未熟なカメラマン さてものひとりごと

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桜の名所・井原堤百年(岡山県井原市)

2013-04-10 22:40:32 | 観光名所

見事な桜のトンネル

今年も井原堤の桜はとても見事でした。初めて堤の端から端まで走破しました。距離は云われているように2キロはあるでしょう。この区間がほとんど桜のトンネルとなっているので、毎年見ていても、都度その素晴らしさに感動します。 
観光客はもとより通勤・通学路として、健康のための散策路として、はたまた愛犬の散歩コースとして、有難い存在です。しかし、これだけ見事なのに、どうして見物客が少ないのだろうと逆に不思議に感じてしまいます。
今年は、最初に出かけたのが、3月31日の日曜日でした。まだ8分咲きほどでしたが見ごたえ十分でした。その後、会社の帰りの3日と5日の夕方、そして6日は、低気圧から桜吹雪を期待してまたも出かけ、例年になく楽しませてもらいました。

私が小学生のころ、井原堤は岡山県を代表する春の観光地でした。現在のように大型の商業施設や遊園地もなく近隣では唯一といってもいいくらいの春の行楽地でした。小学校から遠足を兼ねて写生大会が催され、私も参加しその当時のことを今でもよく覚えています。日曜日ともなると河原には大勢の花見客が腰を降ろしてお弁当を広げ、堤では、露店が建ち並び、通行も困難なほどの賑わいでした。残念ながら、今は昔の話です。

ところで、小田川の堤を繋ぐ桜橋に、井原・桜堤百年の幟がたくさん立っていました。この井原堤の歴史ですが、郷土出版社「井原・笠岡の100年」の昭和14年ごろの、お花見の様子を紹介する写真に添えられた紹介文によりますと、井原桜堤の歴史は、大正3年(1914年=第一次世界大戦勃発の年)に井原町長原田吉平が郷社(ごうしゃ=市内にある神社)の桜を株分けして、ソメイヨシノの苗木150本を植えたことに始まるそうです。4月初旬の花盛りには、県内外から観光客があふれ、屋台も並び商店街でも大売出しをするなど、たいそうな賑わいで、当時から井原は桜の名所として有名だったようです。

ということで、来年が100年目ということになるのでしょうか。ソメイヨシノは、もともと1本の木から接ぎ木(クローン)で栽培されてきました。寿命は、放置していれば60年だそうですが、きっちり管理すれば、100年以上は十分育つそうです。青森県弘前公園のソメイヨシノのように、徹底した管理をした結果、花付も寿命も延びて樹齢120年を超えるものもあります。また、岡山県で最も開花が遅い新庄村の「がいせん桜」は、明治38年(1905年)の村議会で、戦勝を記念して137本の桜が植えられおり、今年が108年目となります。株元はアスファルトで周囲を固められるという過酷な条件下でも、延命治療により枝ぶりはよくないもののしっかり房状の花を咲かせているようです。井原堤の桜も、管理がよければ十数年は大丈夫かもしれません。

しかし、何よりの心配が、桜が持つ「忌地(いやち)現象」です。同じ土地では次代の桜が育たないのだそうです。ということで、現在、桜の名所となっているところが危機を迎えている、ということは、このことによるものです。しかし井原堤の桜は、地元の方に聞くと、それでも老木を新しい若木に植えかえるなど、並木を維持管理してきたそうです。ですので、環境によれば忌地現象はそれほどでもないということなのでしょうか。また、「護岸なので災害上の観点からも、本当は木を植えてはいけない」という問題もあったようです。

しかし、一番の問題は車の乗り入れではないでしょうか。川の反対側には民家が建ち並び、斜面の横に車庫を設け、堤から直接乗り入れるようになっている家も多く、生活道でもあるわけです。それでも、多くの観光客に来てもらうためには、替えの駐車場を準備するなど、対応を考えていただいて、桜の見ごろの1週間だけは、完全に歩行者天国にしてもらいたい、と思うのは私だけでしょうか。それから、桜の季節には、新聞、TVなどで県内外にも大々的に宣伝して集客を図ってもらうことも必要なのではないでしょうか。それだけ十分に素晴らしい価値があるに違いないのですから。



川面に映る堤の桜
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