2004年1月下旬に退院。
自宅へと帰るタクシーの中で、「あー、生きて帰れたんだ。」と(大げさではなくて)実感。
窓から見える表参道の景色が眩しい。またここに元気に遊びに来るような日が訪れるのだろうか。
自宅に着き、ドア開けると、義母が息子を抱っこして迎えてくれた。
息子(生後8ヶ月)は嬉しそうにというか半分不思議そうに私に抱っこされる。
あああー、暖かくて柔らかい。ふ~、やっと家だ。またいっしょに生活しようね。
おっぱいないし、髪の毛も無くなるけど、びっくりしないでね。
義母は大阪に帰らず、しばらく私のサポートのためにいてくれる。
(当時の手帳をめくり、思い出しながら書いています。)
なるべく日常を早く取り戻そうと、子供の予防接種や子育て教室やらに通った。
ベビーカーで散歩にも出かけた。駅周辺にはベビーカーを押しているお母さんがたくさんいる。
どのお母さんも健康で元気そう。“がん”なんて無縁に違いない。それに比べて私は
助からないがんになってしまい、その上おっぱいもない。元気そうなお母さんたちは、
子供の将来の事考えたり、成長を楽しみにしているんだろうな、成長を見届けるなんて
母親として当然だし。でもその当然のことが、私には多分叶わないんだ。子供の成人式
どころか、小学生いや幼稚園に通う姿さえ見られるかどうかわからない。まだ赤ちゃんなのに、
いつ別れが来るかわからない。そんな思いを抱えたまま子育てしないといけないんだ。
そんなの辛すぎる。そんなのきっと私だけだ。
他のお母さんを見るたび、必ず条件反射的にそんなことを思ってしまう。そしてその度に
悲しくて情けなくなる。私は、私だけはこっち側の世界に入ってしまったのだ。数年以内に
死ぬかもしれない世界。私だけ・・・世界が違う、景色が違う。すごい孤独感。
若いお母さんだけではなく、私よりうんと年上のおばさんやおばあさんを見ても落ち込む。
あー、こんなに長生きできていいなあ、孫もいるんだろうな、私は恐らくそんなに歳をとる
ことができない。コワイよ、コワイよ、私は、私だけこれからどうなるんだろう。
今ベビーカーで子供連れて散歩しているけど、1ヶ月後は、半年後は、来年はどうなっているんだろう。
考えてもキリがない、意味がないことを、ぐるぐる考えては落ち込む。自分ではどうすることもできない。
こんな精神状態だから、家でダンナにあたることも多い。
「あなたはがんじゃなくていいよね。私はあと数年しか生きられないんだから、何をしても
意味ないし。」
「キミには○○(子供の名前)がいるだろう、まずそのことを考えなよ。」
「そんなこと言ったって、もちろん子供のことは第一だけど、それとこれは違う。
不治の病は不治の病なの!もうダメなの!」
もう、こうなるとだだっこ状態だ。自分でもどう気持ちを整理していいかわからないのだ。
義母は「○○(子供の名前)もおるんやし、絶対治るて。治ってくれな困るで。
明るうしてれば病気かて逃げるよって。」
力なく苦笑するしかない私。
(今考えても、ひどい精神状態だったと思います。)
退院後、通院は週1~2回。抗がん剤や傷の処置の他、精神科にも通っていた。
精神科ではカウセンリングのみで、薬の処方は確か無かった。薬をもらっていてもよかったかも、
と今は思う。
抗がん剤CEFの副作用は、投与当日の夜が数時間気持ち悪くて動けないことと、その後数日間
軽い気持ち悪さが続くこと。だるさもあったと思うが、当時は副作用かどうかよくわからなかった。
髪の毛も抜けてきた。洗髪後にごそっと。初めて見るそれは、恐ろしい光景だった。義母も泣いた。
(3回目ともなると、バリカンでさっさと刈って息子に触らせて遊んでいるんだけどね。)
そして、さらに落ち込みのピークがあった。退院後2ヶ月ぐらいのころ。
そう、民間療法のクリニックに行くために用意してもらった、診療情報提供書。
気になって封を開けると、そこに病理診断書があった。数字とアルファベットの羅列で
難しそうだけど、いちばん気になっていた、リンパ節転移数・・・・27個!驚愕の数字が
飛び込んできた。一気に落ちた。少しは前向きになろうと努力していたが、この数字を見ては
もう無理。絶対再発する、いやもうどこかに転移しているかもしれない。
治ると信じてがんばろうよ、なんて周りは言うが、それって無・駄・だ・よ!
ダイニングの机に突っ伏して泣く日もあった。
ネガティブ連鎖から抜け出せない、8年間の闘病生活の中で、いちばん辛くキツイ日々でした。
そうは言っても、毎日、育児、家事、通院などで、一日はアッという間に過ぎて行く。
そして、じたばたの中で統合医療に目覚める、つまりは民間療法にハマってしまったのだ。
つづく・・・。
*** 重苦しい記事になってしまいましたが、今の私は元気でーす。だから気軽にコメントいただければ
嬉しいです。大阪的突っ込みも大歓迎ですう~。 ***
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ブログでも読んでいればこんなに落ち込まずに済んだかなあ。でもやっぱりリンパ節転移27なんて人はどこにもいなくて、やっぱり落ちていたかも。
一人じゃない、という支えられている気持ち、救われますよね。
もちろん、アッピアさんあなた自身が!
苦しんだことを振り返るあなたの文章が素晴らしい。
わたしもあなたのようにがんばるからね。
のんこさんのコメント同様、「自分だけこっちの世界」私も気持ち解ります。
私は不妊治療をして「私だけ子供ができない」から、今は「私だけ病気になってしまった」です。
6年前、出産直後に乳がん発覚、今に至ります。
3年前に骨転移が見つかり、現在抗がん剤治療中です。
アッピアさんのブログを読んで、「同じ仲間がいる」と思えて元気をいただけます。
これからも、ちょこちょこお邪魔させていただきます。
お互いがんばりましょう!
アッピアさんのブログとは関係はないのですが、「思いがけず乳がんになりました」というブログは知っていますか?
10日くらい更新がなくてすごくすごく彼女のことが心配です。
まだお子さんが小さいのに、肺、リンパ、鎖骨、肝臓の半分に転移をしてしてしまって、彼女のことが心配で心配で仕方がありません。
アッピアさんは元気で本当によかったです!
母乳で育てようが乳ガンになるんだよね~
息子は1歳4ヶ月でした。
抗ガン剤半年して手術して今治験の抗ガン剤中。
なかなか前までの日常生活にならへんけどなんとか過ごしてる日々。
元気な働く母に戻りますように。
1人じゃないよ。みんながいるよ。
凄い精神力です。元気に立ち直っただけでもすごいと思います。やれる治療は全てやって下さい。つらいとは思いますが…
奇跡ってあるものです。
そうそう、私だけがこっちの世界、の感じ、やっぱり最初は多くの患者が感じてしまうよね。
乳がんのように若い患者が多い場合は特に。
でもここには仲間がたくさんいるよ、
いっしょに頑張って楽しく行きましょっ!
ポケモンになった気分で・・・すいません。
病気に正面からぶつかるこいとがいいかどうかはわかりません。
上手に寄り添うというか、付き合うというか、自分が疲れない共存の仕方があるように思います。
まだまだ未熟者の私なんです。
これからもヨロシクです。