姉妹は毎日ラインしている。 おはように始まり、おやすみなさいに終わる。 昼間ああだのこうだの。
母は朝に晩にお仏壇に子供5家族を、父に手を合わせお願いするのが日課だった。
亡くなる半月前のビデオ電話で「お線香あげといてね」姉への最後の言葉、母の遺言?
「そうやわきっと」以来姉は朝に夜に実家や姉妹みんなの事をお仏壇に手を合わせてくれているのである。
私はバタバタしている時、自分事にかまけている時など、子供の事を忘れているときもある情けない親。
母のように、一時でも同居人はもちろんだが、長女長男家族に心を馳せ祈る毎日でなくては・・母のように。
夫に言われた「いい奥さんにならんでもいい、賢い母親になって欲しい」老いる身には少々不確かだが、
これも大事な私の勉めである。 母が天国からきっと言っている、一生が感謝 一生が勉強だと。
我が家の鉢植えの南殿桜が 秋・・いつからか色づきをはじめ 今日最後のひと葉になった。
最後の一枚、記念に写真に撮った。 そうだ芸術の秋、色鉛筆で描いてみようか、なんとかバトルの番組みたいに。
そんな余裕もない癖に。
部屋に置いてあるひとつの盾がある。 ””夫婦円満””の。 それには思い出がある。
2015年の元旦、義母は逝かれた・・97歳で。 最後の1年半を施設で過ごされた、認知症を患われていて。
心の中で(最後まで、お世話下さったお嫁さんだけは忘れないで下さい・・)と祈っていたが、叶わなかった。
訃報が入ったのが、元旦の夕方遅く、昼間からのおせちをわいわい言いながら娘達家族みんなで頂いていた。
翌日、しまなみへと、孫、ひ孫を乗せて車を走らせた。 中国道は雪が降ったり所々積もっていた。
子、孫ひ孫総勢36名が揃った。 鹿児島から息子も長男を連れ帰って来てくれた。
私は、これは賑やかが好きだった義母へのお天道さまの采配心遣いではないかと密かに思った。
皆さん元旦の朝は家族で祝うことが出来たし、三が日は皆お正月休みである。 そのお陰で皆が帰省で来た訳で。
全て自然の成す技なれどすごいことだと思った。
誰も分からなかった母ではあるが、せめて最後は後へ続く者たちで皆に見守られ旅立ちたい願ったに違いない。
人の悪口を一切言わなかった母、熱のあったひ孫まで見送られ旅立った、良かった・・救われた気持ちだった。
母もそうだったが、義母もデイサービスを好まなかった、どちらかと言うと嫌がった。
それは互いの兄夫婦の優しいお世話のお陰で、お姉さんの料理と家の居心地がとても良かったからである。
デイサービスに行っている時だけが、お嫁さんがほっとできる時間だと心得ていたのだ。 現実、そうだった。
最後まで家でお世話して下さっていた兄夫婦、一度結婚記念日にせめて一泊旅行でもと兄弟でプレゼントしようと
提案したら、「家を一度も空けたことが無いし、そんな日に何かあったら一生悔いが残る」と丁重に断られた。
気持は分からなくはない。 みんなでマッサージ器をプレゼントした、今でも置いてある。
その年の10月、夫婦揃って元気なうちにと、5人兄弟夫婦総勢10名で、3泊4日の北海道旅行をしたのである。
美瑛観光の夜、ホテルの部屋に入ったときに、「わーー! 何? すごーい!」
3人の子供たちから、コスモスの花、夫婦円満の盾、御祝い電報がテーブルの上に飾られてあった。
長女の提案でホテルに届けたのを花瓶に生けて下さったのだろう、10日の結婚記念日に祝ってくれたのである。
旅の途中、仲の良い兄弟夫婦皆が夕張メロンとケーキで祝い、夫と私に鳥打帽とブローチのサプライズ。
7年前の出来事である。 本当に夫の兄弟夫婦も仲が良い、盆暮れは、男4人でゴルフだった、必ず。
御祝い電報ほどの杉の木の盾で、私たちには気恥ずかしい円満・・の文字。
そこまで至らないが故に、日々部屋に飾るのは恥ずかしい、いつも思っている。 おばあさんなのに。
仲は悪くはない、それほど円満でもない、普通、私からすれば。
不運な空気の時、そらぞらしくて盾を裏返す。 表にしたり返したり・・ の7年である。 今は表。
ブロ友のyokoさんが、あるときブログにアップされていた”網ほおづき” まさに芸術である、感動した!
