蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

ばあちゃんのお手伝いは、あまり役に立たない

2024-11-21 | 子育て
一昨日、4番目孫の保育所お迎えに駆り出された。
ピンチヒッター、後方支援要員。
保育所で、連れて帰る時の手続きをするのを忘れたが、すんなり孫を引き渡してもらった。
それは良かったのか、それとも、セキュリティ機能が甘いのか。
連れ去られてもチェック出来ない緩さを感じたが、まあ、そもそもミスをしたのは、手続きを飛ばした、ばあちゃんで、、、。

それはいいが。
孫の家に、孫を連れ帰ると、他の3人のきょうだいが、それぞれに遊んでいた。
1番幼い保育所孫(4歳女児)に、家のあちこちに連れて行かれ、「こんな遊びをしているの」と、それぞれ説明してくれた。
小さい時は、みんなそうだった。
ばあちゃんが行くと、幼子は離れなかった。
が、小学生になると、すっと離れて行く。
成長だ。
自分で遊ぶようになる。

両親パパママがまだ帰宅しないため、夕食係の、ばあちゃん。
ところがなんと、、、。
あらかじめ、食べるものは用意されているようだったが、さあ、準備しないと、と思っていたら、パパママから既に指令を受けていた。
全員、ロボットを相手にするごとく、時間が来たら、冷凍庫から各自、好きな食べ物(既製品)を選んで、電子レンジで解凍、温めて食べる。
1番下と、下から2番目が、好みのスパゲッティが同じで、それは一つしかない。
一つを仲良く半分ずつに分けているかというと、そんなことはない。
上の子(小1女児)は、妹(4歳女児)にあげないと言う。
自分は、これ。妹は他の種類のものを選べばいい、と、譲らない。
が、妹は、それがいい、と言い張る。
無理矢理、ほんの少しだけ妹にあげるが、妹は、それでは足りない。
もっと、もっと頂戴と攻め寄る妹と、ちびちびしかあげない姉。攻防戦。
他の男児(小4と小6)は、好きな食品は他の子供の好みと重ならないため、余裕で独占して食べることが出来る。
どうしても少なめの下妹に、小4の兄が、自分の明太子スパゲッティを少しあげたら、とても辛くて食べられない。
妹は、(未開封の)コーンフレークを食べると主張する。
兄たちは、「ダメだ」と、認めない。
コーンフレーク!!と、譲らない1番下、4歳女児。
わたしが、ご飯を炊いて、オニギリを作ろうか?と提案したが、「炊かなくていい」とお兄ちゃん(小6)に止められた。
コーンフレーク食べたい!!と、ギャンギャン大声でうるさく叫び続ける1番下孫に、わたしは困っていたら、オヤツの時間になった。

それぞれ自分のオヤツ箱があり、その箱から好きなオヤツを出して食べる。
決して食べすぎることもなく、きょうだい間で少し交換もしたりして、仲良くオヤツタイムを過ごしていた。

それにしても、よく躾けられている。
オートマチックに、自動的に、事が進んでいく。
「アレクサ、◯◯して」とか涼しい顔で指令している。
「ばあちゃん、◯◯して」と言われないから、楽だが。
4人も、きょうだいがいると、ぐちゃぐちゃかと思いきや、うまい具合に調整が取れている。
下の2人の女児は、問題を出して答える、宿題遊びをし始めた。
上の2人は、好きな本を読んでいる。
食後のプラスチック容器、トレーを洗ったあとは、わたしのすることはない。
わたしは、「歌番組が始まるからもう帰るわ」と言うと、「TVつけて見たらいいやん」と孫たち。
皆んなのお言葉に甘えて、小さい小さい音で、 NHK歌番組を見ていた。

「ばあちゃん、全然面白くないTV、見てるなあ。面白い?」と背後から小1女児。
宿題遊びに飽きた1番下(4歳)が、横に来て、オモチャのマイクを持って、台に上がり、何やら歌ってくれた。
ママが帰るまでの、ごちゃごちゃした時間は、小椋佳、上白石萌音や松下洸平、鳥羽一郎親子と混ざり合って、ゆっくり歌を聞く状態ではなかった。


ちなみに。
欄外。私信。
裕さん、ベビーお誕生おめでとう!


普通でよい

2024-09-25 | 子育て
勉強のさせ方は難しい。
特にそのサジ加減。
放ったらかしにして、野猿のごとく野山を駆け巡るのならまだしも、昼夜を問わずゲームやスマホ没頭で、視力低下、寝不足で学業が疎かになるのを目の前で見せつけられると、どこまで我慢出来るか?どこまで口を出さずにいられるか?

