michi のひとりごと

日々のつぶやき、あれこれ。

老々介護8年。 100歳になった母を見送りました。
こちらは重度の難聴。

私と「戦争」     〔思い出〕

2010-08-08 07:42:18 | Weblog
この時期、戦争についての番組が連日。
深く胸に沁みてきます。

私は戦後、一応復興して落ち着いた頃に生まれた、
と思っていたんですが、
思い出されてくることがあります。

幼い頃、家族揃って
よく汽車に乗って動物園に連れて行ってもらいました。
も、ルンルン気分で駅に降り立つと、
なにやら白い着物を身にまとった人が何人か、
アコーデオンなど弾いている。
うつむき加減の彼らの足元には
箱があって、小銭を入れていく人もいる。
その辺りは、なんだか暗い雰囲気が漂っている。

母に訊くと
「あれはショウイグンジンやで。
 戦争でケガした人たちや」。

ところが別の時に、ある人から
「ほんまは、ケガなんかしてないのに、
 ウソついて仕事せんとお金もろとる人もいるらしい」
と聞かされた。
子ども心にも
なんとも複雑な気持ちになったものです。

それからは、ショーイグンジンの姿を見るたびに、
お出かけのルンルン気分など
いっとき しぼんでしまうのでした。


戦時中、食糧事情などタイヘンだったのでは?
と母に訊いたことがあります。

すると、
祖父(農家)が大八車に食糧を積んで運んで来てくれたとのこと。

バスで何10分もかかる距離です。
重い荷物を積んでタイヘンだったでしょうに、
娘とその家族のことを想う、
その一心で運んでくれた。

無口な祖父でしたが、感謝の気持ちが湧いてきます。


小学校の近くにも、中学校への通学路にも
「朝鮮人」の家がありました。
とても簡素で粗末な家で、
子どもにはチャンとした服装をさせていましたが、
お母さんは・・・。

夕方になると、お母さんが子どもの名を呼ぶのです。
よくとおる物悲しい声で――。

でも、私の周りの大人たちは、
「朝鮮人」に対して、なにか特別な目で見ていたのが
それとなく感じられました。


さらに、もうひとつ。

学生時代、いくつかアルバイトをしました。
そのうちの一つに、アンテナの点検・補修が。

細くとても長いアンテナにペンキが塗ってあるんだけど、
所々塗り残してあるので、見つけて刷毛でチョンチョンと塗っていく。
ラクだし、それなりに面白い作業で、
それで報酬を得て単純に良い気分になっていました。

ところが、終わってから、情報が。
「あれは、ベトナム戦争に使うアンテナだったらしい。」

――ショックでした。
 私は戦争の手伝いをしてしまったのか。。。

知らなかったとはいえ、
というか、なぜ気づかなかったのか。
そういえば、えらく地味な
ちょっと特殊な色だった……。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お殿様とおんなじように「風... | トップ | なごやかな光景を守りたい ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

Weblog」カテゴリの最新記事