作り方は簡単、水につけておくだけです、とあり、丁度日曜に届く花のおじさんから頂いたのがあって、やってみた。
時々水を変える、袋の部分が溶けて葉脈だけが残る、すごく不思議、そして美しい。
上手くは出来なかったが何とか出来た、が、私にはyokoさんのように、素晴らしく撮るコツも技もセンスもない。
ただお皿にのせて撮った。 作っていますと言ったのでアップせずにいるのも気になって、落葉の二枚にのせて、
今日と言う日に重ねてみた。 いい夫婦の日。
本当に色々とあった49年間だった。 夫にも様々な思いをさせた。
何度も病気をして手術をして、今でも治療中である。
随分年上の方から「それだけ夫を痛い目にして、よほど悪い奥さんやね」と笑いながら言われたことがある。
私が悪いんや、私が。 言われたその言葉が消えない。 思い出すと泣きそうになることもある。
ごめんなさいと言っても変われないけれど・・。
でも・・「人生一生が勉強・がんばろう」いつも母はそう言ったから、一生努力する。
今日をより善く生きる為に。
「あんたとこは何があっても、いざとなったら家族みんなで力を合わせて乗り越えるから心配してないよ」
優しくも厳しかった母の、唯一の褒め言葉であろうか。 これも遺言と思っている。
「親が頼りないから、子供がしっかりするんよ」 そうとも言われた。
母・・懐かしい、もうすぐ百か日である。
毎日、盾・・表にできますように・・。
今夜の皆既月食 消極的な体勢に入りしデブ症な我も 全国的に晴れ 気象予報士が笑顔で言うと心が騒ぐ
秋の日はつるべ落とし 夕食の用意 気になる 暮れ行く窓の外
病院だった夫が 今日はしんどいと言う言葉に やめておこうかねの心ちらり
でもでも いつまでも当たり前に見られるとは限らない 歳と現状を思えばと思い直す
いよいよ6時9分のゴングが鳴る 夕食の準備整う
思い出した そうだ夫は 生まれ変わったら今度は可愛げのある奥さんをもらう と言ったのだ昔
「お父さん せっかくやし行こうよ」「おう行こう」のってきた 「ダウン着ぃ」 車のエンジンがかかる
360度見渡せる丸善アリーナのグリーンヒルズ 海遊館の観覧車やUSJも見える丘
と思いきや 「あがるの無理やわ」 夫はさがしたり公園のベンチ
暗闇の中 所々に人の声 子供の声 ジンベイザメの滑り台で スマホで撮るカップル
欠けるのは早い 一眼レフ没が悔やまれる コロナ・・君の精だ
(いえ、バッテリー入れたまま4年放置の私が悪い)
コンデジの一枚 手振れ防止なるも 撮る手が震え定まらないポイント 笑える
撮るよりも眺めたらいいや 夫がスマホで音楽なるものを流す 夜空を月を眺める 気分上々
闇だ 寄りかかろうか夫に そんな気はないけど
こんなとき思いしは あと何年こうして一緒にいられるだろうか まだ尽くしきってもいないのに
欠点が見えても 腹立つことあっても 夫婦は一対の反射鏡 ごめんね 悪妻で
娘がベランダから見える月を送って来た 少し寒いけどいい ここでいいのだ今夜は
ひとりづつ 帰って来ているようだ 友達と 部活帰り 今夜はそれぞれの皆既月食 それもよかろう
老いないために大切なことと 男前の部長さんがいつだったか話してくれたのを思いだして候
か・・感動 き・・興味 く・・工夫 け・健康 こ・・恋
恋? 車まで夫の腕掴んだ 少し細くなった身体を自身感じた なんかうるっとした
