京都逍遥

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御靈祭

2012-05-18 22:31:25 | まち歩き

上御靈神社で、御靈祭渡御の儀(還幸祭)が行われた。剣鉾も出るというので行ってみた。

平安遷都(794年)にあたり、桓武天皇が同年、崇道天皇の霊を祀ったのがこの神社の起こりらしい。祇園祭や八大神社でも言及したが、御霊会は、朝廷によって863年神泉苑で行われたのが記録にある始めと言われる。このとき祀られたのが当時、不遇の中で死した「六所の霊(崇道天皇・伊予親王・藤原吉子・藤原仲成・橘逸勢・文室宮田麻呂)」である。この神社の祭神は「崇道天皇の神霊…(中略)…其後…(中略)…井上内親王、他戸親王、藤原大夫人、橘大夫、文大夫の神霊を合祀…(中略)…後更に以上六所の荒魂、火雷神と吉備聖霊とを併祭(京都神社庁HP)」とある。

同HPには「京都の夏祭りの多くは御霊会ですが、当神社の祭礼はその発祥」とされている。

(京都神社庁HP:http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/02/004/index.html

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1227_21201_2                      道路にずいぶん自転車が停められていたが、西側の鳥居の内側にちゃんと1212 駐輪場が用意されていた。

1204 沢山の屋台が出ていて、祭の雰囲気大いにあり。

12時過ぎに到着したときにはまだ人出は少なかったが、神輿渡御の時間が迫るに従って、だんだんと混んできた。

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その場で小耳に挟んだのだが、三基の神輿は毎年巡行の順が違うらしい。「今出川口」と書いた法被を着た人たちが担ぐ神輿が先頭。(ここのも担いでいた。)

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二番手は「小山郷」の法被を着た人たち。

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最終は「末廣会」の法被の人たち。この神輿は、さきの二基とは見かけだけではなく、違っていた。威勢のいい掛け声に、派手な担ぎのパフォーマンス。見ていて楽しい。

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これらの神輿(行列すべて)が出てきたのは南側の門から。石柱に時計がはめ込まれているのが不思議。

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1時前から巡行は始まり、5~6時間かけて、氏子地域を練るらしい。社務所で神社が発行する広報紙「ごりょうさん」を頂き、地図と通過時間を確認する。かなりの距離。

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1864年に祭列が御所を通って御旅所(寺町通広小路)へ向かった際、孝明天皇と子どもであった明治天皇が、朔平門で神輿渡御を迎えたことがあったらしい。御旅所がなくなり、遷都で御所が整備され、祭列が御所敷地を通ることもなくなったが、再び京都御苑今出川御門から御所朔平門までを往復することになったという。

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先頭の太鼓のあと、鉾が続く。全て車で引いており、八大神社・須賀神社とは違っていた。

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牛車(祭神・猿田彦)と神輿は門を入るが、若武者行列など、ほかは今出川通で待機。

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今出川通から河原町通にかけて、幟が立ち並んでいた。

1229_2 風にはためいているが、藍色の幟は「今出川口」である。

1202 これら上部にある神紋は、もちろん神社の提灯にも。

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