京都逍遥

◇◆◇京都に暮らす大阪人、京都を歩く

蹴上のツツジ

2012-05-11 20:49:44 | まち歩き

数年前、大文字山から蹴上方面に下りたことがあった。日向大神宮の階段を下りて、目の前に現れた浄水場のツツジに見とれたのは、GWの最中だった。

京都観光NaviHPをチェックしたら、今年のツツジは遅めのようだったので、一般公開最終日の今日、出かけてみた。例年なら一般公開は4日間だが、今年は京都市水道創設100周年で、7日間(5/5~11)に延長されている。

1201 地下鉄東西線蹴上駅2番出口脇に浄水場通用門があり、ここが一般公開入り口になっている。といっても南側の正門は完全に閉まっているわけではなく、車が入っていた。

門を入ると「京都の水道 蹴上浄水場」パンフレットと、小さなうちわを配っていた。2~3日前ならうちわは大活躍だっただろうが、今日はかなり涼しい。

浄水場は、1205 東向き斜面に造られている。

その斜面のツツジが、この写真。写真で見ると、結構きれいだが、実際は満開を過ぎ、枯れた花が残っていたりして残念。その上、雨に打たれたからか、薬品のためか、茶色に縁取られた白い斑点が多数、花びらに散っている。とりわけ白花は、無残だった。

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斜面を横切るように道路がついていて、「低区」「高区」「最高区」などに分かれた配水池を順に巡ることになる。さきのパンフによれば、地形を勘案して給水区が分かれているようだ。

ゆるやかな上り坂は、ときにかなりの坂になる。

1225 あちらこちらにテントの休憩所が設けられ、湯茶も用意されていた。

ベンチではお弁当を広げる方々も。

「第2最高区配水池」休憩所で、ロゴ発見。

テントの北には「レンゲツツジ」「キレンゲツツジ」が植わっていた(写真下)。

朱色のレンゲツツジが分かりやすいが、つぼみの状態がレンゲの花に似ているのだ。山野に自生する最も大きいツツジと解説版にあった。帰宅して調べると、有毒植物らしい。解説に、一言あっても良さそうなものなのに。

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花を見ながら上るうち、いつの間にかずいぶん高いところにいる。下に見えるのは、南禅寺だろうか。

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急階段を下りる。

「元気な若いときにあちこち行かなあかんな。こんな階段しんどいわ。」と声がする。全く、階段があるなら上りがいい。

しばらく歩くと「つつじのトンネル」表示が。

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1239 下から斜面を見上げたとき、 濃いピンクが美しかったのが、このトンネルだと分かった。入り口高さは170cm程度だろうか。私の身長だと、内部も全くかがまず、出口だけ気をつけて約3mのトンネルを通り抜けた。

浅香山浄水場(大阪)も、ツツジが有名だ。なぜ浄水場にツツジ?ネットで調べてわかったのは、ツツジの根は浅く密に張る、ということ。斜面に植栽することで、地すべり防止になるのだろうか。冒頭の大文字登山で一緒に下りた見知らぬ人は、「ツツジは水を浄化する」と言っていたけれど。

与謝野晶子の歌碑。自筆を刻んだ岩にある文字は、書独特の筆運び、配置ゆえに読みづらい。

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向こうに広がる風景を見ながら、坂道を下りる。新緑の中にぽつんとレンガ造りの建物。

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浄水場で配布されたうちわ裏面には、100周年のロゴがある。そういえば地下鉄車両ドアにも、ステッカーが貼られていた。

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八大神社剣鉾

2012-05-06 00:33:56 | まち歩き

5月5日は一乗寺・八大神社の神幸祭。ご神体を移した神輿の先導を務めるのが剣鉾である。

祗園祭のはじまりと言われる869年の御霊会では、神泉苑に66本の鉾を立て、疫病退散を祈願したらしい(出典未確認)。天を突く剣鉾は、悪霊を鎮める祭礼の道具と言える。記録上最初の御霊会(863 年)では、怨霊や疫神を鎮めるために、読経・舞楽などの芸能・弓・競馬・相撲などが行われている.

(『日本三代實録』 巻第七 貞観五年五月廿日:http://www013.upp.so-net.ne.jp/wata/rikkokusi/sandai/sandai.html)

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八大神社HPに「氏子祭神輿巡行経路」として、地図と共に予定時刻が掲載されていた。

(八大神社HP:http://hatidai-jinja.seesaa.net/category/1651427-1.html

1225 剣鉾・子どもの鉾・行列・子ども神輿・大人神輿の順に巡行。

1235 きらびやかな神輿に、きれいな衣裳。行列は幼稚園児~小学校低学年の子どもたちから成り、なんともかわいらしい。華やかな祭、という印象を受けた。

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剣鉾は、雲母坂では電線を避けて一旦横倒しにし、再度腰につけた「差袋」に「棹」を乗せていた。差し手が剣鉾を上下に揺らすと、「鈴」が「棹」上部の金具に当たってすずやかな音色が響き渡る。

1230 この道路は車が多く、警察官も数人出ていたが、誘導に時間を取られていた。京都の祭りはどれも冗長だと感じるが、通行止めにできないからだろうか。かついでまわる大人神輿は、休憩も多く必要だが。(最近は、車に乗せて神輿を引くのを目にすることが多いが、ここのは違った。)

神輿・剣鉾が出た後の神社を参拝した。

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祭神は「『素盞嗚命』『稲田姫命』『八王子命』」と前掲HPにあるが、「稲田姫」でなく、「櫛稲田姫」ではないだろうか。スサノオの妻の名は櫛稲田姫である。また、「八王子」別名「八将神」とは、「牛頭天皇の八王子」のこと。牛頭天皇はスサノオと、妃の頗梨采女は櫛稲田姫と同一視されている。さて、本記事の冒頭で祗園祭に触れたが、ここで八坂神社との関連が出てきた。八坂神社の主祭神も、八大神社のそれと同じ「スサノオ」「櫛稲田姫」「八柱御子神」である。また、神紋も、同じく三つ巴に5つ木瓜。

1228 本殿の東側の社には、写真右のような紋があった。菊に4つ木瓜?菊といえば皇室。この社の屋根にも、菊の金具がついていた。なぜ。

さて、八大神社の剣鉾は、送り火や時代祭り、おけらまいりなどと同様、京都市指定・登録文化財(無形民俗文化財)となっている。

(京都市文化市民局HP:http://www.city.kyoto.jp/bunshi/bunkazai/siteisyasinn/muminsetumei.htm

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