語呂合わせで、二が猫でにゃん、一と四で石の日です。
そのまま「猫の意思を尊重する日」でもいいと思います。
それにもともとはバレンタインって愛の告白というよりは日頃の感謝を形にする日らしいですよ。
誕生日も周りに感謝する日、という人もいるし、色々感謝の日が重なってる私なのでした。
私がいてあなたがいる…考えてみれば毎日誰かのバースデイ、というのは別のDJの談でしたね。
人間だけじゃなくて生き物はみんな生まれてきたから、そこにいるのですねー。
あんまりいてほしくもないようなものも等しく生まれてきたわけです。
生命の誕生はとても特別なものに見えて実は「いるものはみんなそう」っていうだけの話なのでした。
案外そんなものじゃないかな。
と、若干謎の文章になってしまいましたが追記です
どうも特別ではない自分というものも認識することで特別な部分を大事にするということもあるんじゃないかなー、という意味の言葉でした。
ちなみに、私思うのですが、自分が個性的だったり特別だと認められたいなら、いじめはするべきではないよなあ、と思うのです。
なぜかというと、けなす言葉ってよっぽど努力して変わったこと言わないと、個性的な言葉には聞こえないので、下手すると相手に個体識別もされてないというか、「いじめっ子かー、一人見つけたら20人はいるんだよな」くらいに思われてる可能性もあるのですよ。
それって屈辱じゃないですか?
だいたい、エピソードを面白く話すとか、面白い比喩表現を使うとか、けなし言葉ももうちょっと工夫してくれれば言われた方も行動を改めたり発見もあったりするのでしょうが、女子が相手を外見だけで嫌ってくるような言葉にそんな面白みがあるわけないですよね。
せめて言われた方が、は、そうかも、くらい思えることくらいは言って欲しいと思う。いうんだったら。
というわけで、個性的かつ、強烈なおっちゃんのけなし文句「なんやおばちゃんダンプカーに轢かれたカボチャみたいな顔しやがって」「おばちゃん頭が紅葉してんのかい」「ハルキ競馬の8歳馬」「何が戦争に行ってたや、おっちゃんミンダラ島で蛇食ってこんにゃくむいてただけのくせして」(これらは全部インドのカラスを自称してたおっちゃんの発言です)
このくらい強烈な個性を出すと、いいか悪いかは置いといて、みんなにけなし文句も次の言葉が期待されますよ。多分。
人をいじめるよりは自分のいいとこ磨いた方がよっぽど得だと思うんだけどな。
あと、私自身はス○ップとか興味ないのですが、これは言いますよ。
「いじめっ子タイプの人間は世界に一つだけの花歌うな」
だって、歌詞の内容とそぐわなすぎです。別にこの曲が好きというわけではないのですけどね。
あ、あとね、被害者側の発言をさらす的ないじめは、いじめる側がいじめられてる側の面白さに頼ってどうするの、とツッコミを入れたい。思いっきりもたれかかってますやん。
そこはちょっとオリジナリティ出しときなさいよ。
人を動かすには、面白みというものも必要なのです。面白くない退屈な悪口はあく。(悪いという意味と飽きるという意味と両方で)ということでした。
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