放任は楽だが、厳しくする方が大変だ。
学業に全く向いていない性質の子供なら無理矢理勉強させても、お互い徒労。
中卒でマグロ漁船に乗るぐらいの根性があるなら、へんに勉強を押し付けなくても自分で生きて行けそうだ。
中途半端が困る。
難しいことや手間暇のかかることはAIがしてくれ、それで職を追われる人もいる。
効率の良さばかりを追求しても、破綻する場合もある。
ただ、そういう段階にまで到達しないで、ポテンシャルを掘り起こさず、裾野のほうでダラダラ無意味に無目的に生きていくのは、もったいない。
まったり裾野が好きな人もいるが。
出会う大人に影響を受ける。
一番近い大人は家族や親戚だ。
一族、同じ職業の人もいる。
身近に見本があると、イメージが掴みやすい。

タイプは2つ。
そのタイプか、そのタイプではないか。
中間、真ん中は?

わたしは、もう子育ては完全に終わり、老いては子にボロクソ、、、という段階。
従うにも、とろくさい。
しっかりした人ばかりが周りにいて、喜んでいる段階は過ぎ、モタモタするわたしは、キツく言われて涙が出そう。
効率重視で、思い遣りというものを育んで来なかったわたしの教育が間違っていたのか。
だが、完全、完璧な子育てなどないので、普通なら善しとしよう。
多くは望まないほうが、幸せが近い。


教育は難しい

2024-09-24 | 子育て
お彼岸を挟んで、2泊3日、夫の実家に娘一家たちとステイした。
孫ちびっ子5人。
上から2番目が10歳の誕生日。
バースデープレゼントで盛り上がった。

、、、のはよいのだが、、、
上2人、塾に行かない代わりに、ドリルをする約束をしていた。
丸つけの後、間違い直しに手こずっている。
2番目男児孫はまだマシだが、1番目男児孫がなかなかハードタイム。
小6ということもあり、手厳しい。
問題集が難しいのもさることながら、なかなか間違い直しが出来ない。
だんだん、ママのボルテージが上がってくる。
ヒステリックに、目が釣り上がる。
キツイ言葉で容赦なく責め続ける。
めちゃくちゃ怖い。
あんなに怖くしたら、出来るものも出来ない。
スーパーパワハラ、モラハラ、心理的虐待だ。
1番目孫Yは完全に固まってしまっている。

なぜ、できない?
なぜ、しない?
なぜ、しようとしない?
◯◯の意味は何?
言ってみなさい。
声に出して。
なぜ、言わない?

と、どんどん追い詰めている。
一向に進まないため、小4男児孫のバースデープレゼントの関連グッズを買いに連れて行かないことにした。
「帰ってくるまでに何が何でもやっておきなさい!」と捨て台詞と共に、1番上孫だけを家に残して、皆んなで出かけた。
ジジババ(夫とわたし)は自主的に家に残り、1番上孫Yに、優しく言葉を掛けた。
「さあ、気分を切り替えて、アイスクリームを食べようか」と夫(じいちゃん)が声をかけ、食べさせようとしたが、Yは過呼吸のような、咳と涙が止まらない状態がある程度、続いて、食べることが出来なかった。

精神的な強いストレスから、明らかに身体に症状が出ている。
夫は、頭からガミガミ怒鳴らずに、根気強く粘りながら、ゆっくり、わかりやすくYに教えた。

わたしは、子供の教育にはさほど苦労したことがないので、あまりよくわからないが、ママのように、あんなにキツく追い詰めたら、絶対にやる気をなくすと思う。
わたしは劣等生だったため、自分自身の教育には少し苦労した。
が、学校の特徴でもあったが、周りの生徒が強烈に出来すぎ、ハイレベルな中に、凡人のわたしが放り込まれたため、必要以上に出来の悪さを実感した。
逆に、周りが普通の中で教育を受けた子は、へんに劣等感にも苛まれることなく、のびのびと明るく、捻じ曲がらずに成長していた。
羨ましい限りだ。
結果は大して変わらないのに、かたや劣等感の塊、かたや優越感の塊、、、どっちがいい?
あんまり、ぎゅーぎゅー締め付けずに、のびやかに勉強できる環境がいいと思う。
が、その反面、自主性に任せると全く勉強しないかも知れない。
ある程度プレッシャーを与えるのも必要だ。

1番上孫は、塾に行くか、自宅でドリルか、と親が選択肢を与えたところ、「塾に行かず自宅でドリル」を本人が選んだらしい。
が、自宅でドリルはかなり大変。
親が子供の勉強を見るのは、感情的にもなるし、うまくいかないことが多い。
(わたしは、ピアノレッスンの予習を家でやって、子供達をピアノ嫌いにしてしまった。音楽の芽を潰した。
わたしの教え方が悪かったため、胸が痛い)

