そもそも、服装はTPOが原則。
場に応じた服装が求められる。
暑さ寒さ、雨あられ、リラックス快適度。
気分。
センス、トレンドは何処へ。
最近、何度か着たから洗濯する前にもう一度、着よう。
逆に、直近、同じ顔ぶれで着たから、再びは避けよう。
そういうチョイス、服装選び。
そこへもってきて、またまた気分。
全部の要素を満たしたもの、あるいは、満たしきれないものが、今日のお出かけ着。
ハウスウエアは、またジャンルが別に確立されている。機能性一点張り。
見た目ゼロ点、ただし、自分で嫌になり過ぎるのも、精神衛生上、どうかと。
で、そういうプロセスを経過して選ばれ着用しているのが、今、着ている、今日の服。
ほぼ最低ランク。
別に破れているとか、汚れている、とかではない。
「どうでもいい度」が、最高に高い。
孫の運動会か?はたまたら引っ越しの手伝いか?みたいなかんじ。
長時間、着席して作業するので、それに適した服装。
さらに、室内温度があまり調整できない部屋のため、自分で脱ぎ着して調整できるような、着脱、自由度の高い、旅仕様のような。
そして、集まるメンバーは、兄姉と、同世代の姻戚関係の人なので、気を張る必要がない。
ただし、片道二時間半。
朝、家を出て、夜帰宅。
ちなみに、姉は、カフェで1人お茶しながら、街行く皆さんのファッションを眺めるのが好きらしい。
都会と地方での嗜好の違い、センスの違い、、、貧富の差、、、
わたしは、いつも気合いを入れていないので、そういうファッション・ウォッチャーの目には止まらない、いや、目に入りもしないだろう。
思えば、若い頃はゼロが一つ余計についていた価格の服を着ていた。
今は、、、とんでもない。
UNIQLOはお出かけ着の仲間入り。
高い服は買わなくなった。
きっと、街の鏡に映る自分の姿が気に入らないからだろう。
大きなお金は、かけない。
楽しむ程度には、財布の紐を緩めるが。
着道楽の人もいるが、ちっとも羨ましくない。
あらよかったねー、ぐらいだ。
この人は服が好きなんだ、と思うぐらい。
人には人の好み、道がある。
わたしは、ファッションのこだわりは、ほぼ、卒業かなあと思っている。
現役の皆さん、頑張ってください。
しかし、気合を入れていない服だという自覚がある。
だから、気合が入っている人が、逆に目障りになる、超自己チュー。
なんであんなに気合入れるんだろう?
ご苦労さま。
応援ではなく、ねぎらいでもなく、理解できないわ〜の、こころの不可解ボックスへ。
これは、自分が気合入れていない分、余力がへんに反応している。
消化されていないエネルギーが、へんに卑屈にねじ曲がっているのだろう。
まあそれはそれとして、、、
雨も降ることだし、居眠りも混じえ、行きの車内、無事、時間いっぱいブログ記事、完了!
て、まだまだ書き足りないが。
アイテムひとつひとつ、詳細を記述するのも、はばかられる。
しかも、快適なわけではない。
自分の気分と、気温のせい。
本日は気温のアップダウンが激しいらしい。
寒そうなので、一番下に、ヒートテックの長袖インナーを着込んだところ、出かける間際になって、暑くなり脱いだ。
が、JRの吹きっさらしホームの風は冷たかった。
しかし、車内の窓側席には、お日様ぽかぽか、暖かいを通り越して暑いぐらい。
電車を降りるとまた、寒いのか。
夜になると、帰りはまた底冷え?
いったい、どうすりゃいいの、何を着る?
出際にヒートテックを脱いでしまったので、不安が残る。
しかも、気分にまかせて、ゴワついた綿のコートを着てしまった。
風が、ビュンビュン通過する。
やはり化学繊維は偉大だ、と後から後悔。
若作りの、若くない人を冷たい目で見ていたくせに、今日のわたしは、若作りだ。
しかも、ビンボーテイスト。
歳を取っているにもかかわらず、わざわざ気温の変化を無視し、選んだ服が、これ。
ゴワゴワ着心地は悪く、ビンボーに見え、しかも娘の学生時代の服を着ているかのような装い。
その心理分析は?
