松飾りがとれて、いよいよ本格的な2013年の始動、自分自身のなかで、そう言った気持ちである。
松や〆飾りを持って行ったのは3時頃だった。 今日のどんど焼きは終って宮司さんが片付けられていた。 出遅れた。
いつも宮司さんや地域に貢献しておられるお歴々のおじさま方が、〆飾りや古いお札を談笑しながら焚いて下さっている。
顔なじみだし、以前はブロ友由さんのかっぷくある義父さんがいつもおられたなぁと思いながら持って行った。
今は入院されておられるが、いつかまた加わられたらなぁと昔の笑顔いっぱいの姿を思い出していた。
今年は私のおみくじ珍しく大吉なので持ち帰ったが、凶とかの人も多かったのかな、
絵馬やくくりつけられたおみくじのそれぞれのものへ人々の願いが込められているのを感じた。
今日からまたぼつぼつ歩こうと、遠くのスーパーへ行った。 やめといた方が良ったかなぁ、行く道からそう思ってしまった。
やはり荷物を持って帰るのは、負担がかかり両膝が痛い。
痛いと思いだしたら途中挫折しそうなので他の事を考えながら、休憩せずに必死で歩いた。
携帯にセットしている消費カロリーや脂肪燃焼カロリーの数値はやはり魅力だから歩きたいのに。
なんとか膝の筋肉を鍛えてウォーキング出来るようにならなければ。
昨年のこの時期は脊柱管狭窄症で歩行が思うように出来ず、痺れや痛みの日々に夜まで泣かされた。
そんな感覚がまた襲ってきているような気配がする。 パソコンをしたあと、まともにすっと立てない。
腰痛に加え、膝関節痛、首の左の頸椎・・おまけに右の五十肩もなかなかしつこくて治らない。 泣きたい夜もある。
何と言う年の初めだろうと思ったが、母に言わせれば「それくらいですんでいるから、有り難いよ」なのだ。
今年の指針云々よりも、まずはわが身の健康が一番、第一歩であろう。
でないと何処へも行けないし、好きな写真も撮れない。
それでなくとも、写真らしい写真は撮れず押すだけの生活記録写真が多い。
夫も体重がマックス、同じく腰痛や膝関節の痛みの軽減策の為にも、減量を強いられてストレッチを始めた。
どちらが早い結果を出せるか、まるで競争しているみたいだ。
滅多にかかってくることのない神戸の夫人から、午前電話があった。
「いっこも電話が無いから、孫でも具合悪いんかなぁと思って心配になってかけてん」
「あらお正月2日、一緒にすき焼きして食べましたよね、5日けんつくさん香港から帰って来て電話しましたよね」
「頭が悪うて悪うて。 電話をくれへんからおかしいなぁと思って」
「すみません、ご心配をかけて」 (忘れてるんやなぁ) そう言えば、先週かけてないんだ。
10月手をねん挫したとき、毎週行くねと行った時、夫は「そんなに一生懸命にがんばらんでもいいんじゃないか」と言った
手が治るまで2ヶ月かかると言っていたので、治るまではと毎週行く事にして通ったが。
「あんたが毎週行っていたから、来てくれるのが当たり前で待つようになったんやで。 前は月一やったのに」
こう言われて3か月前「そんなに一生懸命にがんばらんでもいいんじゃないか」と言った夫の真意を初めて悟った。
「4時に新大阪に着くけど、おとん行ける?」 息子からメールをもらったので、夫と迎えに行った。 おとん・・って、照れちゃって。
3泊4日の福岡、長崎旅行から息子一家が帰って来た。
4人の元気な姿を見たら、自分の中の意気があがるのが分かった。
こうやって若い者や孫によって、私たちは気持ちを若くしてもらっているのだろうなぁと思った。
姉や妹から、夏に入院していた姉をサプライズで見舞い、4姉妹が揃って撮った写真を見た兄が
「大阪がえらい若うなったなぁ」と言っていたと言うのを、何度か聞かされている。
それは子供や孫たちのお陰だろうと思っているし、千葉の妹が「みくさんはいつも写真うつりがいい」そう言うが、それは当たっているし。
私、夫のブログで雰囲気分かってしまっているだろうが、実物はしわだらけのおばあちゃんなのだ、最近特にひどいと感じているから。
夫がブログに載せようとしているとき「ちょっと、こましなのを載せてよ、あんまりぶさいくなのはやめてよ~」横から、ひと言入れているし。
昨日は雨だったが、ハウステンボスは良かった・・と楽しげに話してくれた。
お姉さんや妹さん親子5人、息子一家4人、総勢10人の旅である、いとこたちの再会それだけでも賑やかで楽しかったのは言うまでもない。
妹さんは小学1年生を頭に3人の男の子、普段同じ年と言えどもなつめ、ゆいちゃんやかんたで自分が一番上のひろとには、
同等に遊べる1年生のいとこの存在が嬉しくて、福岡の駅で見送られる時泣いたそうだ。
