日々雑感 ~写真と思い~

今日と言う日は、二度と来ない。 
だから今日を大切に・・そんな私のデジカメ散歩 

* 母の老い・・ *

2009年03月02日 | 雑感


先日、実家から八朔が届いた。  供えたあと、ひとつ味わってお礼の電話しようとしたとき兄の方からかかった。
会社からだった。 「ひとつは酸味のある方で、もうひとつは普通、使い分けて」珍しい電話だった。
「息子たちがお嫁さんもらったんだし、うちの方へはもういいよ」「あんたとこには、世話になっとるんじゃから」
実家へお礼の電話をした。 母が荷物は兄がしてくれたんよと言う。 兄が・・は、初めてのことである。
「もう大儀で、ようせんかったから」と言う。 白内障になり、好きな手芸もやめているようだ。

高校を出て就職をしてからずっと、柑橘類の時期になると良く荷物が届いた。 
お菓子や手荒れのひどい私に花柄のゴム手袋や、手芸品や筆まめな母の手紙も入っていた。 
開けるのがとても楽しみだった。 みかんもきちんと詰めてあり、ひとつでも沢山食べさせようと言う母心。 
箱を開けると故郷の香りと母らしい中味に、嬉しく思いながら気弱な時など、胸がいっぱいで泣ける事もあった。

兄嫁さんは「お母さんが詰めちゃったんよ」いつも必ず伝えてくれていたが、兄が詰め荷造りし運んだそうだ。
交代なら嬉しくもあるが、まさに母の状態をそれとなしに伝えることでもあると思うと寂しくもあった。
「老いが進んで・・」帰省の度に兄嫁さんの労わるような言葉を聞くようになり、何十年も欠かさなかった
みかんの箱詰めや、選果場の仕事をやめてから、手を動かさない時はないほど手芸を楽しんでいた母。
人さまにあげることや、今ではお土産売り場から頼まれたりもして、それが大きな楽しみでもあったのに、 
今は手芸の手を休めて「お昼を食べると横になってTV見たり、寝たり起きたりしとんよ」ゆっくり言った。
母が楽しみでしていたことが、急に無くなって消沈しているかのようだ、まるで定年を迎えた戦士のように。

昨年は「二人の孫の結婚式が終るまではがんばらんと・・」と言っていたが、その二人が今年パパになる。
「曾孫が生まれるんじゃけえがんばらんと」 1月には初、内曾孫が生まれ四世代同居で沸いている実家。
後3人生まれてくる曾孫をを楽しみにしている母ではあるが。 
「曾孫もじゃけど、お盆にはお父さんの33回忌があるんじゃから、みんなで帰るから元気でいてよ」

母にしてみたらいつも「みんながようしてくれる、自分は瀬戸田一の幸せものじゃ」が口ぐせで、
人の悪口は言わず、なんでも感謝に置き換えて、みんなが仲良うに・・と言い続けてくれている。
まわりを照らしながら、身を溶かしてゆく・・ まるでろうそくのように・・。

あのことが終るまで・・それが、今の母を支える生きる目標なのだろうか。 
病に伏しては息子夫婦に、みんなに迷惑をかけると、健康に気をつけてきた母ではあるのだけれど。
幸せいっぱい・・54歳で夫が他界し、寂しくはあったがすぐ出来た内孫に励まされえ元気になった母。
何かが終った時、すうっと眠るように・・もしかしたら・・電話を切った後そんな気がして仕方なかった。
私の妹の旦那さんのお姉さんが、突然に帰らぬ人となった訃報を聞いた後だけにそう感じてしまった。
兄嫁さんは母には申し分のない、私たち以上に娘になりきっておられ、誠に感謝に絶えない。
たまたま夫が次男だったし、遠方ゆえにお互いに兄夫婦に親を任せた人生を歩んできたけれど、
365日老いて行く親と同居、お世話いただく事がらに、言葉に出来ない申し訳なさのようなものを感じる。
核家族でどんなに頑張ろうと、同居している兄嫁さんんたちのようには娘になりきれていない自分を寂しくも思う。