考え足らず。
選択ミス。
似合っているか、似合ってないかは、自己評価のみ。
若作りビンボーファッションで、ひたすらしょぼくれているとすると、なんの意味もない。
どんなにブサイくでも、どんなに似合ってなくてもいいから、寒いのだけはゴメンだ、という寒がりのわたしなのに。
肝心カナメの目的を満たしていない。
が、こういうことは、よくあることである。
今日、一日、着心地悪く落ち着かず、快適ではないが、自業自得とはこのことだ。
帰ったら、どっと疲れていることだろう。
スタートしたばかりなのに、出鼻はもうはや挫かれている。
※
今日のような気温の上下する日は、コートの下にダウンベストを着込んで調節すべきだった。
時、遅し。
しょうもない、独り言に、お付き合い、すいません。(タバコも吸いません→ぱくり)
世界各地の皆様へ
うっちゃん、インスパイア防御、防衛、お願いします。
ただし、奇抜すぎて、アタマの中身を疑われかねないものもある。
時代に吹く風を、追い風にしている場合も、逆風にしている場合もある。
生き方と似ている。
テレビのCMで、「あなたは、なぜ服を着ていますか?」というコピーが度々流れる。
あれ、好きだなあ。言いえて妙。
ああいう側面からのアプローチは大好きである。
人に良く思われたい、カッコ良く見られたい、いわゆる、ファッションの動機。
暑さ、寒さ、外敵、ケガ、、、などから身を守る一次的な目的を満たす、
その次は、オシャレ、快適、機能性、見かけ、と、二次的要素。
快適、機能性は説明しやすい。
見かけ、オシャレ、あたりが、ややこしい。
(高価なものを身に付け、成功者に見られたい、というのもある。
わざとらしく力まなくても、さらりと上流感が出てしまう、いわゆる高品質な「身なり」もある)
人の目を意識することが前提だろうけれど、自分が楽しめなくては意味がない。
70歳ちょっと過ぎの人が、今風、若者ファッションをしていると、かえって若くない年齢を強調しているようで、痛い。
明らかに、体型、仕草、動作、姿勢と服装が合っていない。
流行の服は大量に生産されているので、安いから買った?
息子か娘の服をオシャレ心、あるいはイタズラ心、あるいは、節約心で着ている?
街で見かけるそのファッションには、いつも、着ている人の心が読めそうだ。
似合っていれば、問題はない。
問題は、似合っていないことである。
松岡修造ぐらいの体型、体格、機敏性なら、まあ良しとしよう。
五木ひろし的な人が、ジャニーズ系の服を着ていては、どうも、、、。
背の低い、背中がこんもり、まん丸な、おばあちゃんが、ぴちぴちスパッツにブーツは、どうも、、、。
だが、人のために服を着るのではない、自分が楽しむためだ、というセオリーには反していない。
でも、わたしなら自分の好みファッションが自分に似合っていないと感じた時点で、その服はパス。
あくまでも自分本位の尺度なので、時折ミスをする。
美智子妃殿下が、レオタード、というかんじになってしまうことがある。(例えが失礼か)
ご近所さんに、「変わった服、着てますね〜」と、決して褒められていない感ありありで、まじまじ見られることもある。
いったい、どこがよくて、どういうつもりで、どういう心境で、、、という、言外の感想が汲み取られる。
まあ、別に、ウケを狙っているのではないので、誰に何を言われようが(決して愉快ではないが)、人の反応のせいではなく、自分が嫌になれば着ない服も多々ある。
「いつもどこか変わった服を着ている」と母に言われる度に、自分をどこに持って行けばいいのか、自分をどう収めるといいのか、変わっているのが服なのか、自分自身なのか、身の置き所を見失い、少し溜め息が出る。
