純真無垢
2024-12-15 | 人生
書くことで現在地を確認、、、まさに、その通りだ。
わたしは、真ん中がなくて、両極端なため、社会的に生きるために自分をコントロールする必要がある。
その場合、中央値を取る。
だが、この中央値はわたしを表すものではなく、便宜上、採用している、一種の作為的な造りものである。
そうでもしないと、バランスが保てない。
とは言え、精神疾患は抱えていない。
心身健康な健康優良児で、そのまま歳を取ったような人物。
その、つるんつるんの、健康優良児の根源は、両親が健康体だったこと。
親の丈夫なDNAをもらっていて、とてもありがたい。
これは親が意図的にしたことではなく、(無宗派の)神に感謝。
老年にどんどん進めば、歳相応の老化、劣化はやむを得ない。
神様、お願い!特別に、わたしにだけ、不老不死を!とは願っていない。
いつも笑いが絶えない明るい幸せな家庭など、嘘くさいか、鈍感の極みか、おめでたい人の陰で誰かが泣いているか、だと思っている。
なので、家庭には何かしら軋みやトラブルを抱えていることだろう。
生命の誕生に希望の光を見て、衰退、滅亡を繰り返す。
そのあっという間の短い人生には、トラブルや喜怒哀楽が詰まっている。
これまでを振り返ると、幼い頃の楽しい日々が思い出される。
鼻の奥がきゅんと痛くなり、涙が溢れてくる。
何も知らない子供のこころは純真無垢だ。
何も知らないことこそが、純真無垢なのだ。
大人になるとそうは行かない。
それが成長というもの。
孫たちの成長過程を目の当たりにしていると、胸が詰まる思いがする。
大人になることと、純真無垢は両立しない。
で、話を戻す。
わたしは、両極端なので、とりあえず、便宜上、中央値を取っているが、やがて、その中央値が馴染んできて自分らしさになっている、、、かというと、そんなことはない。
生まれつきの性分はそんなに変わるものではない。
だがしかし、幼い頃の自分を思い出してみると、両極端でもなんでもなかったように思う。
まだ知能が発達途中のため、自覚出来るほど思考力が育っていなかっただけかも知れないが。
純真無垢と、脳の未発達は、紙一重かも知れない。
そう考えると、純真無垢の時代が失われたと感じたとしても、その時代の素養(ベース)に加えて知恵が付き、上書きされたということか。
冷蔵では日持ちしない食物を冷凍して、後日、使うか食べるか。
無意識に時間を操作しているようにも考えられる。
脳も老化すると認知機能が衰え、生命を維持するための根幹となる大事なことしか理解できなくなるのではなかろうか。
知識はもちろん、知恵が削ぎ落とされ、純粋無垢なことだけが残ればいいのだけど、そううまい具合には行かない。
脳の交通整理は、脳の司令塔によって行われると思うが、司令塔自体が老化しているため、交通整理の指示どころではない。
信号停止。
脳内に「知恵」を残したら、知恵が働き「純粋無垢」しか残らないかというと、決してそんなことはない。
自分が正しいと信じ込み、他を否定する石頭カチカチの排除型「知恵」が、純真無垢だとは思えない。
わたしの考える「知恵」とは、状況を理解して自分で考え対処すること。
石頭カチカチは、知恵ではない。
とりあえず負けたフリで、甦るのは知恵なのか?
よくわかりません。
勝った負けたなどはなく、自分そのものをなくして無になるのも幸せかも知れない。
が、周りに利用されまくったら腹立たしい。
勝った負けたはないが、得した損した、と欲の塊。
わたしはまだまだ仏さんにはなれない。
ちなみに。
昨日は、私の実家で法要が行われた。
料亭は利用せず、実家で関係者が集まった。
紅葉が美しい、静かで賑やかな1日。
姪と、姪の娘のピアノ連弾が、とても迫力と弾力があり、活気と華やぎで室内が満たされた。
故人も喜んでいることだろう。