塾でプロに任せるのが、親子共に、良いのではないかと思う。
介護をプロにお願いするほうが、激しい親子ケンカを回避できるのと同じように。

1番上孫も、母親も、自宅ドリルには限界を感じ、今後は塾に行く選択をするかも知れない。
それにしても、教育は難しい。

ちなみに、テレビ特集で説明していたが、教育虐待する親は、子供に自分が果たせなかった高い理想を押し付けるためらしい。
だがしかし、長女は、1番上孫に、高い理想を押し付けているわけではなく、普通に自分と同レベルを目指しているだけなのだが。
とは言え、子供が皆んな、よく勉強するかというと、そんな子はあまりいないと想像する。
まだ自主性が芽生えていない子供を勉強させるのは、かなり困難だ。
本当に教育は難しい。



余裕がなかった子育て

2023-08-02 | 子育て
暑い暑い、お昼間、真っ盛りの時間帯の住宅街、バス停。
そんな時間にも出かける人々がいる。
わたしは、首に、水で濡らしたクーラーチョーカーをぐるりと巻きつける。
省エネタイプの冷却グッズ。

「この暑いのに、また首にそんなもの巻いて!」と、ある人に驚かれたが、いったい誰が冷却用以外に首に巻く?(スカーフとかを巻くわけない)
この人物はいつも、ちょっと1本足りない。
なので、2本足りないわたしとは、バランスが合っている。
わたしといると、気が抜けてイイんだそう。
ただし、ぬるい炭酸が抜けたサイダーは、美味しくなくてオススメできない。
常に緊張を強いられる立場にいる人とは、温度差がありすぎて、お互いトラブルの元なので接し合わない。
娘たちなどは、その典型的な例。
テンポのずれたわたしに、イラつくんだと思う。
わたしもズレを自覚しているので、なるべく邪魔をしないように、そっと後方からお手伝いさせてもらっている。
時々、意図しないご褒美(例えば、孫の絵画が入選したとか)が天から降ってきて喜んでいる。

そう言えば、わたしは自分の子供が絵画で入賞しても観に行ったことがない。
関西の中心都市である大阪市に展示されるとかだったが、わざわざ足を運ぶ時間も気力もなく、行かずに観ないままだった。
子育て&自分育て真っ盛りの時は、余裕がない。
子供達にはかわいそうなことをした。

そもそも、主要5教科(4教科)への本格的取り組みは就学と同時にスタートし、リタイアすると終了するものと考えていた。
副教科(音楽、図工、体育、技術家庭)は、勉強に本腰を入れるまでの期間と、リタイア後のお遊び、と捉えていた。
かつて仕事で、芸大の入学案内に関わったことがある。
その中で、卒業後の就職案内が紹介されていた。
彫刻科の就職先は、、、と見てみると、リタイア後に充実した時間を楽しめる、となっていた。
なんと!
就職には役には立たないことを最初から事前に告知している、、、学校もスゴイ。誤魔化しがない。
芸大主席卒で世界のピアノコンクールで受賞したり、音楽の先生になったり、そういうコースはある。(ごく一握りの優秀な人)
音大の授業料がすごく高いけれど娘さんを卒業させた、ある知り合いの親ごさんが嘆いていた。
「娘は卒業後、全く活動せず引きこもりになっている」と。
実社会との折り合いは難しい。
ある知人。
学校の先生に、「息子さんにはピアノの才能がありますが、コースはどうしますか?」と問われて、「音楽とは無関係の普通コースでお願いします」と親ごさんは返事したと、親ごさんご本人から聞いたことがある。
わたしの娘に、「同じようなことを先生に聞かれたらどうする?」と尋ねてみたら、「断るわ」と即答した。
皆んな、夢より現実志向。

大金持ちになった元同級生は、子供達を全員好きなコースに進ませた。
芸術の道。第一子、第二子、アーティスト、俳優、そして30歳手前の第三子は、まだ進路未定。
さらにさらに、最近、第四子が生まれたようで成人したころには父親はこの世にいるかどうか?

わたしはお金も肝っ玉も度胸もないので、子供たちを小さく手堅いコースに育ててしまった。
まあ、どのコースだったとしても紆余曲折はある。
子供は子供の人生だ。

強制した覚えはないが、影響を受けたかも知れない。
親は見本でもあり、反面教師でもある。

こころの病

2023-06-11 | 子育て
自分ではどうすることも出来ない、自分の気力について、ある方(裕さん)のブログを読んで、あ、これだ!!と腑に落ちた。
双極Ⅱ型障害!

