未熟なカメラマン さてものひとりごと

ようこそ、おいでくださいました。

モンテンルパ 人々の熱意が大統領の心を動かした!  その1

2017-08-03 21:28:44 | 歴史

井原市東江原町 寶蔵院境内にある加賀尾秀忍胸像

我家の和室に「長楽無極 僧忍書」と書かれた額が、数十年前から掛かっています。亡き父が誰かに書いてもらったものだと聞いていました。堂々とした書体とバランスが素晴らしく、私は気に入っていました。

そして昨年、島根県安来市の加納美術館を美術館友の会の鑑賞旅行で訪ねた際、2階の加納莞蕾(かのうかんらい)の展示室で、莞蕾はモンテンルパの戦犯者に対し、釈放に向けて300通以上の嘆願書をフィリピン大統領や、ローマ法王らに送り、釈放の一助になったと、理事長婦人で名誉館長の莞蕾の娘、佳世子さんより熱心な説明がありました。
帰り際、見送りにバスまで乗って来られ「皆さんは、加賀尾秀忍師の井原市からお出でになり、モンテンルパのことはよくご存知だと思いますが、莞蕾も同じように尽力したことを覚えておいて欲しい」というようなお願いともとれるお話がありました。
]
また地元の美術館の、平野富山作品の彫像のキャプションに、作品として井原市東江原町にある法蔵院の加賀尾秀忍像がある、と書かれていたことも気になっていました。
その後、我が家のあの書が、加賀尾秀忍のものだと気づいたのはつい最近のことです。
秀忍の法名が、僧忍で同一人物だったのです。よく見ると書の落款も宝蔵印となっていました。
これも何かの縁、加賀尾秀忍のこと、人々の記憶から忘れられつつあるモンテンルパのことを史実に基づきもう少し客観的に調べてみようと思いました。

モンテンルパは、フィリッピンの東洋一といわれた刑務所があった場所です。戦後、戦犯として150人以上の日本人が収容されていました。問題なのは、戦犯として捉えられたその理由でした。まったく身に覚えないことで捕らえられた人々が実に大勢いたのです。これらの人々を救い出そうと、人々が一丸となって尽力し、ついに釈放へと導いたのです。
これにはどのような人たちが関わっていて、どのような経緯で釈放となったのか、時系列に解き明かしてみたいと思います。 (つづく)


門柱の後ろ側に張り付けてある、秀忍の漢詩(陶板)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クセがすごい! 土砂降りの... | トップ | モンテンルパ 人々の熱意が... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史」カテゴリの最新記事