昨日、出かけるまでの時間を利用して、スマホで遊んだ。
時間潰しとも言える。
その中で、時間潰しを超えて、時間が超過オーバーになりそうなものは、途中で視聴を放棄する。
専念していられない。
その放棄したYouTube。
切り口や題材は使い古されているが、わたしが興味あるテーマがある。
志願者が各分野のプロ、スペシャリストに依頼し、全身美容整形して、コンプレックスを克服して前向きに生きていく、というもの。
いつもはよくあるヘアデザイナー(美容師)やスタイリストの参加は、無し。
直接的な改造のみに、光を当てる。
全員、若手医師。
(※ここで、近年、医師の進む診療科が偏り、医療社会問題が頭をもたげるが、とりあえず横に置いて)
顔や容姿は、あくまでもコンプレックスの具象化。
内面のモヤモヤを追求すると、見かけ、外見にたどり着く。パラドックス。
人物評価に見かけではなく「能力」枠が加わると、価値観を変えなければ競争社会では生きていけない。
いくらこころが満たされ幸せでも、それはさておき、成人になれば自立する術が必要だ。
若い時は、容姿に捉われるのもわかるが。
容姿を磨くには不断の努力が必要だし、中身がお粗末なら、いつまでも容姿一本槍だけでは続かない。
若いと、たぶん、理解できないだろうけれど。
外見だけではない。
もちろん外見もある意味、重要だ。
どうしても受け入れられない外見というのもある。
その逆に、理屈抜きで好きな外見もある。
外見だけでなく、コミュニケーション能力の高さだったり、関わり方で好き嫌いは分かれてくる。
自分も変わるし。(そこが大事)
若い人は、先ずは、優れた容姿、外見を手に入れてから中身の充実にかかるのか?
若い時は美しくても、歳を重ねるとイマイチの人、これはほとんど。
だが、若い時、ぱっとしなくても、年齢が行くと、ぐっと良くなる人もいる。
魅力のポイントが何かによって、違ってくる。
若い時は若さを絶賛される。
それは必ずなくなるものだとわかっているから。
人生の先輩たちは、骨身に染みて理解している。
なので、若い人を見ると、自分の来た道を見る。
今のうちだけだからね、という教訓を周りで示す人がいるかどうか、それでかなり違ってくると思う。
本からの知識、教えでもいい。
が、火の中にいては、聞く耳を持たない。
わたしは若さを思いっきり自分なりに享受した。
だが、その傍ら、「蟻とキリギリス」がチラリと頭の隅っこに点滅する。
きゃあきゃあ、はしゃぐ一方で、若さを失った後、わたしは何も残らない、と、当時の若い自分は思っていた。
同時進行していた。
はしゃぐ自分と、醒める自分。
享受と杞憂。
やっかいな性質。
引っ張りあって、もつれ合って、順調に毎年、歳を取っている。
皺やタルミ、老化の何が悪い?
結局、行き着くところは自己肯定か。
1番、嫌がられるパターンである。