福山八幡宮の紅葉 12月4日 本文とは関係ありません。
少し前の話になりますが、尾道遠鐘クラブより口切り茶会の案内が届きました。先生から「いい経験になるので、行ってみられたらどうですか!」と勧められ、それならと11月20日、井原遠鐘クラブの一員として参加させていただきました。私たちは、午後1時からの5席目で、当日最後の席でした。会場は、西山別館です。受付を済ませ、ロビーで待機していると、まず点心をと、会場の大宴会場に案内されました。点心は、大寄せの茶会で振る舞われる、小腹を軽く満たす程度のものですが、旬の食材でコンパクトにまとめられ、さすが西山別館さん、見た目もとても美しいものでした。お腹が少し膨れたところで、再びロビーで待機していると、待合への案内がありました。西山別館は、海に面し、広い芝生が敷き詰められた庭を囲むように9つの離れが点在しています。待合に用意されたのはその中の一つです。
入口を入ると、正面の畳の間で石臼が挽かれていました。担当の方は、朝からずっと挽かれているそうで、ちょっとお疲れのようでした。部屋には素敵な洋画も掛かっていました。今日、正客をお願いされた、広島の美しい女性の方がご挨拶をされたあと、石臼を体験したり、外を眺めたりと思い思いに時間を過ごしました。係の方の説明によると、15分ほど予定よりも遅れているそうです。
それから、しばらくして、別棟に用意されている口切りの席へ案内されました。部屋は閉め切られ、少しばかり緊張感漂う空間です。畳も張り替えられたのでしょうか、いい匂いがします。上座には、茶壺が置かれていました。赤い飾り紐がまかれてあります。亭主のごあいさつの後、福間師範代により、茶壺の口にしっかり張られている和紙が切られます。なかなか切りにくいようでした。説明によると、この壺は上田家に伝わるルソンの壺を写されたもののようです。驚いたことに、制作は、会員の方で、今日のために5席分、5個を作られたそうで、なにやかにやと実に半年前から準備をされてこられたそうです。箱の裏に書かれた入日記が廻されましたが、正直、内容についてはよくわかりませんでした。そうそうお家元も朝、一番の席においでになったそうです。
続いて濃茶席です。正客と亭主のやりとり、お茶会がほとんど未経験の私には、なかなか勉強になりました。床のお軸は、沢庵禅師の大徳寺時代のものだそうです。沢庵と云えば、つい先月山陰を旅行した帰り、豊岡市出石町の宗鏡寺(沢庵寺)を訪ねたばかりで少し親しみを感じました。お点前はもちろん会員の方ですが、堂々として見事なものでした。視線が所作に集中し、プレッシャーも相当なものだと思いますが、落ち着いたお点前で感服しました。そして、濃茶の何とおいしいこと、このようなおいしい濃茶は初めてでした。
菓子器は、上田家伝来の縁高脚付、お菓子は織部上用、床には、明の時代の古胴の花入れがあり、今朝、西国寺から朝一番にとって来られた白玉椿が生けてありました。お茶碗は、大徳寺の呉器、李朝の高麗、萩、唐津と、立派なお道具類が並び、亭主から説明を受けるたびに、感嘆の声があがる席でしたが、まだまだ経験も浅い私にはなかなかその価値がわかりません。また、炉縁(ろぶち)は、西国寺の金堂が修復された際に出た古材を使用したものだそうです。また茶杓は流祖上田宗箇作のものだそうで、銘はついていないそうですが、よくぞ、本日出されたものと感心しました。
このあと余韻が残る濃茶席をあとにし、薄茶席へ場所を移動しました。(つづく)
(口切りの茶事について)
現代では、温度管理ができる冷蔵庫など便利なものがありますが、昔は八十八夜(5月)ごろ、新芽を摘みとって茶壺に入れて封をし、暗い蔵や山の涼しいところに保管して、梅雨や夏の気温の高い時期を過ごし、熟成させます。そうすることによってまろみが出てまったりとした味になるそうです。炉の季節の11月初旬に茶壺の口にしっかり張られている和紙を切って、茶を取り出します。取り出された茶葉はすぐに石臼などで挽かれ茶事に使用されます。この茶壺の口を切ることを口切りといいます。口切りの茶事は、もっとも正式な茶事といわれ、その年の茶の使い始めで「茶の正月」とも云われます。
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