4時半、御堂筋のイルミネーションが点灯した。
難波神社で夫は初詣に行くと言う。
眠いと言っていたゆいちゃん「いく~!」
立派な本殿、大きな鈴。
2礼、2拍手、1礼・・パンパン・・夫がするように、ゆいちゃんもした。
合わせる小さな手があまりにかわいかったので、写真を撮り忘れた。
ここの表の石塀にはいくつもの大きな絵馬がいつもかけてある。
帰って夕食も大変だろうと、ドームまで帰り、ひろとの大好きな回転寿司へ。
私の何倍もの笑顔の夫。
「はい、お鏡開きのおぜんざい」持って来ていたのを愛ちゃんに渡した。 みんなおぜんざい大好きなのだ。
息子一家の遅いお正月休みが終わった。
こうして本格的な年の働き、動きに入って行く。
三連休。
夫は麻雀やゴルフ仲間との新年会でお昼から出て行った。 いつも日曜うちっ放しの後は新年会みたいに飲んでいるのに。
その後は年初めの麻雀。 次女一家はハーベストの丘へ行った。
はい、亭主の元気がいい留守である。
本当なら長居植物園へ行くつもりだった。
しかしマーブルビーチへ行った時、あの石の浜を歩いて完全に膝をやられてしまった。 両膝の痛みを抱えてしまった。
歩けるかな・・無理かな・・どうしよう・・迷いに迷ったが、元来のデブ症、あきらめた。
今日はブログの友達、あいさんの初めての月命日である。
生前、入院した彼女を励ます意味で、あいさんのブログ”~今がしあわせ~”の詩に写真を入れ2L版の写真紙に印刷する。
「詩集を作って送るね」と約束したのである。 入退院を繰り返す彼女に20ページの詩の写真集を送っていた。
まだ5冊しか送っていない。
喜んでくれた彼女は「お孫さんで忙しいのは分かっているから、決して無理をしないでね。 私はまだまだずっと元気で生きているから」とそう言っていた。
6作目をクリスマスに送るはずだった。 買い物をした時に見つけた、スワロフスキーのシルバーベルとお菓子を一緒に。
間にあわなかった。
12月13日、あいさんの携帯からメールが入った。 ご主人さまからの訃報のメールだった。
6作目、せめてあいさんに届けたかった、見てもらいたかった。 頭が真っ白になったと同時に、大きな悔いが残った、大きな。
憔悴した私に、夫が「いいじゃないか、悔いた分ずっとあいさんを思う事が出来るのだから」
そのやさしい慰めは、私の気持ちを救ってくれた。
クリスマスに6作目を送った。 あいさんのブログ”~今がしあわせ~”の中には、闘病が始まる前の月の詩は、過去ログには見せていない。
なぜ闘病が始まった時からにしたのだろう。 それまでだけでもあと120作はある。 それをまだ私は追っている。
思ったのは、終わるまで月命日に送ろうと思ったのだ。
闘病からは見えるが、過去ログに見えない部分をせめて詩集にしてご家族に送らせていただこう。
その詩集をお通夜やお葬儀の折に参列された多くの方が手にされあいさんを偲ばれたと言う。
彼女の生きた証し、思いや願いが託された詩は残された。 ご主人さまやお身内の方に想いでとして残してさしあげたい、そう思っている。
それはあいさんとの約束を守るためでもある。
今思えば、急ぎ過ぎたあいさんの死、惜しまれるお身内の方に(残して欲しい)そんなあいさんの遺言、声なき声かも知れないと思った。
7作目、昨日ポストに投函した。
今朝7時20分のリムジンバスで、長女は天保山から関空へ向かった。
4日夫とサプライズで帰国し、中6日・・あっと言う間の滞在だったが毎日意欲的に動いてくれた。
今日はお鏡開き、お鏡餅をさげてお餅を割りそれを焼いておぜんざい等に入れて食べるのだ。
今は三宝までついた簡易的なお鏡で、中にひとつづつパックされた小餅が入っている。
これが売り出されるまでは、昔ながらのお餅の二段重ね。 11日には硬くなってひび割れたりしたものだ。
当たり前だがそれがまたお正月から日が経ったと言う味でもあった。
今はひび割れる心配はないが、味気ない。
あずきを買っていたので朝からお鍋でことこと煮て、おぜんざいを作った。
残念ながら長女には食べさせることが出来なかった。
おぜんざい・・とは言ってなかったが、夕方次女一家が保育園のお迎えの帰りに寄った。 展君は用事でお休みをとっていた。
「お鏡開きやから、おぜんざい持って帰る?」 「自転車やから、よばれて帰るわ」
そうこなくっちゃ。 夫と2人ではね・・
夫には悪いが、みんなと一緒にお先にいただいた。
七草を珍しく逃した私は、これも欠かしたことは無いが「これはきっちりしないとね」と言おうとしたら・・なつめが・・
「ばぁば、七草出きひんかったから代わりにおぜんざいはちゃんとしたわけやね」
ギョギョ! 6才がこんなこと言うか!
