蝶になりたい

いくつになっても、モラトリアム人生。
迷っているうちに、枯れる時期を過ぎてもまだ夢を見る・・・。

結論なんかない

2024-12-10 | 人々の風景
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ある趣味サイトの、日記に付けられた強烈に長い長いコメントのやり取り。
ラリーの応酬。
わたしとあまり変わらない年齢、60を超えた女性、お二人の関心事に、驚かされた。

コメントは130を優に超えるので、話題は多岐に渡ると言えば言えるが。
人間の外側に異常なまでに興味を示すお二人。
外見、容姿、ファッション、持ち物、人物背景、経済状況。
あとは、人間以外の外側。
食器、家、インテリア、、、(芸術系なら、わたしも好きだけど)
それで話が尽きると、今度は自分語り。
スケールが違う、波瀾万丈、型破りの人生を歩んでこられているのは、よくよくわかった。
のではあるが、、、。
わたしとは全てが違うため、同世代の同じ国に生まれ暮らした人たちの考えていることなのに、わたしがまるで理解できないことに対して興味をもった。
なぜ、そんなに外側にこだわるのか。
中側、内側は?
形から入るタイプ?
外ばかりを固めてフル装備、装甲車?

見知らぬ犬同士が先ずは吠え合うところから始まるのか。
吠え終わるまで時間がかかる。
この、はじめましての吠えタイムは、あくまでも第一ラウンドだとは思うが。

それにしても話題が即物的ではあるものの、知識が半端なく豊富。
抽象的な主観の世界ではなく、具体例や商品名を出すと共通認識をたぐりよせ、わかりやすい。
逆に知識がない人は、自分の世界を説明できない。語れない。
だが、興味がない人にとっては、まるでどうでもいい知識。
説明もう終わった?終わったら知らせてねー、のノリ。
はいはい、よく知ってるね、で、何が言いたいの?それがどうしたの?
結論は?
結論に辿り着くには130ぐらいのコメントでは収まらないだろう。
熱く語ることそのものが、その時間を享受することが楽しい、そういうことなんだろう。
生きる意味は?なんて探究するより、何が好き?何食べる?で、よい。
あ、それ嫌い、それ興味ない、で、よい。
突き詰めても、絵に描いた餅ではお腹が膨れない。
毎日、あーだこーだと暇を潰して騒いでないと、結果ばかりを求めていては、やってられない。
楽しい時間を共有する人と、活気的に過ごす。
共有出来ない人は、別の共有できるもの、人を探す。別に人でなくてもいい。
そうやって、人、もの、情報は集まる。
インターネットだと、家の中でじっとしていても、広い世界からピンポイントで共通の人に出会う可能性がある。
あるいは、人と群れず、一つのことを一途に追求するのも悪くない。

プロセスこそが大事。
生きている限り。
結論が出たら、残り時間が退屈だ。
天国への待ち時間になる。
待っている間、何をすればいい?
手持ち無沙汰。

で、追記です。
自分が理解出来ないことに対して、否定するのではなく、受容しようと自らにハッパをかけて、かなり頑張って理解しようと努めてみた。
が、わからないものは、わからない、、、受け入れられないものは呑み込めない、、、
そうやって、あえて融合しようと力まず、お互い、距離をもって棲み分けすればいいのでは。
と、自分を納得させた。
(今回はChatGPT のアドバイスは無し)