ま、とりあえず行くよ、今日は短歌です
「生きてたら怪我もするし病気もするでしょ、だから生きちゃダメ、と、ママ」
いきなり怪談短歌ネタをぶちかます。いやね、最近「子供が怪我しないようにとか病気しないようにとかママさんたちはそう言うことばっかり言う」でしょ。だったらなんで産んだんだ、的なことが言いたくなったとそう言うわけですわ。生きてたらそりゃあ怪我も病気もするもんですよ。本当に病気も怪我も子供に全くさせる気がないんだったら最初から産むな、生かすな、と言う。
「ジャングルジムもシーソーも無くなって 危ないからね遊んでは危険」
まあ最初にこの短歌ができてたからさっきの短歌に結びついたんだって言う。「遊びも危険」なんですわ。
「そのいじめ見知らぬ大人の前でできたら認めてやろう、いじめ」
ってことで、自分たちの安全を確保してからいじめをする、と言う構図を子供達に認めさせることに意義あり。
それこそヤーさんの前とかでそのいじめができますか、あなた。ってやつやねんな。
「ゴーシャーベットってシャーベットに突っ込む冷たきものは悲しけり」
ああ、これね。俳句の夏井さんの本で「マンゴーシャーベット」が改行の加減で「ゴーシャーベット」に読めちゃったって単にそれをツッコミたかっただけやねんな。
でもなんかゴーシャーベットっていい感じ。みたいな。
「この句ですよこの首ですよこの漫画ですよってソムリエが多すぎ」
まあ私も人にあれこれ勧めたりとか割と好きだからするんですけどこう言う気分の時にはこう言う俳句や短歌や漫画やって決めつけられたくないですねえ。もっと自由な楽しみがあるんではなかろうか。
そう言う「今求められるものをまとめたようなもの」ではなく、例えば「CDならアルバムで一枚コンセプトごと聞こう」的に歌集を自分で選んだりする、そう言うことも大事だと思います、思いますねえ。ライブでやたら人が出てくる系ばっかり見てものすごく音楽自体を知った気になってるとかそう言うソムリエが勧めたものばっかりを好きになるようなそんなことはあんまりしたくないなあ、的な。
「信号 その信号は罠だよ 見たまえ赤が一個多いだろう」
これなんの曲だったか聞いてたらできました系。最近そんなんが多いですね。
「考えはせんべいのようにパリパリと割れ、さみしさははいよるタコよ」
いや、どう言うことやねん、それは。とツッコミされても困るのです。私の考えはいつもパッキリおせんべい系なのですがさみしさと空腹はタコのように這い寄ってくるのです。なぜか。パリパリにゅるりん。
「行方不明の夢はブーメランみたいにもどってくるの、マジかレディ?」
ってことでこれも歌系。ゆーあーミステリーゆーあーファンタジー。愛はマジかレディ。って言うことで、本当はマジカルレディっぽいのはわかってるけどマジかレディって言い分面白いかなって思ってこんな歌を歌ってみた。本当は行方不明の愛だったけど夢の方が面白いかなって土壇場。
「ラスボス倒しに行かないの?ってラスボスの方が向こうからこんかいわれ」
やだー、ラスボス動き鈍いですようー?とは誰も突っ込まないのであった。なぜか。
勇者は「いくら強くても自分からラスボスのところにたどり着けなければ意味がない」のです。無駄に強くても強さが無駄なことはたくさんあるある。
強くなったらその強くなった分周りに人が寄ってきて自動的にもっと強くなるシステムはいまだに開発されない…。強さ検知システムは動員されない。
むしろ下手にちょっと気が強いと寄ってきた人まで弾き飛ばしちゃう感じもあったりして、難しいですねえ。あー、ではそろそろ店に行ってきます。