たかだか服でさえ、人と変わっていると、(母からだけでなく)あれこれ言われる。
服のように、はっきり外側から見えるものは、わかりやすい。
これが、パーソナリティや、性質、能力、脳、思い、なんやらかんやらだと、複雑である。
人にあれこれ言われるのは、嫌い。
ほっといてちょうだい。
だから、おそらくわたしには友人がいないのだろう。
自分と遊ぶのが一番楽しい。
しかし、思うに、服装は人を現している。
上品で上質な服を着ないわたしは、上品で上質な人間ではないのだろうと、自己分析する。
それを地でいくと感じる、今日この頃。
ある、さほど都会でもない、JR快速停車駅、京阪神地区の垢抜けてもいない、駅前マンションの一階に入るテナント。
おばあさんの長ズロースやら下着が、店先に吊って並べられている。
そんなお店と同じフロアにある、女性向けファッション店。
通路側のショウウインドウに、いくつもの白いボタンの並びが印象的な洋服がディスプレイされていた。
通り過ぎたが、一瞬、戻って、ショウウインドウを見る。
カーディガンなのか、カブリなのか、ワンピースなのかチュニックなのか、ざっくりニットなのか、別の素材なのか、分厚いのか薄いのか、軽いのか重いのか、薄暗いガラスに囲い覆われ、ぜんぜんわからない。
で、デザインに興味を覚え、店の中に入った。
一歩入ると、閉ざされた狭い空間に二人の店員。
しーん、、、
(いらっしゃいませ、って言わないのね、この店)
「あの、、表の服なんですが、、、」
しどろもどろに言う、わたし。
店員は、他に客もいないのに、狭い場所で二人はじっと横一列に並んで、動こうともしない。
「あの服、どんなふうな服なのか、ちょっと、、、その、、あの、、」
一生懸命、要望を述べようとする、わたし。
年のいったほうの(年齢はわたしより上と思われる)やたら、どぎつい原色を顔に塗りたくった店員が、怪訝な顔をする。
指の爪には、これでもかと、ゴテゴテ・ギトギト悪趣味ド派手ネイルアート。
魔女か悪魔?
全く似合っていない。
イヤラシ汚らしいと感じさせる、行き過ぎネイルアートも、あるのだ、とへんに感心した。
やり過ぎは、なにごとも逆効果。
もっともわたしが嫌いとするタイプ。
似合わないのに、やりたがる、自分を客観視できない典型的見本。
ネイルアートだけを見ると、そこまでこき下ろす必要はないが、人物像として、今までの人生65年ぐらい?の積み重ね、どうしようもないギットギトのオーラを放っている。
いい年して、あんな趣味の人もいるんだ、洋服屋さん(ブティックとは決して言えない)の店員をするにはいいかも知れないが。
そんなに悪意を込めて頭ごなしに、ボロカスにけなす必要はないのだが、
わたしには、その必要があった。
シーンとして客の出方を見守る店員。
(普通は店員さんが、
なにをお探しですか?
Can I help you?
と駆け寄ってくるのでは?)
あんた、なに? なにしに来た?みたいな、あの態度は、屈辱的、侮辱的。
「あの、、、外に掛けてある服、見せていただけますか?」と、やっと言えた、わたし。
不思議な間(ま)をおいたあと、悪魔ゴテゴテ店員は、いかにも、渋々、嫌々、店の奥から同じ商品を取り出した。
値札に書かれたお値段は12万円。
「これと同じものが10着あって、8着、売れました」
にこりともせず、仏頂面。
ピクリとも微動だにしない。
うさんくさい気持ち悪い金がネタネタこびりついて、履き違えた価値観で歪められた、イヤミったらしい顔。
あんたは、この店の客層から外れてる、と言わんがばかりの態度。
あんなオババに、あんな目で見られる筋合いはない。
第一あの立地で、あの雰囲気の店で、あの商品が売れるはずがない。
(ひょっとしてわたしの見間違いかなあ?
