日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 新年 *

2013年01月01日 | 行事


なんで繁忙だった年末なのに、書くと言う背景にしたのかと、今更ながら思います。  
皆さんからいただいた印刷の年賀状の方がずっとすっきりきれいなのに(昨年は背景を印刷したのです)
今年も遅れ遅れのブログではありますが、続けてと言う声も頂いたり子供たちへ残す伝言でもあると思い
ぼつぼつ・・綴って行こうと思いますので、どうぞよろしくお願い致します。

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今日の一日を追ってみた。

1人で行くのもね・・と迷ったが、6時過ぎに初詣に行く。  
毎年紅白が終わり午前零時から天満宮で頂く福銭をもらおうと、氏子さんたちは長蛇の列に加わってお参りするのである。
いつもなら寒さに肩をすくませ、夫と並ぶ行列、1人は寂しいので行くのをやめ、福銭を逃した。  

境内には誰もいなかった。  いるのは破魔矢などを売るテントの若い巫女さん2人だけだった。
しかしそれが返って、新年を迎えた私を敬虔な気持ちにさてくれた。
行く前にお賽銭2013円にしよっかな・・と思ったが、分不相応なのでやめた。
破魔矢とお守りをいくつか買って、おみくじをひいた。  大抵中吉や末吉なのになんと大吉である。 
毎年買っている細木数子さんの六星占術でも、今年はかなりいい年運びとあり、凶が出た年もあったので気を良くした。

一旦帰宅したが、せっかくだしなぁ(お化粧もしているし) 中央体育館の上、グリーンヒルズでご来光でも・・と向かった。
日の出は7時5分過ぎ。 
なんと自転車がいっぱいである。  らせん道路を避けて一気に頂上へ、すでに人がいっぱいで驚いた。
雰囲気を撮りたいと後ろを振り返るのも恥ずかしいので諦めた。 日の出の前には100人は下らなかっただろう。

山の上に雲があったので、瞬間見えにくく出たとしても、丸くうまく撮れなかった。
初日の出・・思わず手を合わせた。 
足を運んで拝めたと言うことは清々しく、嬉しかった。  
しかし家に帰っても、それを話す主はいない。

後ろから声をかけられた、ブロ友貝ちゃんだった。  公園へ向かう道すがら、話しながら降りた。

8時頃から料理を始める。
お雑煮の用意、海老フライ、から揚げ、ポテトサラダ、焼き蟹、あとはおせちのオードブル風そんなくらい。
料理の最中、香港から電話をもらって、長女夫婦、夫と新年の挨拶を交わした。

12時過ぎ息子と次女一家が揃ってやってきた。
「明けましておめでとうございます」 その言葉がいくつも行きかった。 
孫たちも親に教えられた通りに、「おめでとうございます」と嬉しそうに言いながら入って来た。  

とりあえず「乾杯!」と息子が言ったので、とっさにカシャ! 今はノンアルコールがあるので助かっている。
アルコールは酒豪の愛ちゃんのみ。  愛ちゃんには、夫の飲む相手になってもらえるので本当に大助かりである。
新年のお雑煮は我が家で祝うのが習慣になっている。  おなかをすかしたみんなの旺盛な食欲は嬉しい。
みんなでいっぱいになる台所の狭さは、お互いを気遣うやさしさであったりする、こんな瞬間不思議と胸が詰まる。

 
おせちは以前は作っていたが、ここ3年生協さんでとっている。 色々な種類が少しづつそれで充分。
それよりは温かいものがいい。 孫たちがいるので、普段と変わらない料理だが作っている。 
焼き蟹は好評だった。  ひろとやなつめもどんどんいける。  美味しいなぁの声を聞きながら焼く嬉しい気分。
かんたもゆいちゃんも、好きなもの一生懸命食べている。
幼児期の成長はまぶしくて嬉しい。  
みんなのわいわいと食べている姿に(どうかみんなが今年も仲良く、無事に過ごせますように・・)と心の中で思う。
この賑やかさが、密やかな私の宝ものである。

孫たちが待っていたお年玉タイム。 
香港の長女夫婦からあずかっていたし、神戸の夫人からもあずかっていた。 夫からや、息子夫婦、次女夫婦交換、
5つの袋を持って嬉しそうだ。 長女夫婦から、干支のお饅頭もお年賀にとあずかっていた。

残った料理は息子、次女家族でお持ち帰りしてもらった。
普段でも我が家は結構集まっているが、新年と言うだけで気持ちが新たまるから不思議だなぁ。 
1人めでたさに浸っていた。  さぁ、今年はどんな一年に・・。
年末近くまで次々と孫をあずかったり、親子が泊まったりでばたばたして、ろくに掃除も出来ていないし、年賀状も書けてない。 
夫婦で別々な初めてのお正月は、私にいい時間を与えて貰ったかも知れないと思っている。