今夜はいつになく 皆既月食の話題も加わり もりあがる食卓の賑やかなり
孫たちが次々うんちくを語る ありがとう 同居して2年4ケ月の夜
朝曇りである。 今日は一日雨模様みたい。
31階から見下ろす・・久しぶりのキタは年々様変わりしている、驚くほど。
TVでは良く見ているが見下ろす右手方向はまだまだ開発地域である。
控えている大阪万博に向け、どれだけ変化して行くことだろう、大阪は。
妹夫婦とモーニング、ホテルの朝食は宿泊の大きな楽しみのひとつである、主婦にとっては特に。
それを妹夫婦と・・なんて、ほんと日本平ホテル以来、4年の年月が一挙に縮まる。
妹のくったくない明るさに惚れたんだろうと夫は言うが、義弟(私たちの1つ上)その上明るい。
仕事の関係で兵庫、大阪、千葉を繰り返し何度引っ越ししたであろう、子育て大変だったと思う。
話の途中で顔を見合わせる2人の顔を見て、心の底からの信頼と幸せが垣間見えて嬉しい。
昨夜は私達、今朝は妹達の部屋で、珈琲を頂きながら12時のチェックアウトまで話し込んだ。
3年近いコロナ禍を味わっているだけに、やはり顔を合わせ3年分のご無沙汰の話、いい時が過ごせた。
2人は今日姉の住む京都へ。 京都泊で母と長女を交え義兄の勤めるホテルでのイベント、行った平等院、
もう一度行きたいと宇治に宿をとっている
「ではまた!」「ありがとうね!」「無理せず気を付けてがんばろうね!」「胴上げしたいくらいや」
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おついたちである。 さて私の霜月や如何に。
あとふた月しかない そして令和4年は終わる!
どうしよ! 私、毎日今日1日自分がやること、これからやらなければいけないこと、メモして消去して行く。
日は経つのに、メモの数が減らずに書き足しが!
チラシや原稿や案内状やと頼まれもの、手紙や葉書等々、1日の家事に加え病院やだけもで結構いっぱいいっぱい
なのに。 1日があっと言う間である、怖いほど。
夜PCに向かい楽しんでいる夫が羨ましい、自分のノーパソ遅いものだから私のデスクトップ占領されている。
夜に記事書いて追いつきたいのに溜まる、それも不足。
8時頃寝ていることもしばしば。 余力は残っていない。
せっかちなので気持ちが焦る・・なんだか追われている気がする・・事柄に・・そして時間に。
時間、追っかけたいなぁ・・。
1日誰もが24時間。 落ち着け落ち着け・・ 焦るとろくなことない・・11日の出来事がそうであったように。
やっと警察さんと縁がきれた。
そんな気持ちの中で救われるのは、ブログ訪問である。 コメントは中々できないけれど、写真だったり、主婦の日常
だったり、そして自分たちと同世代の方の今一番気になる事柄、これからの心の持ち方処し方、現実的で身につまされる。
共感しながら、ほっこりもする。有難い存在である。
共感することが、焦っている自分に安らぎや元気や意欲をもらっているかも知れない。
閉鎖せずに良かった、たかが・・ではない・・されどブログである。
もうふた月しかないと思えばドキドキする、焦る、ストレスになる。
まだふた月もある・・余裕が見える、そこには!
深呼吸して・・これで行こう!
秋色の力も借りて!
令和4年、終わりよければ・・すべて良し・・となりますように。