でないと、あり得ない値段)
最低限度にも満たない商品説明のあと、いかにも、「買わないでしょ、あなた」みたいな静寂。
一、二、三、四、五秒ぐらいの、無言タイムのあと、
「あ、どうもありがとう」と言って、わたしはその店を出た。
銀座の高級ブティックじゃあるまいし。
なんだ?あれ?
わたしは自分自身を値踏みされたような気がして、いたく気を悪くした。
その時のわたしの服装。
GAPの(ブルー)デニムパンツ、(着慣れた)厚手の白コットンシャツ、コーチのチョーカー、グローバルワークの(古い)藍色フォークロア調カーディガン、靴はグレーベージュの革ベースに、フラワーモチーフの2バリエーション(素材は同じ革で、グレーベージュと青)がアクセントに付いた、フラット・オープントゥ。スペイン製。以上。
少々、年齢には合っていないのは否めない。
お金がないと思われたようだ。
しかし、あの店員よりは、たぶん余裕があると思う。
今までで一番感じの悪い接客だった。
売る気ゼロ。
それ以前のマインドの問題。
そりゃあ、あの値段なら買わないけれど、それにしても、あの態度はあり得ない。
それより、もう一度、あの服の値段を確かめたくなった。
一つ、位を読み間違えたのかも知れない。
あの店で、12万円は、どう考えてもあり得ない。
もし12000円だったら、あの店員の態度はなに?
しかし、わざわざビニール袋をかけて奥から取り出すには、12000円は、ちょっと安い。
(重い分厚いニットで冬服だったし、まだバーゲンでもないし)
ボケっと二人も、がん首そろえて、なにやってる?
世の中には、終わってる店もあるのだなあと、つくづく思った。
一見客には店内に入ってきてほしくないオーラを撒き散らす店員って、なに?
わたしはそんなに変で嫌な見かけ?
拒否反応気味の接客態度に、むかっとしたものの、なんだか自分自身もどんな人物なのかわからなくなってきた、店である。
一見客は相手にしない店?
・・・にしては、ヘボすぎる。
狭く薄暗く、ごちゃごちゃして、センスのかけらもない。
あれは、商品倉庫?
ひょっとして、あの地区には、なんの趣味もない(あるいは、めちゃめちゃ趣味の悪い)超お金持ちのおばあさん顧客が10人いるのかも知れない。
あくまでも、わたしの悪意ある想像。
それにしても、あの店、あの店員、あかん。あかんすぎる。
書いても書いても晴れない、今日のわたし。
消火装置、故障している?
「つけまつげ」に、はまっている。
瞬きすると、バッサバッサの、ばちばちのやつ。
マツコ・デラックスみたいなかんじ。
彼は、あの体格、あの顔の大きさで、あのつけまつげは、バランスが取れていると思う。
さて、わたしは、、、?
