ねことわたしのやわらかな日々

17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。

幸福の感度

2011年08月05日 23時30分00秒 | 社会
2週間くらい前になるけど
国連総会の決議の中にこんな文言が。
社会や経済の開発政策の策定にあたって
幸福度というものがもっと考慮されるよう、
各国は努力することを求める、だって。

「開発」という一見数量的で、客観的なものと
「幸福度」という非数量的で、主観的なものと
その組み合わせが新鮮で、興味をそそられて。
でも考えたら、ごく当たり前のことかも。
何のために「開発」しているかといったら
人々が「より幸福になるため」だから。

「豊かになるため」と信じてた時代もあったけれど
世界でも有数の、豊かな国である日本が
世界の幸福度ランキングでは、ここずっと、
中の下あたりに沈んでいることからしても
「豊か=幸福」には、限界があるみたい。

ただ、幸福度というのはとても主観的なもので
国民性や文化も、多分に影響するものだから
他の国と比べても、意味がない気がする。
あくまでも、日本なら日本だけで、
対前年比で、上がった下がったでいいのかも。



それにしても、幸福を感じにくい日本人って
なぜなのかなあ、と思わずにはいられなくて。
仕事が忙しくて、休みも取れない、
学校が厳しくて、勉強に追われる、
毎日同じことの繰り返しで、変化がない、
「だから不幸」と答えることも出来るけど
「だから幸福」と答えることも、出来るのでは。

仕事がしたくても、仕事がない、
学校に行きたくても、行けない、
昨日までの日常が、戻ってこない、
それは「震災後」、何度も耳にした言葉。
幸福の感度を、ちょっと上げて、
欲望のレベルを、ちょっと下げれば、
日本人の幸福度はもっと上がるのかも。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« この世の息 | トップ | 美輪明宏コンサート »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

社会」カテゴリの最新記事