こころの病気なのだ!!
なんだかとても気持ちが落ち着いた。スッキリした。

幼い頃から、悩まされていた。
やる気が出ない。
やる気を出したわけでもないのに、ある時、いきなり(良い)結果が出る。
逆もある。
MAX火を噴いて頑張り続けているのに、「やる気がない、さぼっている」と見なされ、ますます、ハッパをかけられる。
自分の熱量や努力と、評価される時期や内容のギャップが激しく、評価そのものに対して疑心暗鬼に陥っている。
気持ちとズレが生じている。

躁鬱症なんだわ、これ。
静かな、他人を巻き込まない躁鬱症。
自分ではコントロール出来ない自分の何かに操られる。


子供の頃から、母のヒステリー症状にはかなり悩まされた。
1日も早く家を出たい、そう思っていたのは、このヒステリーのせいだったのではないかと推測する。
母のヒステリーは、わたしの神経が蝕まれるほどだと感じた。
小学校では成績がパッとしないこともあり、担任の先生が成績優秀生徒を可愛がっているような気がして被害者意識が芽生えた。
わたしのやる気のなさと、結果について、強烈に圧力をかけてきた。
その後、成績は上がったが、頑張りと成績には合点がいかず、大人は信用出来ない、と大人を避ける子供だった。
わたしは、無表情で、自分の感情や意思を外に表さない子供になり、そのまま大人になった。

わたしの子供達にも無意識でこころを傷つける態度で接していたら、後悔してもしきれない。
済んでしまったこと、もうやり直せないので、子供達は自力で経験を通して治癒し「欠け」を治して欲しい。
わたしがそうしてきたように。(まだ完結していない、未熟なままだけど)


ちなみに、セルフ カウンセリングは効果的だと感じる。
昔の母から受けたこころの傷を文章にして書いていたら、自然に涙がこぼれた。
自浄作用?
自分の傷を自分で治す、一種の癒し。
自分で自分の傷を舐める。

他者が精神がおかしくなっている間は、まともに寄り添わないのが良い。
寄り添うと巻き込まれる。
じっと(他の関係ないことでも考えて)狂気の嵐が去るのを待つのが良い。
と、強くそう思う。
これは、わたしの経験から私流対処法。


昨夜、長女一家が夕食にやってきた。
一番下孫が眠くなり寝かしたのだが、1〜2時間ぐらい寝て、起きてからがグズリまくりで、強烈にわたしの神経に障った。
ずーっとずーっと長い間、泣き続け、パパ、ママが交替であやしたり宥(なだ)めたり、よしよし、泣かないで、いい子いい子、と、抱っこしたり、抱っこしたまま歩き回ったり、何かを食べさせようとしたり、、、ご機嫌を取っていた。
3歳って、こんなかんじだった?
わたしは、アタマに釘をガンガン何本も打ちつけられるかのごとく、ギャンギャン泣く孫がうるさくて、むかついて、どうしようもなかった。
口では「親って、偉いねえ、こんなに泣かれて大変やね」と労いつつ、
こころの中では精神のブレはMAXに達し「はやく、家に帰れ!!!」と思った。
娘婿に「もし、この子が7人きょうだいの4番目だったら、どうしてるでしょうね?
誰が機嫌を取って宥めてくれるんでしょう?」と言った。
娘婿は無言で、あやしていた。

わたしは、3人の子供を育てた経験がありながら、毎度、あの、子供の狂気に触れると、こちらの狂気スイッチがオンになる。
だが、幼児相手にまともにキレて怒ったりしているところを知られたくない。
大人気ないから。
祖母が孫にキレていては、話にならない。
自分の未熟な部分、欠陥をさらしているようなものだ。
本当に自分では抑えられないぐらいマイナス神経が暴走する。
老化で益々凶暴になり暴走しているのか?
頭を掻きむしるぐらい、イライラ苦痛。
泣き声は、こちらの理性を吹き飛ばす。が、必死で耐える。
爆発させたら、自分の評価を下げる。
忍耐と理性でギリギリまで耐える。
子供虐待は、この線を越えるのだろう。
すっと越えられる、境界がほぼない、すぐ目の前の線。

後から聞いたら、眠かったらしい。
わたしが子育て中に得た答えと同じ。
子供がわけがわからないほど、手に余る、始末に困る、どうしようもない時は、眠い時。
何度も何度もそれを経験する度に、初めて接したように悩み、狂い、神経が乱されるのだが、眠かったようだという原因を知り、度々の前例で嫌というほどわかっているのに、同じことを繰り返し、学習能力がない。
子供が制御不能になる、その度にわたしも狂っていた。
子育てはそれの繰り返しだ。
そんな経験を積んでいるにも関わらず、またまた孫と同時に狂う。
痛いことに慣れることは決してなく、痛いと感じる痛みは、いつ痛い目に遭っても痛い。
それとも、いまだにキンキン乱されるのは、わたしだけだろうか。

