病院の扉を開けて患者さんが多くなっていたのに驚いた。 多分風邪ひきやインフルエンザの注射。
出来るだけ離れた所の椅子に座り本を読む。 読みたい本があっても家では中々読めないが、
待合室では悠々と読める。 待ち時間が長ければ長いほど。 いやそうでもないか・・。
「いいえ、主人はいないのよ、いないと言うか別れたんです、上の子供が六年の時にね。
主人が息子を私は娘をね」 (あれれこんなところで身の上話・・、話の主人公は70歳くらい)
「こっちへ越してきたんですけど、どこの喫茶店がおいしいです?」 「パパスやね」
「あらやっぱりですか、私も行くんですよ、あそこのオムライス美味しいですよね」
(は~、私も仕事してるとき、ランチに行ってたパパス・・ 話している人、70歳代)
「育て方間違うたんやと思いますわ、息子も娘もおんねんけど寄って来へんし侘びしいもんですわ」
(気づいただけ偉いよお母さん・・、お気の毒なことに60歳前後の方である)
「うちもそうやわ、子供ってね、えらそうに一人で大きなったような顔をして」
話し声が段々と大きくなって来た~! にぎやかな待合室(え?? みなさん、どこがお悪いの?)
読んでいた本に書いてあった。 「風呂」「飯」「寝る」の『三語父親』の家庭には、会話にも明るさがない。
子供に色々と問題を抱えた家庭を統計的に見ると、ユーモアのない家庭があげられるのだそうである。
一見幸せそうに見える家庭でも、中は全てが理想であるわけではなくてそれぞれに悩みもある。
しかしみんなが悩んでいても仕方のないことで、ユーモアがあればなんとか乗り越えて行けると言うのだ。
そう思うと我が家だって結婚して33年、数々と抱えた悩みや苦労があった。
しかしみんなでじめじめと悩んでいた訳ではなく、夫や子供たちのそう言った部分、プラス思考や
根底にある心の中のユーモアな部分でなんとか乗り越えられたのではないだろうか。
斉藤さんは、『三語父親』からユーモア父親に変身してもらいたい、家族の長の変身が家庭の雰囲気を、
がらりと変えてしまうのであって大方の悩みもうまく言えば取り払われるはずなんだと言う。
*** 斉藤茂太さんの著書より抜粋 ***
ユーモアの分かる人間に育てることこそ、親の役割だと信じる。
ユーモアが子供の人格形成にどれほど役に立つか、その価値を軽視してはいけない。
子供は思春期を迎える時期、誰もが大きな悩みを抱える。 これは人間の通過の通過しなければならない壁だ。
この壁をどう乗り越えるか、子供にユーモアを理解する心が備わっていればうまく乗り越えられる。
悩みは大きくても、心のどこかにユーモアを楽しむことの出来る余裕がある。
余裕があるからこそ、大局観に立った正しい方針を選ぶことも出来る。
思春期だけではなく、大人になっても、一生を通じてユーモアの大切さは変らない。
苦境に陥ったときも、なんとかしのいでいけるはずだ。
ユーモア教育こそ、家庭にいおけるいちばん必要な教育であると私は信じる。
偏差値教育に血相を変えるべからず。
家庭のあり方においても、子供の成長過程においても、ユーモアの価値を認めるべし、だ。
いつもの肝臓の注射のついでにインフルエンザの注射もお願い、私が最後の患者になった。
私だって毎日、いじめや子供の自殺の報道にどうやったら無くなるんだろう毎日考えたりしている。
斉藤茂太さんのこのような家族の愛し方って、大切なのではないだろうか。
尊いひとつしかない命、子供が死を選ぶ前に、最も身近な家族は助ける力になれないんだろうか。
大人が変らないと・・、親が変らないと・・、子供は変らない、そう思っているのだけれど・・。
ユーモア:思わず笑いがこみあげてくるような、温かみのあるおもしろさ。
上品な滑稽・洒落
* 菊の花・今日の一枚 *