「おばさんやわなっちゃん」と次女が言った。 ほんまにそうやわ、おばちゃんが言うなら分かるが。
ほんとおかしなこ。
人の耳をさわりたがる子供らしいクセがあるが、レモン好きでレモンは普通にかじる、酢の物好き、ゆず茶を飲む、それにお醤油フェチ。
そしてうちへ来ると必ず温かい飲み物をリクエスト、田舎から送ってくれる”ふるさとレモン”「温かいの作って」と言う、夏でも。
来たら必ずアイスを食べたりするのに、飲み物は温かいもの 身体を冷やさないからいい。
生まれた時は健康を案じたほどの子だったのに、次女に似て結構風邪にも強い、健康に育つだろうなぁといつも笑いながら見ている。
おばさんと言うのは、いいものである。 長女も子供の頃から良くすることが古くさいと言われていた。
その古臭い・・は貴重だ。
私が行事ごとを大切に思うのは、小さい頃からそれを大切にしてきた母を見てきたから。
当たり前のように身についていて、行いみんなで味わうのも、”家族の和”に繋がるからである。
なつめもきっとママになった時、お鏡開きにはおぜんざいを作って「無病息災やで」そう家族に、子供に言いながら味わうことだろう。
今朝、息子一家は遅いお正月休みで、愛ちゃんの妹さん一家のいる福岡へ行き、鹿児島のお姉さんも合流することになっている。
長崎のハウステンボスへの旅行に、新幹線で発った。
お鏡開き・・今年はたけないだろうから、帰ってきたらおぜんざいを持って行ってやろう。
探しものは何ですか~(実は・・その・・) 見つけにくいものですか (どうだろう)
カバンの中も(見ました何度も) つくえの中も(もちろん、何度も)
探したけれど見つからないのに・・ まだまだ探す気・・(もちろんですよ)
探すのをやめたとき、見つかる事も良くある話・・(そうよね、でもそんなの待てない)
井上揚水的心境
あっは・・
昨年12月23日、クリスマス会の前日、次女夫婦が長女夫婦の家に行った後、持ち帰り晩ご飯をうちで食べた。
夫が急きょ香港へ行く事になって、いい方の旅行カバンがあるからと長女に言われ取りに行くつもりが。
鍵が無い!! お鏡も飾りに行ってあげようと思ったのに、その時初めて無い・・と気づいた。
常時我が家に置いている、長女夫婦宅のスペアキー。
夫は旅行カバン、我が家にあるのを持って行った。
鍵は家の中にあるはず、この部屋にあるはずなんだけど・・サイドボードからTV台の下からあらゆる所、隅々まで
毎日探しているんだけど・・見つからない。 ・探している時は中々見つからないものだが、
そのうち見つかるだろう・・等と、悠著なことを言えるものではないのだ。
お正月も探した。 申し訳ないのと、安心してもらうために長女が香港へ行く日までには見つけなければ。
今日は・・新たな気持ちで本当に新たな気持ちで一から・・。
パソコンデスクからレターボックスからとにかく機器接続の物も全部、とにかく全部移動して・・何もないところから
一から置きなおした。
置いたデスクとごっついこたつの敷きパットの境目に・・入り込んでいるよ~!! え~探したんだけどなぁ・・探したはず。
やった~! あった~! 1人でバンザイした。
これが出るまで、記事を更新している場合では無いと、毎日探していたのにね。
2階は当然だけど、持って行くはずの無い3階も4階も・・探したさ。 もうひっくり返して、あれこれと。
何をやっても気持ちがすっきりしなくて。 落ち着かない日々だった。
肩にのっかっていた重い、大きなの荷物が降ろされて軽くなったって感じ。
何を意味しているんだろうか、これって。
パソコン周りがすっきりした、やっと。 これか? ここを片付けろって?
9つもある接続コード、はずしてきれいに整理したつもりが・・ネットが繋がらない!!
何処か接続が違っているのだろう・・が、分からへん。
せっかくブログ更新出来る!と思ったのに。 明日長女に見てもらおうっと、どれだけ考えても私には能力不足だ。
いいさ、ネットが出来なくても。 探し物は見つかったから、ひとつ。
探すのをやめたとき見つかる事もある・・(いえ、探せばこそ出てきた訳で・・)
ふぅ~・・とりあえず一件落着!