おそらく、感想は、皆さん口にしないだろう。
ある日、帰りのバスで、ばったり偶然、娘がわたしの席の後ろに、座っていた。
ふと、横を向いた、わたし。
「お、か、あ、さ、、、ん、、、っっ!!」
二人の間の、あの微妙な沈黙。
いやはや、いやはや、、、
人として親は子供の見本にならなければいけない時期は終了した、、、ということで、、、
どうせマイブームは瞬時に過ぎ去る(予定)なので、、、
笑って許して、
見て見ぬふりをお願いします、と言いたいところだが、言えないだろうなあ。
その道のプロ、現役。
お二人とも70歳はとうに過ぎておられる。
しかし、駅の改札口を出たところで待っていたら、二人とも群を抜いて目立っていた。
そんじょそこらの、田舎のじいちゃんとは、まったく違う。
なにが違うんだろう、と考えてみた。
一、見た目。ファッション。
じいさんのファッションではない。
一人は、シルキー・マロンピンク・トマトベージュみたいな(そんな色があるのだろうか?)、光沢のある、美しい、ハンフリー・ボガートがかぶるような帽子(中折れ帽?)、白地にブルーのストライプのジャケット、色彩の鮮やかなメリハリも相まって、遠くからでも、ぱっと目を引く。
もう一人は、生成りの麻ジャケットをさりげなく脱ぐと、その下は、なんと、かわいらしく、涼しげな水色の7分袖、シャリ感のある麻シャツ。
あの年齢で、袖口のボタンが印象的な、キュートな7分袖には、脱帽した。
ちょっと長めの、脂っぽくないシルバーヘアがいい味を出し、脱力感をさらっと漂わせていた。
二、コンテンツ・中身
学歴、キャリア、仕事実績から醸し出るオーラ。
リタイア世代ではあるものの、まだ現役なので、このオーラは続行中。
三、プラスのオーラ
内面から出る、人格や性格、ポリシーが、重ねた年齢を味方に付け、さりげなく嫌味なく出ている。
穏やかな表情がまたなんとも言えない。
成功体験を積んでも、年月を積み重ねることで、力まない、まろやかな落ち着いた品格を形成していた。
仕事は、豊富なキャリアと、静かながらも燃え続ける情熱。
濃密であるけれど、薄味仕上げ。
お年寄りになっても、こういうお年寄りだと、歳を取るのが嫌ではなくなる。
野球帽にポロシャツ、ジーンズ、スニーカーの明るいおじいちゃんとはまた違う、爽やかなシニアである。
最大70%オフ。
この「最大」というところが曲者で、すべての商品が70%オフなわけではない。
それを「70%は大きいですよ~。良いものから売れていきます」と
甘い文句に誘われ、ふらふらと遠方にある店舗まで出向いた。
その日は、付いて来なくてもよいのに、
雪でゴルフがないために、いきなり濡れ落ち葉と化した家人が、ぺったり付いて来て、
のびのび、こころゆくまで、時間を気にせず店舗をくまなく・・・というわけには行かなかった。
時々、「まだか~?」というかんじで、店に何度か顔を出す。
「ご主人、いらっしゃってますよ~」と店員さんの笑顔。
あんなに邪魔と思うことはなかった。
「付いて来ても、おもしろくもなんともないよ。長いし」と念を押して警告しているのに。
「ビールでも飲んで時間をつぶしておくから、いい」と言っていたが、明らかにつぶし切れていない。
気が落ち着かない。
焦る中、必死で、すごい数の店中の服のなかから試着する候補を選ぶ。
特にお目当ては、パンツ。
これは、見ただけでは絶対にわからないので、どんどん、がんがん、試着室に次から次へと持ち込んで、はいていく。
その日、店長はお休みだったが、
わたしは、おなじみさん、行けば必ず何か買う、優良顧客なので、店員さんは放置してくれ、やりやすかった。
やたら、動きの早い、激しい客であるわたしを尻目に、店内にいた、あるお客さん(推定年齢60歳中ごろ)。
ぱらぱらと、積極的でもない動きで、どれにしようかな~と、ふわ~っと、ゆる~っと服を選んでいた。
わたしのセカセカ能動的な動きと、のて~っとした彼女の動きは、正反対ではあったが、
彼女とわたしは、同じ売り場で交差した。
こっちは必死で、なにがなんでも買うぞ!という意気込み。しかも制限時間つき。
