昨日は、城崎温泉に足を伸ばして、蟹を堪能した。
うんと、う~んと昔、愛読していた「家庭画報」(いまも、あるけれど)に、いつもよく掲載されていた
老舗旅館「西村屋」。
世界文化フォト社の素晴らしい撮影技術の成果も相まって、
その本を、ほーーっと眺めていた、若き時代。
仕事がらみでも、使うため、定期購読していた。
西村屋・本館には宿泊したこともあるが、今回は、日帰りで蟹料理を満喫した。
昨年は、同じく日帰りで、新しいほうの「招月庭」だったが、今回は、築150年の本館。
わたしのイメージ通りの、昔の西村屋。
お味も、量も、創作も、見せ方も、器も、ぜんぶすべて、とってもよかった。
毎年、この時期、蟹ツアーにはしぶしぶ、お付き合いで参加していて、
今年こそは、「来年から不参加にします」と宣言しようと思っていたが、
あらら、この場に及んで、・・・・意外や意外・・・
とても素晴らしくて、振り上げたこぶしを上げたまま、つんのめっている状態。
ある程度、年齢を重ねると、
大量の蟹をただただ無言でパクつくだけではなく、
器や、お部屋の雰囲気、調度品、景色、いろんなものを楽しみながら、一品一品、味わっていただくほうが
ずっと自分の好みに合っていると感じる。
建物内部の手入れの仕方も、とても参考になった。
昔の木の扉をそのまま再利用し、壁や床も、古風な日本テイストに合うよう手を入れてアレンジされ、
そして近代的な快適性も兼ね備えられていた。
その風情あるな佇まいに趣をそえる、選び抜かれた調度品、
スタイリッシュな機能美が、和にモダンな粋を加える木工家具、
躍動感を演出するダイナミックな生け花、
この調和空間、ぜひぜひ参考にしようと、まじまじと目に焼き付けた。
生まれ育った家、慣れ親しんできた日本家屋、今後も維持すべき姿のお手本を見るようだった。
浴場に一歩、足を踏み入れると、
グループのオバサマたちが(「オバちゃん」と、書きたいところだが、自分もオバちゃんなので)、
あわただしく、賑やかに(賑やか過ぎる・・・)
ばたばたと入っておられた。
露天風呂も、彼女たちが占拠し、地下鉄の座席みたいに、おひとり様だけが入れるスペースが空いていた。
わたしは、思わず後ずさり。
彼女たちが室内のお風呂に、がやがやいるときは、その目の前に見える露天風呂に移動するまでの間を、
わたしは個人ブースでシャワーや、なんやらかんやらして時間をつぶし、
彼女たちが露天に行けば、行っている間は、手前の室内のお風呂に浸かって時間待ちし、
露天から戻ってきたのを見届けたら、入れ替わりに、わたしが露天に移り、
時間差攻撃で、オバちゃんパワーを避けた。
ひとりひとりは、オバサマなのに、5人寄ると、たんなる、うるさい「オバちゃん」いや、「オバハン」かも?
同じ時間に殿方の浴場にいた、夫たちは、後で
「となりの女湯、うるさかったなあ」と言っていた。
わたしは、接近していて、臨場感極まったが、壁を越えても、うるささが大迫力で、こだまするようだ。
お風呂から上がっても、わいわい団体で、駆け足で忙しなく次の行動に移る彼女たち。
せっかくの老舗・西村屋も、昼の客を迎えないと、経営はやっていけないんだろうけれど。
お風呂は、ゆったりが大原則と思っているわたしは、そのほかの行動も、マイペース型。
わたしは、ぜったいに、あのグループには入れそうもない。
湯船の中でもぎゅっと満員電車のように、団体でつながって行動する、あのパターンを見て、ある図を連想した。
食後の大量の食器を、スタッフが金網の大カゴに入れて、お湯にドブンとつけ、ざざっと引き上げる、
大型食器洗浄器。
洗剤も投入して、キレイになったかな?
わたしは小さいときから、大浴場、町の銭湯(お風呂屋さん)が好きではなかったので、
よけいにそう思うのか?
お風呂で交流、裸のお付き合い、なんていうのは、とても不得意だ。
入るなら、ひとりで、ゆっくり。貸切みたいに。
しかし、ほんの少し時間をずらすだけで、オバちゃん軍団の後、擬似貸切でお風呂を堪能できた。
ものは考えよう。
意地になって、なにがなんでも、貸切の環境を固持するのは、たいへん。
ちょっと時間をスライドすると、とても気持ちのいい、優雅なリラグぜーションを手に入れられる。
そして・・・
古き良きものは、やはりいい。
パリが好きなのも、アバンギャルドな一面も持ちながら、古き良きものを大切にする、
目に見えない、歴史の底流を感じるからだろうか。