minga日記

minga、東京ミュージックシーンで活動する女サックス吹きの日記

お坊さんの呪文

2010年08月08日 | 家族の日常
利樹の父の17回忌の法事が行われた。息子遼介が生まれた(その年に同時にトシキの2人の妹たちも出産したので、初孫が3人いっぺんにできた年でもあった)翌年に膵臓がんを発病し、あれよあれよという間に、半年後に亡くなってしまった。まだ65歳という若さだった。親のあとを継いで池袋で酒屋をもり立て、池袋のお祭りなどをしきったり町会長を長年務めたり、人望の厚い責任感の強い人だったが、音楽や映画も大好きで粋で格好よい人だった。

雑司ヶ谷のお寺に続々と親戚が集まって来た。京都大学で酵素の研究をしていたおじさまや出産したばかりで広島の実家に奥様が里帰り中のいとこ、愛知のおばさん・・・利樹の母の兄弟たちもはるばるこの猛暑の中、駆けつけて下さったのだ。

そしてここのご住職はいつもほれぼれする声でお経を読む。きっと歌を歌っても上手なんだろうな・・・なんて聞き惚れていると「なんまんだ~、なんまんだ~」最後の締めにみんなも南無阿弥陀仏とつぶやいた。

「この南無阿弥陀仏という言葉は『ありがとうございます』っていう意味なんですよ。ご先祖に感謝し、この世に生きている幸せを感謝する。彼らがいたからこそ、今ここにあなた方が存在するのだ、という事を忘れずに『今』を精一杯生きてください。ご先祖さまからいただいた大切な命なのです。」

ご住職の講話は解りやすくていつも面白いが、今日も最近の『2児おきざり餓死事件』やら『30年音信不通の親,行方不明事件』など信じられないような事件を例にとり、親がいかに愛情を注いで自分を育ててくれたのかを感謝しなさい、という当たり前のようでいてなかなか深いものだった。

そして利樹の発案で、2人で奉納演奏をさせて頂いた。お葬式の時も2人で「セイリング」を演奏したのだが、今回は京都や大阪、そして広島から駆けつけて下さった親戚の前で利樹の作曲した「Harvest Song』を演奏。ライブハウスとは違う緊張が走った。天国のお父さん、ありがとうございます・・・遠いアルゼンチンでも必死にがんばっている息子の事も見守ってやってください・・・。



昨夜は今日の法事の為に千葉の義妹一家が泊まりにきており、久々にアルゼンチンの息子とskypeをすることになっていた。あちらのお父さんたちも「たまにはSkypeしなさい。」と息子に促してくれるくらいなので、今回は親戚(特に同じ年のAちゃん)とのおしゃべりを心待ちにしていたようだ。

「俺、昨日から楽しみで眠れなかったよ。Aたちが全員夢に出て来たくらい。」

こちらの夜中1時にもかかわらず、親戚全員が起きて来てPCの前に集まってくれたのも相当嬉しかったのだろう。いつも生意気ばかり言ってた遼介がみんなの意見をあまりに素直に受け止め、しかもきちんと会話することに義妹一家はかなり驚いていた。「リョウスケ、変わったね~~~。大人になっちゃって。」

「あ~、俺も法事に出たかったなあ。肉まんが食べられるし。」
「はあ???」
鎌倉霊園によくおばあちゃんと行って、そこの茶屋で肉まんを食べるのが好きだったのだが、いやいや、明日はお墓参りじゃないのよ。
親戚のAちゃんが
「違うよ、明日はお寺でお坊さんが呪文をとなえるやつだよ。」
「呪文って・・・・(汗)。」一同大爆笑。

「17回忌の次は23回忌か。なんでそんな半端な回数にやるの?明日お坊さんに聞いてみてよ。」
「わかった。じゃ、またね。次は大晦日かなあ。mixiも見てるからね。」

日本の文化ってなんだか難しい事が多いね。親がきちんと教えてあげられないのも情けないが(汗)。


それにしても人間はいろいろな壁にぶつかって成長していくんだな~とskypeし終わってからもじわ~っと感動。トシキも「りょうすけ、いい感じだぞ。」このところあまりメールもやりとりしていなかったので、いろんな深い話ができてよかった。

「自分の居場所がない、と感じる時ほど辛い事はないね。」
「本当に憧れている国には留学しないで、短い旅行だけにしたほうがいいよ。」
「食事が本当に辛い・・・日本に、今、そこにいられる幸せを感じた方がいいよ。」etc...

いとこたちに言い放った重い言葉だけど、決してネガティブに考えているのではない。強く明るくいろいろな困難を乗り越えたからこそ出て来た言葉だと思う。「本当に良い経験をさせてもらっているよ。こっちの家族ともとことん話し合いをしたからずいぶん楽になった。パパとママは俺の手をぎゅっと握りしめて話を真剣に聞いてくれたんだ。こんな経験、日本にいたら絶対ないからなあ。」となんだか大人のような我が子の成長ぶりに目頭がちょっと熱くなった・・・・がんばれ!!息子よ、お前は本当にみんなから愛されて幸せものだぞ。


法事って、めったに会えない親戚がこうやって集まり、近況報告をしあいながらお互いにがんばって生きていることを確かめ合う、大切な儀式なのだということも義父から改めて教わった気がした。合掌。