あちらは、試着もしないで、上から羽織ってもみないで、買う気もないのかな~と、目の端っこに映る彼女を見ていたが、
わたしが悪戦苦闘している間に、彼女はレジで商品代金の支払いを済ませていた。
わたしが、ぽんっ、ぽんっと、獲れたばかりの土佐のまぐろ、一本釣りの大魚を放り込むように、
試着室から直行のレジカウンターに、一本ずつパンツを投げ置く。
それを見た彼女は、「どこが、悪いんですか?」と聞く。
「いえ、悪いんじゃなくて、買うんです」と、わたし。
べつに検品しているわけではないの、わたし。
購入しようとするパンツを見て、
「わあ、ステキやねえ。これ、すごくおしゃれ。こんなの、どこにありました?」
と彼女。
たんにお世辞で、世間話、時間つぶしで言っていると思っていたのだが、延々と、そのパンツを触って、
「こんなのが、いいわ」と言い出す。
わたしは、お譲りするつもりもなんにもないし、自分が買うつもりなので、
「あ、そうですか。これ、イタリア製です」と、めんどくさそうに付け加えておいた。(イヤミですね)
さらに時間制限に拍車がかかり、もうひとつのジャージーっぽいカジュアルな上着も、ぽいっとレジに追加した。
「わあ、・・・すごい、ステキな・・・どこにありました?」
「あ、これね。これもイタリア製です。シルエットがキレイなんです」
「上手に見つけられますねえ。どうやって見つけるんですか? そんなのがあるって、まったく、わからなかったわ。
わたし、主婦だし。家にはいっぱい服、あるんですよ(うんぬんかんぬん)」
主婦って、関係あるのかな~?と不思議に思ったが、
もう、視界の向こうに夫がいる。はやくしなければ。
いちいちめんどうくさい人だなあ、どうでもいいや、と、なかば、わたしは、やけっぱち。
「わたし、ここではいつもイタリア製を買ってます」と、大嘘、大見栄を言い放って
わたしは時間に押され、ふーふー言いながら、店を後にした。
家に帰ってようく見てみれば、イタリアの生地を使っているはずなのだが、日本製と書いてあった。
まあ、日本製ってことは、良品ってことだし、まあいいか。
嫌~な人ですね。わたしっていう人は。
・・・
彼女は、どんなものがいいのか、何を買っていいのか、自分でもよくわからなかったのだと思う。
傍らで、わたしが突進するイノシシのごとく、目指す服めがけて、すごい勢いで攻めていくので、
不思議に思ったのだろう。
自分の好みが確立されていると、候補の中から、体型にぴったり合うものを探し出すだけの作業になる。
時として、斬新な目新しいものや、光るものに出会えたりして、その意外性も楽しめる。
いつもいつも同じパターンでは、ファッション業界も売れ行きが下がり、客足が遠のく。
なので、作り手と買い手の、仕掛ける側と仕掛けられる側の、せめぎ合い。
目を肥やす。
街行く他人のファッションやショーウインドウにあるものを念入りにチェックする。
大勢の人々の集まるところでは、集計数が多く、サンプルの宝庫。
何を着ているか、どんなものを持っているか、年代別、層別に見る。
ただ単に、興味があるだけだ。
そして、わたしの場合、かなりのハイリスク・ハイリターンで、評価が分かれる。
絶賛される場合と、そんなものをよく身に着けるなあ、と、勇気だけを誉められる場合と(これは明らかにけなされているのだが)、
どこがいいのか、さっぱりわからない、と、ハッキリ明確に激しくこき下ろされる場合がある。
失敗を恐れず、わが道を行く。
この失敗は、他人に笑われる、という「恥さらし」部分が非常に大きく含まれている。
笑われることが最大の苦痛と感じられる人には、絶対にオススメできない。
そういう常識人は、常に、無難なものを身に着けるのが最適だろう。
できれば、無難だか、センスよく上質であれば言うことなし。
わたしの場合、最初の、「無難」という要素が欠け抜け落ちているので、
どんなに仮に上質であったとしても、見る人は、ユニークさに目が奪われ、上質さにまで目が行かない。
(試行錯誤の闘いの後、家には大量の失敗作、服の屍の山)
