17年一緒に暮らした愛猫を亡くしましたが、日々のささやかな幸せを、
手のひらで温めて暮らしています。
流動食も少し舐める程度になり
日に日にみいみは弱っていくばかり。
立ち上がるのもおぼつかなくて
横になっていることが多くなった。
鼻血と鼻水のせいで呼吸も苦しげ。
おむつ姿は赤ちゃんみたいで
私には本当に愛らしく見えるのに。
たまに立ち上がるとよろめきながら
時計回りにくるくる、くるくる。
小さな脳の中にある腫瘍のせいらしい。
もう目が見えないみいみの頭の中では
思う存分、晴れた日の美しい野原を
歩いているつもりだったらいいな。
家具や壁にぶつかりまくってるけど。
良くても、年を越せるか越せないか、
今日明日ということもありうるのだとか。
その宣告に胸は張り裂けそうにつらくて、
泣いても泣いても涙は枯れない。
みいみの前では泣くまいと決めたけど
キッチンやトイレでは、やっぱり号泣。
でも午後に買い物に出かけたとき、
美しく紅葉した街路樹から何枚もの葉が
昼下がりの光の中をひらひら、ひらひら。
スローモーションのように印象的で
思わず立ち止まって見つめていると、
「いのちが終わることもまた、
自然の美しい摂理なのだよ」と
ささやきかけられた気がしました。
金木犀が街のあちこちで香る季節。
読書の秋にかこつけて読んだのは、
日本人漫画家と結婚した、
AFP通信社勤務の仏人女性が書いた
「
不便でも気にしないフランス人、
便利なのに不安な日本人」という本。
タイトルを見た瞬間、妙に納得して。
(近所の金木犀の生垣)
例えば日本では大学、専門学校を
その年に卒業したほぼ全員が
在学中に内定をもらっているのに
「自分の将来に明るい希望がある」と
アンケートに答えたのは6割ほど。
一方フランスでは殆どの学生が
在学中に内定をもらうことはなく、
卒業してから職探しが始まるのに
83%以上が希望があると回答。
失業率は日本の3倍もあるのに。
(私の朝のジョギングコース)
交通機関などの公共サービスも
日本は比類なき正確さを誇るけど
フランスの電車(SNCF)は
時間通りに来ないし、運休も頻繁。
ストライキもしょっちゅう。
パリのメトロに至っては
時刻表そのものがないのだとか。
それで成り立つ社会もすごいけど
それでハッピーなフランス人には
色々考えさせられてしまって。
「幸せになるのに、そんなことは
どうでもいいこと」なんだろうな。
随所でクスっと笑わせられながらも
幸せや生き方、社会のあり方を
結構考えさせてくれる本でした。
みいみはその後も連日痙攣発作。
ここ数日やっと収まっているけど
今度は流動食しか食べれなくなって
日に日にやせ細っていくばかり。
その姿を見るのもつらくって。
何がこの子にとって一番いい事なのか
毎日自問自答して、迷っている。
無理にでも食べさせた方がいいのか、
それとも無理はさせない方がいいのか。
ぶれない軸があれば良いのだろうけど
私の軸はぶれぶれで、揺らぎまくり。
本当は、出来るのはただ寄り添うこと。
寿命は私ではどうにもできなくて
この子が生きようとする限り
わたしも懸命にそれを支えるだけ。
それは分かっているんだけど、
とてもそんな風に達観できてない。
何か他に出来ることがあるのではと
何かすべきことがあるのではと
あがき、苦しむ毎日です。
日曜日に通院した時は元気だったのに
打って変わってその後、怒涛の毎日。
みいみがフードを殆ど食べてくれず
数日間ずっと心配していたら、
5日の夜に激しい痙攣発作。
よだれをたらし、失禁もして
手足をバタつかせて喘ぐ姿は
このまま死んでしまうのではと
本気で心配するほどでした。
翌日も軽い痙攣発作が起き、
それ以来、トイレを粗相するように。
生後2ヶ月でうちに来たその日から、
一度も失敗したことがなかったのに
そこらじゅうで、💩やおちっこ。
一日に何度もみいみを拭き、
床を拭き、脱臭スプレーで乾拭きし
終わったと思ったら、別の場所で・・・
念のためトイレを2ヵ所に増やして、
トイレとフードのある部屋の床には
一面ペットシーツを敷き詰め、
おむつも買ってきて準備していたら
昨夜は激しい鼻血まで出て。
鼻も詰まったのか呼吸も苦しそう。
食欲もさらに落ちてしまって。
病院の先生に電話で相談して、
抗てんかん薬を試すことに。
ただ脳に何らかの腫瘍があるのは
どうやら間違いなさそうとのこと。
予断を許さない状態はこれからも。
メンタルが弱く、神経も細く、
覚悟の出来ないダメダメの私は
とにかく、その日、その日、
その時、その時がただただ必死。
泣きながら、おろおろしながら、
へこたれまくりだけど、
体力もない、へなちょこだから、
ヘルペスも発症してしまったけど
家族や、先生に支えられて
出来ることを精一杯やらなくちゃ。
実は今年、11年ぶり3度目の
1万人の第九に再挑戦することに。
ずっとやりたかったんだけど
時間がどうしても取れなくて。
コロナ禍の今年はレッスンが
すべてリモートで受けられるから。
たとえ「本番」があったとしても
これもリモートになりそうだし、
練習で一人で歌っていても
美しいハーモニーを味わえない。
いろいろ残念なことも多いけれど
分け隔てられた人々を再び
結び付けようというこの歌は
こんな時節にこそぴったり。
もはやドイツ語の歌詞もうろ覚えで
音程も怪しくなってしまったから
ほとんどまた1からの挑戦。
在宅勤務の気分転換として
単調になりがちな生活の彩りとして
楽しみながら頑張ってみます。