朝一番実家の兄より電話をもらって、兄嫁さんや母と挨拶を交わした。 いつも向こうからかかる事は無いのに。
兄嫁さんに「私はこれからみんなが来るけれど、それがなければ誰とも話すこともない、けんつくさんがいないのでしゃべらない一日になる、
これって一日言葉を発しなかったら気が変になりそう・・と言った、神戸の夫人の気持ちを分かりなさいと言う事だったんだと思ったわ」
そう言ったら、「ふ・・ん、そんな風に受けとれるんや。 まぁその人の立場にならないと、本当の気持ちは分からないかもね」
母へのお礼を言ったら、兄嫁さんは
「お母さんがまだ元気でいてくれて子孝行してくれているので、大変に助かっています。 微力ですが一生懸命にお世話させていただきますので安心して下さい」
目頭が厚くなる、もったいない言葉をもらった。 夫がその場にいなくて良かったかも知れない。
息子の顔さえ分からなくて、会うごとに細くなる親の姿は、夫と言えどもせつない思いでいっぱいだろうから。 
喜んでくれてはいるが、夫の気持ちを思うと5つ年下の母の元気を手放しで喜ぶ訳にはいかないから。

子供たちが帰ったあとは、1人過ごすお正月。  
昨年の嬉しかったことも悲しかったことも、少しゆっくり思い起こすことが出来ると言うのは、必要な時間を与えてもらったのかも知れない。 
”一年の計”は、元旦ではあるがまだ確かなものではない。


* 来年の干支色紙 *

2012年12月13日 | 行事

今年もまた届いた。

福岡のブロ友ぷりんちゃんから、来年の干支色紙。

にょろにょろちゃん、その類が一番苦手なんだけど。
年賀状コーナーでも、マンガチックでもこればっかりが並ぶと、やっぱちょっとさぶい。
でも、これはかわいい。
白蛇って縁起いいと言われている。
毎年この忙しい師走に夜なべしながら、手作りで送って下さるお心に感謝である。
ぷりんちゃんとは会ったこともないし、顔も知らないのにね。

玄関の干支色紙が、今や我が家の人の出入りを温かく見守ってくれていて、まるでお守りのようになっている。 
色々と健康面では夫婦とも持病があるが、まぁとにかく無事ここまで来れたので良しとしよう。

戌の年に始まり、亥年、子、丑、寅、卯、辰、そして来年の巳年で8枚。
あと午、未、申、酉。  ひとまわりするまで、作って下さるみたい。
これってすごい、もうこれだけの年数を経ているのだ、私たち。

干支色紙が届いて喜んでいた夜、悲しいメールが届いた。  涙がとまらなかった。


* 七五三 *

2012年11月11日 | 行事

出かける前に、義母の遺影に手を合わせ、「雨がやみますように・・」 奇跡を祈った。

雨だと言うのは予報で分かっていた。
息子は日曜しか休みがないので、雨とて仕方が無いのである。  今日はゆいちゃんの七五三だった。

雨と言えども、子供にはそんなの関係無い。 おぱぴー!だ。
笑顔で主役を見事に演じきった。

立派な茨住吉神社。  昨年はひろとの七五三だった。

長女からなつめの初節句のお祝いでもらった着物、ゆいちゃんへ回っている。  
ひろとの七五三のときの、今日着ている洋服もかんた5歳の七五三に間にあう事だろう。

「かわいいでしょ」終始ご機嫌なゆいちゃん。
晴れていれば、神社をバックに庭で記念写真が撮れたのに。  2階の本殿の前が広いのでこちらで。
孫たちの健やかなる成長、切に祈りたい。

ポーズポーズで疲れたね。
草履は・・運動靴の方が歩きやすいね。

 さぁ、息子たちが予約をいれていたお店で食事会。  
「ゆいちゃんおめでとう! 乾杯!」  にぎやかなひと時だった。  

ゆいちゃんおめでとう!
笑顔を大切にね! 雨でも充分に楽しい七五三。


* 七夕飾り *

2012年07月06日 | 行事

明日の七夕は雨・・と言う予報。  でも行事だし。   

長女が生まれて2、3歳のころから、七夕飾りをするようになった。  子供たちとずっと飾って来た。
長男が仕事に就き1人暮らしをするようになり、長女や次女も一緒に暮らすようになり、夫と2人暮らしになった時があった。
時には娘が帰って来て一緒に短冊に書いたりしたが、夫と2人で飾った事もあった。  子供たちが日々無事で元気に過ごせるようにと。
或る時「今年はどうしようね」と言ったら、電話で長女が「ずっとやって来た事やからやってよ」と言うので、欠かさず6日の夜は夫と短冊を書いた。
そう言ってくれた事がなぜか嬉しかった。  あの時「もうええんと違う?」と言われていたら、やめたかも知れない。

子供が1人暮らしをすることは、ひとつは成長の証し。  母に子供の事を話したとき「そうやって成長しとんじゃね」と普通に言うものだから、色んな事が
あっても(そっか・・そうやって成長して行くんや) そう思えた事柄は多い。

