2週間くらい前になるけど
国連総会の決議の中にこんな文言が。
社会や経済の開発政策の策定にあたって
幸福度というものがもっと考慮されるよう、
各国は努力することを求める、だって。
「開発」という一見数量的で、客観的なものと
「幸福度」という非数量的で、主観的なものと
その組み合わせが新鮮で、興味をそそられて。
でも考えたら、ごく当たり前のことかも。
何のために「開発」しているかといったら
人々が「より幸福になるため」だから。
「豊かになるため」と信じてた時代もあったけれど
世界でも有数の、豊かな国である日本が
世界の幸福度ランキングでは、ここずっと、
中の下あたりに沈んでいることからしても
「豊か=幸福」には、限界があるみたい。
ただ、幸福度というのはとても主観的なもので
国民性や文化も、多分に影響するものだから
他の国と比べても、意味がない気がする。
あくまでも、日本なら日本だけで、
対前年比で、上がった下がったでいいのかも。
それにしても、幸福を感じにくい日本人って
なぜなのかなあ、と思わずにはいられなくて。
仕事が忙しくて、休みも取れない、
学校が厳しくて、勉強に追われる、
毎日同じことの繰り返しで、変化がない、
「だから不幸」と答えることも出来るけど
「だから幸福」と答えることも、出来るのでは。
仕事がしたくても、仕事がない、
学校に行きたくても、行けない、
昨日までの日常が、戻ってこない、
それは「震災後」、何度も耳にした言葉。
幸福の感度を、ちょっと上げて、
欲望のレベルを、ちょっと下げれば、
日本人の幸福度はもっと上がるのかも。
国連総会の決議の中にこんな文言が。
社会や経済の開発政策の策定にあたって
幸福度というものがもっと考慮されるよう、
各国は努力することを求める、だって。
「開発」という一見数量的で、客観的なものと
「幸福度」という非数量的で、主観的なものと
その組み合わせが新鮮で、興味をそそられて。
でも考えたら、ごく当たり前のことかも。
何のために「開発」しているかといったら
人々が「より幸福になるため」だから。
「豊かになるため」と信じてた時代もあったけれど
世界でも有数の、豊かな国である日本が
世界の幸福度ランキングでは、ここずっと、
中の下あたりに沈んでいることからしても
「豊か=幸福」には、限界があるみたい。
ただ、幸福度というのはとても主観的なもので
国民性や文化も、多分に影響するものだから
他の国と比べても、意味がない気がする。
あくまでも、日本なら日本だけで、
対前年比で、上がった下がったでいいのかも。
それにしても、幸福を感じにくい日本人って
なぜなのかなあ、と思わずにはいられなくて。
仕事が忙しくて、休みも取れない、
学校が厳しくて、勉強に追われる、
毎日同じことの繰り返しで、変化がない、
「だから不幸」と答えることも出来るけど
「だから幸福」と答えることも、出来るのでは。
仕事がしたくても、仕事がない、
学校に行きたくても、行けない、
昨日までの日常が、戻ってこない、
それは「震災後」、何度も耳にした言葉。
幸福の感度を、ちょっと上げて、
欲望のレベルを、ちょっと下げれば、
日本人の幸福度はもっと上がるのかも。
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