お正月の同窓会や、今月の旅行でも親と同居だったり、介護をしていたりで来れない人たちがおられる。
自分たちが思いのままに行動出来ることがらは、お互い申し分のない兄夫婦であるならばこそなのだ。
昨日の友人との電話から、自分たちの残りの人生への出発の記念旅行ではある訳だけれど、
これは兄夫婦へ、感謝する・・そんな旅行でもある・・とそう思っている。


* 月の初め・・ *

2009年03月01日 | 雑感


   白川郷からの帰り、家の近くから家に電話をしたら「実は・・なっちゃんが・・ 」どうやらノーパソが潰れたようだ。
   かなり立ち上がりも遅く、重かったので夫もブログ更新にいらいら買おうかと迷っていたところだったし仕方ない。
   購入するまで私のデスクトップを、夫、私、娘の3人のブロガーが使用していた。

   セイ君がお世話してくれて、昨夕娘と新しいノーパソを購入して持ってきてくれた。
   パスワードが書かれたもの、何処へしまったか・・無い無い! 部屋の物置などあちこち探し回った。
   (あ・・ない、今夜はインターネットが繋がらない・・)でももう一度・・最後・・と思って探した。
   なんのことはない、机の下の、カメラの箱に入れていた。  もう入れた記憶さえ全く無いからぞっとする、怖い。
   設定する時間より、探すのに時間がかかった、繋がった~ばんざ~い! もう9時。

   新しいのはいい、やっぱり。 私のも段々と重くなって来ているし・・あ・・いいなぁ。
   女房と畳は新しいほうが・・もうこんな言葉は死語だ、我が家だって畳の部屋はカーペットだし、無い。
   パソコンも新しいのはいいわ~、女房は? どうなんだろう。 

   月の初め、1週間前は白川郷、金沢、越前海岸・・信じられないような時間を過ごした。
   夫は卓球の区民大会に、長女夫婦は次女となつめを連れて服部緑地公園へ、展君は会社の野球、
   息子夫婦は家族で布引の滝へ行っていると言う。 みんながそれぞれに楽しんでいる一日。
   こんなことがやはり嬉しい。 風邪が抜けないので私は家、昨夜ひっくり返した押入れや部屋の片付け。


   部屋の物置に入れてあるものから出てきた。 見ればただの石である。
   しかしこれは・・高三のとき、夫の高校の修学旅行の時だった。 何日か前に単車の事故で足を骨折、
   修学旅行に行けない日曜、バスで我が家へ来たのだ、松葉杖をつきギターを抱えて。
   我が家の近くの海を見に行って、草むらで私は海を見ながら、夫の弾くギターを聞いていた。 
   海辺へ降りた。  「9つづつ小石を拾おうよ、後のひとつは二人の愛で埋めよう」なんちゃってなんちゃって。
   そしてお互いに拾った小石を交換して持っていた。 これは夫が拾って私が持っていた石。
   夫が選んだのはごつごつしたような石、不思議と私のは丸みを帯びた石ばかりだった、
   夫が持っていた私の石もまだある、箱一杯の手紙の束と共にしまっている。
   まるで純愛小説みたいな? そんな私たち今思えば、田舎に居ながらませてたんやなぁ。

   秋元順子さんの歌の中に、「過ぎた日々を 飾ることより あなたと生きる これからの時間(とき)」とあるが、
   まぁ、出会いがあればこその今だから。 思いがけなく出てきた石の箱、なんでやろう今頃、何を教えてるのかなぁ。

   そんな事を思いながら過ごした休日、夕方夫の方の同窓会の責任者の方から電話があった。
   中学で私も仲良くさせてもらった友人である。 あの頃を想像する声とは随分違って貫禄があった。
   「紳士な声やね」って言ったが、多分彼にはなんのことか分からなかったであろう。
   夫は卓球の後の飲み会で不在だったので、しばらく14日の還暦旅行のことなど彼と懐かしく話をした。
   小石の思い出に加え友人からの電話、いい学生時代が過ごせた自分を幸せに思った月の初め。
   還暦旅行、お世話下さる方は天候や時間や人数や、見えないところで本当にご苦労さまと思う。
   旅行とて当然ではなく、三つ上の夫の姉が私たちは祝いの会さえなかったのよと言う。 
   改めて企画して下さったことに、大いなる感謝である。