ご機嫌が治って、まるで何ごともなかったように別人になって、ニコニコしている孫を見て、ああ良かった、というよりは、ため息が出る。
陣痛と同じ。
耐えていれば、やがて止む。
世の中の親は皆んな経験していることだが、時間が経つと忘れるようだ。





泣かれた朝

2022-10-01 | 子育て
秋晴れ。

孫、小学生男子児童(2年生と4年生)、2人がやって来た。
日によっては、親も下の女児きょうだいたちも来ず、男児2人だけのこともある。
親の仕事の関係でスケジュールが刻まれている。

なかなか来ないと、ひょっとして今日は来ないのかな?と思ったりする。
GPS機能搭載、手のひらサイズの携帯用の子供見守りツールを下の男児(弟)Kは親に持たされている。
学校からの行き帰りなど、移動中もどこにいるのかわかるようになっている。
帰宅が遅いとまだ学校にいるのかチェックできる。
昨日は、GPSでは家に到着したものの、家から移動しない。
1時間近く経って、兄ちゃんYと首を揃えて我が家に現れた。

ああ、来てくれたのね。
大歓迎!!となる。
来たら来たでうるさいのだけれど。

・・・・・
シルバーウィークの旅行で、わたしは男児たちと同室に部屋を割り振られた。
男児ジジババチームである。
女性はわたしのみ。
その一方で、女児保育所組はパパママチームへ。
パパママチームは、男性はパパのみ。
男女比率が偏っているが、お互い、性別枠を通り越した年齢。
問題なし。
それはよいのだが、男児たちは寝相が悪く、安眠妨害甚だしい。
まあそれはそれとして。
2日目はさらに、ジジババ男児チームは分割され、ジジ&下男児K、ババ&上男児Yが同室になった。
この4人は大人1人に子供1人、お互い好きなように組み合わせてオッケーということだったが、早いもの勝ち、リクエスト制、空気を読む、強硬一方的、、、なんでも良かった。
さあ、誰が誰を取る?睨み合いが続いた。
相思相愛もあり得るが、どっちも嫌、なんてのも大いにあり得る。
片思いや、人気集中や、余りモノ売れ残りになることも想定内。
さあどうする?誰にする?
遠慮、思惑、気遣い、忖度が渦巻く静かな時間。
穏やかな睨み合いの後、自然な流れで(主にわたしの意向)、組み合わせは決まった。
別にトラブルも混乱も、後のクレームも(さほど)なかった。
ジジは下の男児K、ババは上の男児Yになった。
めでたし、めでたし。
わたし以外に要望(リクエスト)を持つ人物はいなかったので、すんなり行った。

なぜわたしが上男児Yを選んだか。
他でもない、、、下男児Kは、強烈に寝相が悪いと聞いていたからだ。
ダブルベッドなので、寝相は重要な要因だ。
が、蓋をあけてみると、まあなんと上男児Y(兄ちゃん)も寝相の悪いこと。
わたしは蹴られまくり1時間置きに目が覚めた。
子供って、こんなに寝相が悪いものなんだ、、、一緒に寝ないから、すっかり忘れていた。
・・・・・

やきもきしていたが、元気よく現れた2人。
GPSによると、下男児Kは自宅に帰って1時間後に、うちに来た。
後から下校して帰ってくる兄ちゃんYを待っていたらしい。

2人の元気な顔を見ると、ホッとした。
孫たちは自分の家に居るほうが快適なのではないか、ばあちゃんちに来たくないのでは?
と、必要以上に安堵したには理由がある。

旅行のホテルでの朝、5時から起きて「一緒に遊ぼう」と、親の別部屋に行ってトランプを持ってきて準備していた下男児Kの要求をむげに断ったことをわたしは気にしていた。
あの時は同室の3人(ジジババ、上男児Y)全員が皆んな用事(ジジババ)やTVを見たかった(上男児Y)ため、下男児Kのリクエストを断った。
しつこく、遊ぼうよー、と下男児Kはアピールしていたが、皆んなにお断りスルーされ、しくしく泣き出した。
泣いてもなだめるわけじゃなし、トランプに付き合うわけじゃなし、3人ともそれまでの自分の行動を黙々と続けた。
「ごめん、これ今やらないといけないから遊べないのよ」とはわたしは言ったが、下男児Kは、しくしく泣くばかり。
遊べないものは遊べない。
「ひとりでトランプしろ」と上男児Yに言われ、三角座りして下男児Kは膝をかかえていた。
もう小学2年にもなって、いくらなんでもそんな自分の思いが達成できないからって、めそめそしているのには、可哀想でもあり、また、でもなあ、、、と、わたしは自分のことを優先するほうが大事と強行した。
とは言っても、自分の用事なんて仕事でも緊急事態でもなんでもない自由度の高いお遊びなのだが。

