虐げられ、弱い者は、メソメソ泣くだけではなく逆襲の機会を狙っている。
藁人形や五寸釘を用意して、呪ったりするのは、非科学的。
生き霊で枕元に立つなんていうことになると、、、しかしこれはこれで、少し面白いかも。
霊ではなく、ホンモノ、本人が枕元に、、、。
昼間より闇夜のほうが霊が際立つ。
家族なら「あら、こんな時間にまたトイレ?」なんてことにもなるかも知れないが、家族でないなら、不法侵入。
警察のお世話になるのは不本意である。
生き霊&本人、枕元作戦はやめたほうが良さそう。
では、、、爆発物を隠し持つ。
いつ爆発させるか?
タイミングを計る。
一生、爆発させないで、脅すだけ、という手もある。
が、爆発させようとしても、湿気ていて火が付かなかったりして。
相手を幸せにさせるか、不幸にさせるかは、
こちらの手の中にある。
選択スイッチボタンを握りしめる。
人を幸せにさせるというのが、人として、理想である。
だが、自分の幸せを差し出し、自分の不幸と引き換えに、人が幸せになる、、、となると、、、
崇高な宗教家は、そうなんだろう。
賄賂とか、貰わないんだろう。
権力や欲のため、癒着とかしないんだろう。
歴史的に見ると、そうでもなさそうだが。
まあ一個人なので、よほど凶悪犯でもない限り、歴史の渦に埋もれる。
そんな俯瞰的な視点ではなく、目の前の日常のことの場合は?
繰り返しになるが、、、
弱い者は、相手を自分もろとも潰す最後のツールを用意する。
黒い怪物がどんどん肥大化し、ツールも進化する。
利子が利子を生み複利になり、さあどうする?この怪物?
相手を幸せにするのも、不幸にするのも、自分の手にかかっている。
と思うと、そうすぐに実行する必要はない。
最適の時機、頃合いは?
実行最終〆切は、相手の最期の時か、わたしの最期の時。
ありがとうと感謝の涙を流してこの世を去るのも、苦渋に満ちた顔になるのも、自分の行動一つで変わる。
人の最期の瞬間に、その人の人生を左右するのは、ちょっと荷が重いか。
まだ時間があるので、自分の中にある怪物をどうやって養うか、試行錯誤してみよう。
生かすも殺すも自分次第。
いつの間にか、目の前の相手ではなく、相手は自分だったりする。
敵は自分、味方も自分。