後で、愛ちゃんが卒園式に誘ってくれたのは、どう言うことだったのだろうと思った。
来る人は事前に名前を言って、当日受付でチェックを入れる。 だから行きたいからと、急には行けない。
卒園式場には、おじいちゃんおばちゃんの姿は何人もいなかった。
ひろとが入園したのは、4月の1歳のお誕生を目の前にした時だった。
本当は私が子守りをするはずだったが、同居の娘夫婦にも同じ年の7月になつめが生まれて、2人は無理だろうと、
息子夫婦の方から察して、保育園に入れることになったのだ。
保育所では、風邪や色んな病気の伝染とかで、幼い時には熱やうつったりで休むことも多かった。
冬季など月のうち半分以上を、あずかることもあった。
私が娘と、かかりつけの病院へ連れていくこともあった。 顔なじみの女医先生から「お近くにいらっしゃるのなら、
できれば週2、3回位見てあげたらいいですね」と言われた言葉が、未だに忘れられない。
仕事柄、1人娘さんを生んであずけてすぐに働くようになり、朝に晩に働かれる女医先生の気持ち。
仕事のプロではあっても、母親としては、幼い頃は自分の膝の上で育てられなかったという悔いがあるようだった。
せめて3歳くらいまではと、親の愛情とはまた違う、そんなことに対する思いから「できるなら2、3日は見てあげて
ください」それは、願いのようなものだったと思っている。 あの当時、1人娘さんは成人したばかりだった。
我が家であずかるのは、体調の悪い時や熱のあるときで、あるとき腕の中で鼻呼吸しだして異変を感じて長女に連絡、
すぐに娘2人で病院に連れて行き、RSウィルスとのことで即入院、早く気付いて良かったと言われたことがあった。
愛ちゃんもインフルエンザになり、我が家でお泊まりしてあずかることもあった。
息子が料理人という仕事柄、夕方いないという家庭環境の中で、愛ちゃんも仕事をしながらどれだけ大変な思いで
頑張って来たことだろう。 なつめと同い年で2人とも思い出多く、愛おしく育っていった。
段々と、逞しくなり4月生まれと言うこともあり、背が高く足も速い。
なつめ同様に年々成長していく中で、私には1歳の頃お迎えに行ったとき、やっと上手に歩けるようになったひろと、
何人もの中できょとんとしていた姿を見たとき、ここで1日過ごしているのかと思うと、いじらしくて泣けた日の姿が、
目にやきついている。 熱が出るのはいいことではないが、我が家でみてあげられる日を夫とともに良しとしていた。
女医先生の言葉を思うからよけいにだった。
近くに住んでいるということは、どんなに有難いことだろう。
誕生日や季節の行事、事あるごとにみんなが集まって同じものを食べてお風呂に入って遊んで思いを深めてきた。
みんなでひろとやなつめを、3つ違いのまた同じ年に生まれたかんたとゆいちゃんを囲みながら成長を楽しんでいる。
成長を見守りながら、手の届くところで楽しみ暮らせるという幸運。
愛ちゃんのお里の遠いことを思うとき、ご両親へ少しでも安心していただけるようにと私たちの心得でもあると思っている。
30名の卒園生、長くいた園児から名前を呼ばれる。 6年間お世話になったひろとは早かった。
壇上へあがり園長先生から受け取った卒園証書を掲げる。
がっちりとして背も高い。 しかしやさしくておぼこいところのあるひろとの姿に、幼き姿が重なり、胸がいっぱいだった。
卒園児の感謝と旅立ちの言葉は長かった。 良くこれだけみんなで覚えられるものだと、感心するくらいに長かった。
それだけにこちらを向いて一番後ろで見え隠れするひろとの顔を、まともに撮れたらと何度もシャッターを押しながら、
涙が止まらなかった。 6年間のさまざまなひろとの顔が浮かび感無量だった。
卒園式に呼んでくれた愛ちゃんの気持ちが嬉しかった。 仕事だった夫には申し訳ないけれど。
ひろとの証書、愛ちゃんには表彰状をあげたい。
笑顔・・何度写真を見ても涙が出てくる。
午前中は長女がゆいちゃんをみてくれて、午後愛ちゃんとひろとは食事会なので、2人でみた。
長女が香港だったら、私は式に参列出来なかった。
撮った写真をTVで見る中で、ひろとが証書を掲げた姿を見た長女は泣いて、スマホで撮って画像を次女に送ったら
次女も号泣した。 それだけみんなが成長の過程を関われたことは感謝である。
4月には1年生、これからまた新たな6年間を刻んでいく。