後でママに、この、めそめそ事件を報告すると意外な一言が返ってきた。
「Kは、大人は子供の要望を聞いてくれなくてもいいんだ、無視してもいいんだ、と学んだんじゃない?」
無視した我々が悪いかのような発言にわたしはいささか驚いた。
朝5時から旅先のホテルで子供のトランプに付き合わなければ非難されるのか?
何もすることがないのに、とか、気が進まないならいざ知らず、用事があるという歴然とした理由があるにもかかわらず。(が、たいした用事ではないところが堂々と胸を張れないところ)
単なるトランプではあるが、自責の念を持たなければならないのか、と、わたしの問題意識として脳内に引っかかっていた。

と、長々書いた。
そんなこんなで、そろそろYK兄弟が来る時間になっても来ないと、先日の旅行が頭に浮かんだ。
そういう事情があり、トランプ事件の翌日に本人Kに直接「ごめんねー」と謝ったものの、Kは深くこころを痛めて、ばあちゃんなんか嫌いになっていたらどうしよう、と懸念した。

しかし、孫の言うことばっかり聞かないばあちゃんである。
自分のことも優先することもある。
折り合いをつける。
気に入られるために、なんでもハイハイと要望を飲んでいたらロクなことがない。
フロアは傷だらけ、椅子やソファはクタクタ、べたべたぼろぼろ、仕方ないといってももう10年が経ち、まだ下は2歳(さらに次女のところには、1歳児もいる)、ばあちゃんの生活を脅かす。
なので、そこは、お互い調整が大事なのだ。

あんなに尽くした孫なのに、、、と将来、寄り付かなくなって嘆くよりは、
あまり無理に頑張って尽くさない。
自分が出来る範囲でする。
やがて寄り付かなくなる日は必ず来るから、後悔しないように今の孫たちとの日常を楽しむ。
今、将来、さじ加減が必要だ。
自分や周りに、あまり期待しないこと。
評価を求めてはいけない。
楽しみながら、出来る範囲で奉仕すること。

自分が、自分の祖母を見て、
子供たちから、子供たちの祖母を見て、
孫たちからわたしを見て、
孫育ても順送りかなと。




おしめ

2022-08-28 | 子育て
小学生男児孫チーム。
保育所女児孫チーム。
今月、2歳になったばかりの1番下孫は、口はよく回る、口語、文法バッチリ。
だが、下から2番目の(過去の)お姉ちゃん同様、おしめ。
あれだけ流暢に日本語が喋れるのに、なぜかトイレアウトプットは無言のまま、おしめの中に。
液体はどうってことなく紙おしめに吸収されるが、大きな個体はかなりの異物感を抱えたまま。
まあ2歳になったばかりだから、そんなものか。うーーん、、、

わたしの子供たちは全員冬生まれだったため、2歳前の夏にトレーニングパンツ着用で短期集中、1ヵ月で無事トレーニング終了した。
言語をしゃべっていたかどうか、忘れたが、室内は柵を外した動物園状態になっていた。

今の紙おしめは、一段と質が向上し、快適なため、おしめに溜まるということはないようだ。
あまり不快な自覚がないままに過ごせてしまう。
その点、トレーニングパンツは、吸収機能がないので、ジャジャ漏れ。
本人はその場で両足を開いたまま、棒立ち。
うわぁ〜んと泣いたかどうかは、覚えてない。
何か自分の身に異変が起こったことは自覚したはず。
そのまま何ごともなかったかのように前の動作を継続することはなく、自分に起きたことを身体で覚える。
じゃー。ジャー。あちこちで洪水。

これは、潔癖症の母、あるいは一流ナニーや保育士さんなら出来ないのでは?
わたしのような、チマチマいちいち丁寧に対応するのが限りなく面倒な、一気に一度にまとめてやってしまおう!という、超ものぐさにしか出来ないかも。
新築の家だとか、こだわりあるインテリアだとか、そういうのだと絶対に無理。
子育て専用の家、家具、全て。
優雅な大人の生活は子育て後、と決めていた。
というわけで、わりと3人とも、すんなり短時間で、その時期になるとおしめが取れた。
そもそも紙おしめは、赤ちゃんの時は使わなかった。
布おしめをせっせせっせと洗っては乾かし、洗っては乾かし、手はアカギレだらけだった。
それに、ややこしい手のかかる時期は動物園(自宅)からあまり出なかった。
近所のスーパーに買い物に行くぐらいで、公共機関の交通手段を使うことはなかった。
しーーっ!車内はお利口にしなさい、静かにしなさい、と叱るのが嫌だった。
子供はバタバタじっとしてないのが普通なのに、「じっとしていろ」などと拷問のようなことは出来ない。
その割に、子供たちも孫たちも大人しかった。
DNAか?