息子が一番先に1人暮らしをしていた時、次女に言ったことがあった。 
「1回1人暮らししてみ、水道も電気もご飯も何から何まで全部自分で払って生活しなあかんのやで」
家にいると甘えが出る、女の子と言えど洗濯や食事・・働いていればつい親にしてもらう事は多いだろう。  1人暮らしより、ずっと気楽と言えば気楽である。
息子よ良くぞ言ってくれたと思った。  女の子だから心配はあるものの、次女も1人暮らしをしたことがあった。 
しかしそんなときこそ、家庭の有難味を感じたに違いない。  家庭を持つことへの、リハーサルになったかも知れない。

余談になったが、それぞれの独身時代を有意義に過ごし、今所帯を持ち家庭を築きながら、子供たちは立ち寄ったり休日には会ったり、会いに行ったり。
今はそれぞれの成長を目で夫と眺められる日々を、有難いねぇと良く言う。
今年は長女が帰国しているので、夜一緒に短冊を書いた。 義母に始まり・・私の周りの縁のある人々、今は震災の復興にも誰もが願いを書くだろう。 
頑張っているブロ友さんにも心を馳せながら。 不思議だけど会った事もないのにブログからその人を顔を仮想して・・いつの間にか。  
どうぞそれぞれの方たちの、痛みや苦痛が少しでも安らぎますように・・。

雨が降っている。  時に激しく。 風もある。  こんな夜でも夫は卓球あとは飲み会。   
長女は中国の旦那さんへ一番に書いていた。  長男や次女のうちも、保育園で持ち帰った七夕飾っていることだろう。  自分たちの短冊を足して。
激しい雨音を聞きながら、長女と短冊を書いて飾った。 
たった一度の織姫と彦星の逢瀬、悲しいね。  

70になっても、80になっても 1年に1度の遊び心、大切にしよ。  


* 神戸へ・・母の日 *

2012年05月12日 | 行事



まぁこんな事は年に一度あるかないか、昨夜深夜に香港から帰宅した長女、関空へ迎えに行った次女親子がいる朝。
夫は半ドン。 
朝なつめは我が家からプールに行った。 初回が半泣きだったのであんまり行きたくない顔をしていたが。
次女は「10回は行きなさい。 行きたくなかったらそれから考えよう」 そう言って聞かせていた。
お昼前に帰って来た、今日は楽しかったそうだ。 なつめは家のプールならなんてことないが保育園のプールの時先生に放り込まれた、
それが怖かったらしくて、トラウマにならなければいいが・・と、親は慣れさせるためにスイミングを選択したのだった。
保育園最後の夏、プールが楽しくなかったら可哀そうだし。

夫が会社から帰りお昼から神戸の夫人のところに行く事にしていた。  長女送り神戸へ向かった。
大阪市の税金の無駄遣い、高額なデザイン料を払って建設された見るたびにあきれる。

西宮ヨットハーバー付近

前回では、山の所々桜の花で白く色合いが違っていたが、もうすっかり緑に塗り替えられている。

夫人は駅前にできた”くら寿司”が気になるらしく、今度はそうしようと言っていた。 駅前は混むかもと、以前住んでいた近くのお店に行った。
夫人の親友が「一度連れて行ってあげる」と言いながら、急死したので回転寿司は私たちと行ったのが生まれて初めてだった。 
本当に好きらしい、夫がネタを選んで前に置くと次々と食べた。 いつも行く”スシロー”では自分でとっていたが、くら寿しには今衛生面で透明な
カップをかぶせていて、とるのにコツがいる。 前におじいちゃんがもたもたしていてぶつかり合ったお寿司のカップが私たちのテーブルへ落ちたことが。
 
「挑戦してみはったら?」 夫人には少し手の震えがあるので、無理と感じて今回は敬遠。
3人で30皿、これに赤だしのお味噌汁。 今までで一番多かった。 
くらでは5皿ごとに一回のがらポンゲーム、当たればおもちゃが出て来る。 2回当たった。 出会った母と2人の子連れさんにあげた。

夫は近くの温泉へ、私は珈琲をいただきながら話。  前に聞いた話、電話で聞いた話が殆どだった。
が、会うのは1ヶ月ぶりになるので、初めて聞くように「そう・・そうなんや」うなずきながら聞いた。 
「前に聞いたわ」とか「そう言ってたよね」なんて言うのは老人にはタブーである。  香港旅行の話もちょとした。
プレゼントのレースのブラウスを着てもらってカーネーションと写真を撮った。 服はぴったりだった。 実家の母の服を買うよりも上手に買える。

夫が温泉から帰り、お茶して引き上げることに。  団地の植え込みにはポピーが咲いていたので一枚。
2年くらい前は、車の所まで降りて来て見送ってくれていたが、今は足がおぼつかないのでベランダから見送ってもらっている。
小柄な背丈の夫人が手すりにつかまり身を乗り出すようにいつまでも手を振る姿を見るのは、辛いものがある。 
最近帰りには、いつまで寝込まずにおられるだろうか、もしそんな時がきたらその時はどうすればいいのか私たち。 
思っても仕方ないが、年を月を重ねるたびに老いを増す事への危機感を心の奥に感じながら少し無口になって帰路へ、それはいつも。