だから和か輪かどっちかは置いといて、「わ」はある程度乱されないとお話にならないとこがありまして。
だからわかりやすいところで言ったらドラえもんとか「そもそもジャイアンいないとドラえもんのひみつ道具面白いの全然出てけーへんやんこのワールド(笑)」とか「アンパンマンもばいきんまんがいないとさあー」とかまあそういう話。まあこれは単純に物言いすぎてるけどジャイアンにはちゃんと他の濃ゆさ持ってるスネ夫というサポーターがいるよね、とか。あのワールドに出木杉くんがおる意味がいまいち詳しくなくて分かってないけど一応そんなのもおるよねとか。まあそんな話でんな。「わ」を崩すとこから始まって適当に思いつく「わ」の修復の道具のなんの、バタバタの。みたいなことで世の中を学んでくんですよねみんなね。ただこう、「わ」を崩すものというのも完全排除はされないっていうのが平和なワールドってやつで。まあそんなもんですわ、そんなもんですよ。はい、まとまったところで今日はそろそろバスに乗りに行きます。
えー、だからなんとなく今適当にお散歩がてらその辺適当に(なんの店もない町を)チャリ漕ぎながら思ったです…。
よく考えればこの国ってほんまに「お国のトップでも扱いは見事な綾波レイ」だよねー。「あなたの代わりはいくらでもいるもの」だよね。存在感ないよねー。
だからみんな「万能の政治家の幻を僕の中に作ってた」
(またもやB'zのラブファントム)
「いくら自分たち(国民)(マスメディア)が精一杯みんなで叩きまくっても自分たち(国民)(マスメディア?)に百パーセント都合のいい政治家様の幻をいつも求めてる」いや、それって色々どうなんですか?
自分がその扱いされて国民のために動こうと思うかなあとそこまでみんなものすっごい聖人君子かなあ政治家さん…。
もうちょっとこう、色々相互理解の手順から道徳というか常識というかなんというか、いい世間の大人ぶりっ子たちに教える行為ってもんが本当に必要かな?と私は思います…。もうちょっと今の現代って本当に情報のピックアップの仕方に色々人(特に強者)の気持ちってもんが本当に置き去りだよねえー…。