何しろ、幼稚園に行くまでの辛抱と、わたしはじっと耐え、ひたすら時を待った。
ワンオペで結構しんどかった。
そういう時代。
時代の中でも最後方を行っていた。
最先端の逆。
夫はさらにその後ろを行っていた。
大きな頑丈なギフトボックスの中に、何重にも敷かれたクッションに包まれ、さらに箱の上からはこれまた幾重にも過剰包装。
逆エコ。
転ぶ前に障害物は取り除き、さらに転んでも痛くないように敷物が敷かれていた。
夫はそういう育てられ方をしていた。
滅菌純正栽培なんだろう。

(※続く)

お嬢様

2022-05-06 | 子育て
今、ブログ村エッセイで、とんがったママがキラ星のごとく登場した。
このブログ、すごく面白い。
「VERY」(富裕層女子向けファッション雑誌)が仮想敵国だという表現、ウケまくった。
このブロガーさんと長女Mは、ほぼ同世代(長子の年齢が同じなため)だと思われる。
長女Mに仮想敵国表現の感想を伝えた。

長女Mは言った。
「わたしには、そもそもVERY的嗜好そのものがない。
だから、羨ましくもなく敵でもない」
なるほど。
納得。

子供の服について。
お下がりに対する認識。
長女Mには、高級なおかつセンスの良いお下がりをくれ続ける、中学時代からの友人たちがいる。
女児服。彩りいろいろ。
彼女たちのお下がりはとても趣味が良いと、わたしは思う。
さらに、長女Mは、子供(長男)の保育所時代のクラスメイトのママと仲良くなった。
いわゆるママ友。
彼女の子供は男児一人っ子で、服装の趣味がすこぶる良い。
これまたハイセンス、高品質。
長女Mの一番上の男児と同級生で同じ年齢のため、お下がりは、下の男児が着ることになる。
上の男児は、パパ方いとこからのお下がりが来て、服装特徴は本格スポーツ派。
中でもシューズにはこだわりがあり、0.5センチずつ違う、全く同じ型で色違いのものを取り揃えてある。
パパ方いとこは男児は1人で、オシャレ用?(お出かけ用?)の靴のため、傷みは少なく、孫たちが色違いを兄弟で履くと、カッコいい。

靴は色違いでも、スポーツ派お下がりの上の男児と、シティ派お下がりの下の男児、2人並ぶとテイストは違うが、それもまた良い味。
こう書くと親は何も買わないのか、と長女に怒られそうだが、必要必需品は買っているようだ。
(そう悪くないセンスだとわたしは思っている)

何しろ、長女Mの学生時代の友人グループからは高級品、保育所グループからは可愛いトレンド品が、次から次へと回ってくる。
同じ人がくれ続けると同じテイストになる。
2歳ぐらい上の同性の子供を持つ親たちと仲良しだと、ほとんど服には不自由しない。
それを次女Rがそのまま、どさっとお下がりのお下がりをもらっているが、ほぼ新品、あるいは新品のお下がりもある。

抱っこ紐、おんぶ紐も随分回ってきたのではないだろうか。
自分が買ったものも早々に人に回してしまい、妹Rに回す時は、別の人から回ってきた別の品になっていたりする。

孫たちの可愛い服を見るたびに、持つべきものは、趣味の良い友達だと、わたしはいつも思う。
それなりに、長女もネットワークを駆使するには、行事の役割遂行や到来物のお裾分けなど、日頃、動いていると思われる。
口を開けて待っているだけではないと想像する。
子供の成長も止まることがない。
人の動きも、絶えず動き続けていることだろう。

それにしても。
子供は着るもので変わる。
全く中味とかけ離れていても、お嬢様服を着ると、お嬢様に見えるから不思議なものだ。
しかも、友人から回ってきた服で。
そこのところが、とても面白い。
長女自身は、(大人)VERY派でもなく、ファミ○ア派でもなく、ミ○ハウス派でもない。
だが、今のところ、末子一歳女児は、上から下までミ○ハウス。(お下がり)
(4歳女児は、女の子らしい別ブランド「○曲?」)
流行っているの?
わたしの時代は、ミ○ハウスというと、あまりよいイメージはなかったけれど。
正統派ファミ○アが、姑世代にはウケが良かった。
時代は変わるものだ。