で、無難にしようとすると、自分自身、まったく気が抜けたビールかサイダーみたいな、魂の入っていないお人形のような、
そんな気になってしまう。(おおげさ比喩表現です)
で、結果、あざ笑われるリスクをいつも伴うことになる。
これは、自業自得なので、いたしかたない。
・・・結論としては、
今までの流れとはまったく違うが、
人はだれも自分のことなど見ていない。
自意識過剰なだけである。
なにを着ても、どおってことはない。
不良って面白い。
朝の連ドラ、お目目きらきら清純派カワイ子ちゃんが、いきなりブリーチ不良になって出てきた。
不良の特徴がよく出ていて、演技の勉強、スタイリストの勉強、行動心理学の勉強になった。
服装、ヘアスタイル、持ち物、姿勢、歩き方、しぐさ、表情、・・・。
あんなかんじの子、いるいるいるいる。
かつてのバイト先にも、こんな子がいた。
中途半端な田舎(関西)から出てきて、ヒールみたいなサンダルみたいなのを引っ掛けて、
仕事はオカタイ仕事だった。
が・・・わたしは、あの子は、もう、あの職業は続けていないと思う。
仕事より、異性に興味を示すタイプ。
先天的なニオイを感じ、夜の商売に向いている。
彼女と同郷の、同じく、中途半端な田舎から出てきていた女の子が、もうひとり、同期でいた。
彼女は、ものすごく真面目で、一人っ子、跡取り娘さんだった。
同じ高校出身なのだが、こんなに違う?というかんじ。
ただし、地方色、年齢は同じ。
職業とか、不良とかとは関係ない面で、
わたしは、その不良テイストの女の子がキライだった。
わたしは、生理的に受け付けない。
たんに、嗜好の問題だ。
が、ついでに言えば、彼女の今後の生き方も充分予想できた。
類は友を呼ぶ。
同類が集まる。おなじニオイ。
わたしは、どちらかというと、汚いものよりも美しいものが好きで、
だらしないものよりも、きちんとしたものが好きだ。
向上心のない、拗ねたよう生き方よりも、目標を持った生き方が好きだ。
醜悪なものや、嘘や偽善、そういうものは人間には内包されていると思うが、
自分に限ってそんなことは決してないと、自覚していない、気付いていない人は、
「自分は純粋だ」と思っているだろうが、それもまた、同じぐらい醜悪だ。
こころが醜悪だからといって、格好、体裁、見かけまで不良になってもカッコよくない。
ダサダサだ。
同じ不良っぽい格好をしたいなら、カッコイイ不良を目指してほしい。
でも、「自称・不良」という人がいる。
自分で言っている段階で、もうアウト。
ださだださチャンピオン。
マニュアル小僧のように、絵に描いたような不良の格好をしている子、人は、
同類が同じような格好をしているから影響を受けたのだろう。
わたしは、まえに仕事で担当していた、とある(怪しげな)企業のオーナー社長から
「髪を金髪にしたら?」と何回か言われたが、無視した。
なんで、わたしが、そんな人の言うことを聞かなければならない?
やれやれと言われる度に、「そうですね~」と口先のみ同意。
ぜんぜん、そんな動きを見せなかった。
金髪のほうが意外に似合う人もいるが、わたしは、こころが動かなかった。
日本人で金髪なんて、おかしい。
そもそも金髪は、太陽の光りが充分当たらない場所に住んでいる人種が、
長い間かかって、そうなった経緯がある。
強力な太陽が長時間、当たらないせいで、色が白く、目が黒くない。
メラニン色素の関係うんぬん。
なので、わたしは、自然の摂理で、金髪にはならない。
意図して金髪にもしない。
日本人の特徴のひとつ、・・・薄くのっぺり、目が細く、肌は黄土色っぽく、・・・
で、金髪じゃあ似合わない。
あえて、わざと、
「はずす」「壊す」「崩す」「見た目を悪くする」「調和を乱す」「醜悪なものを取り入れる」
という美的アプローチも、アリだが、わたしはチョイスしなかった。
前衛芸術家には、絶対に向いていないタイプ。
ただでさえ、ゴワゴワなのに、これ以上、ブリーチして髪が傷むのが嫌、というのもある。
と、あと、典型不良ファッションについて、いくつか書きたい。
が、時間がないので、ここでやむなく終了。