泣きたいのは、こっち

2021-09-19 | 子育て
昨日のブログに書いた、ギャン泣きベビーと少し遊んで、家をあとにした。
ギャン泣きちゃんは、今日はちょっとはマシ。
泣かない時は、いっときも止まることなく、手足をばたつかせていた。
のほほんとする瞬間がない。
たった生後2ヶ月でも個性があるようだ。
夜は寝ると全く起きない。
なんとオン、オフ、わかりやすいメリハリ。

それにしても、子育ては大変だ。
自分ながらよく3人も育てたものだ。
若いから出来たのだろう。
今なら、ギブアップ、中途リタイア。
子供を育てるより、自分を育ててやらないと、へなへなになっている。

赤ちゃんから子供に、子供から大人になる時期は、成長期。(思春期、含む)
大人から老いるまでは充実期。(子育て期、含む)
老いてからは、自分を終わらせる終末期。

子供を育てた後も、自分もまだ成長し、さらに充実しながらも、先は終末を視野に入れる。
視野には入れるものの、わたしは今は終末期ではないようだ。
ではあるが、子供を育てるエネルギーよりも、自分を持ち越す、維持するエネルギーのほうが大きくなってきそうだ。

自分が成長する時期は完全に終わったと感じる。
これ以上、伸びないので、負荷もかけられない。
負荷を乗り越えるどころか、負担となる。
なので、ギャン泣きベビーは、必ずしも世話しなくてもよい、というわたしの勝手な論理。
役に立たなくて悪いなあという、後ろめたい気持ちになる必要はない。
頑張れる人、頑張るのが好きな人、頑張るのが生き甲斐の人は頑張ればよい。
わたしのように、頑張るのが苦手な人は、自分を押し殺し、ねじ伏せてまで、頑張らなくてもよい。

次女が育児ノイローゼにでもなったなら、あるいは、なりそうなら、頑張って世話する。
が、今のところ、大丈夫そうなので、見守るだけにさせてほしい、、、。
頑張れないばあちゃんからの、お願いです。


ギャン泣き孫の子守、無理

2021-09-18 | 子育て
次女。一日中、子守。
よく鬱病にならないなあと思うぐらい、根を詰めている。
ずっとずっと世話をしている。
赤ん坊が眠る時も身体の上に載せていたり、抱っこしたままだったり。
(夜はしっかり朝まで寝るようだが)
この赤ん坊、悪魔の落とし子で、ギャン泣き、ギャンギャンギャン。
シグナル発信として普通に泣けば周りはわかるのに、すごい声で泣く。
一体、何事が起きたのだろう?大事件?大事故?大惨事?断末魔の叫び?というような声。
ギャアーーッ!

しかし、こんな迫力ある声を出せるのも能力の一つだろう。
充分、武器になる。
人を意のままに動かせるマインドコントロールだって出来る。
強力なツール。
ちょっと知らん顔、スルーするだけでギャンギャンギャンと力の限り泣かれるため、ご近所から虐待を疑われる可能性もある。

このギャンギャンギャンは、抱っこするとおさまる。
おさまらない時は、眠い時。こればかりはどうしようもない。
打つ手なし。
ひたすら泣き続ける。

眠い時と空腹時以外は、一応、抱っこさえすれば泣き止むという、非常にわかりやすい欲求をギャン泣きで表現する。
わかりやすいのではあるが、四六時中、抱っこしろ!という要望は無謀である。
ちなみに、わたしの子供たちは、大変大人しく、2歳になるまでは何の問題もなかったので、まだ首も座らない赤ん坊に手がかかる状態が想像できない。
次女が大変な目に遭っているのに気持ちをシェアできない、感情移入できないのは次女がかわいそうなので、理解しようと頑張ってみるのだが、、、。
赤ん坊は十人十色で、自分の子供がやたら大人しかったからといって、他の赤ん坊も大人しいものであると決めつけるのは良くない。
なので、孫はわたしの子供たちとはまた別のようで、何しろ手がかかる。
一日中、抱っこしている次女がかわいそうになる。
替われるものなら替わってあげたいのだが、あのギャーギャーギャン泣きは、わたしの脳波をMAX乱す。
た、す、け、てーーー!
こっちが、ギャーー!!となる。

なので、わたしの精神的被害が大きすぎて、替わってあげられない。
役に立たない、頼りにならない、ばあちゃんである。

もし、何か特別な事態にでもなればお手伝いや協力は惜しまないが、平時では避けた気持ちだ。

ということで、子守サポートはちゃんと出来ていない。
わたしはあまり無理をしない主義なので、出来ることしかしない。
自分が鬱病になってまで、人助けをしない。
期待されてないと思うが、落胆しないでね。
自分が潰れたら元も子もない。

眠いので、もう寝ます。