226の朝、ホルスト・ウェーバーの訃報が入った。昨年末より体調不良で調べたところ、肝臓がんが大きくなりすぎていて医者の手の施し様がなかったらしい・・・。私はDUGの中平さんからの留守番電話で知ったのだった。
ホルストと言えば、エンヤレコードの社長。山下洋輔さんを世界に知らしめた凄腕プロデューサーでもある。昨日頂いた洋輔氏の本にも出て来て初めてわかったけれど、もともと中平さんの紹介だったようだ。日本に来ていた彼は洋服のデザイナー。洋輔氏のライブを見て気に入って意気投合したそうな。そのあたりは洋輔さんの本をお読み下さい。
私が初めてドイツのギターリスト/ハンス・ライヒエルに喚ばれてヨーロッパツアーを行う事になったとき、真っ先に相談したのが山下洋輔さん。「さっちゃん、ドイツに行くならぜひホルストに会いなさい。」とその場でささっと英文でホルスト宛の手紙をしたためて下さった。今のようにメールなんてラクチンなものがない時代。
日本でお会いしたのが初めてだったのかドイツでお会いしたのが初めてだったか、今となってはそのあたり、記憶が定かではないのだが、一つだけ鮮明に記憶している事がある。
高瀬アキトリオの打ち上げを新宿のちりんぼうで行い、師匠の土岐英史とホルストを囲んでワイワイ飲んだ。外は雪がちらほら・・・。さあ、帰ろうと私は車に乗ろうとした瞬間、エンジンがかからない・・・汗。
その頃乗っていたのは「スバル360cc」というちっこい軽自動車で、これがよくバッテリーがあがる車だった。「押しがけのさっちゃん」と言われるほど、いつも誰かに助けてもらってやっとこ走る車だった。雪の日、雨の日は特にエンジンがかかりにくく、坂道を利用して自分でドアを押しながら転がり出すと飛び乗って・・・なんて一人坂道発進という芸当までできるくらいになっていた。
その時は師匠を送る、というので師匠、ホルストが別れの挨拶をしつつ,,,,あ、またバッテリーあがってる、と言うとしぶしぶ、体の大きなホルストが後ろから押してくれて、なんとかエンジンがかかったのだった。ホルスト、ありがと~!そんな懐かしい思い出。
西ドイツツアーの際「Ost West Jazz Festival」という街ぐるみのお祭りがあり、世界中のミュージシャンたちが集まるイベントに喚んで頂いた。その1年前にバンド偵察にやってきたホルストとオーガナイザーのドイツ人2人。とにかく大きな体で、一緒にぺーぱーむーんへ連れて行ったら、店にある全てのビールを空にしてしまった、という逸話も残している。どんだけ飲むねん!!
「Ost West Jazz Festival」は4年に1度の大きなJazz祭で、この時ホテルにはマクラフリン、ナナバスコンセロス,,,,etc....蒼々たるメンバーが介し、興奮したのを覚えている。私はその中でもニュールンベルグのマイスタージンガーホールのメイン会場で演奏する機会をいただいた。マイスタージンガーホールの中には会場が3つあって、同時に3カ所でコンサートが行われる。会場にいるお客様はどこに行ってもいいので、1,2曲聴いて面白くなければ、他の会場にささっと移動する事ができる。ミュージシャンにとってはこわ~~~いシステム。
幸い私たちStir Up!には1000人ほどのお客様が超満員。となりの小ホールで行われていた「ナナ&ティリロック」のパーカッションDUOのほうに行かずに留まって聴いてくださり、ホルストが日本から私が持って来たCDを100枚会場で販売してくれていたのだが、演奏直後に100枚はあっという間に完売。これによってホルストは「お前のCDをエンヤから出すぞ!」と約束してくれたのだった。
翌年、約束通り、山下さんと私の226のライブ音源をCDにしてエンヤから世界発売となった。このときジャケットは「フジヤマとゲイシャはどうか?」と冗談なのか本気なのかわからないが言われて慌ててお断りしたのを思い出す。とりあえず私の顔写真でいこう、とホルストが言ってくれたのでほっとした。裏面は中平さんがOstWestの時、楽屋で撮った写真も入っている。
このCD、私の手元にいつのまにかなくなっていたので、何年か前に中古をネットで見つけて買い戻した。すると、こともあろうに私のサインが・・・・汗。おいおい、サイン入りを売り飛ばすなよ~~~(怒)!!
このあともミュンヘンでホルスト主催のコンサートがあって、用意してくれた宿がタコ部屋状態。我がバンドメンバーのYとKが相部屋になって・・・険悪なムードになりそうになった事があった。しかもCDを持ってくるのを忘れて、ドイツ人に「CD欲しいけどないの?」と言われホルストを見ると・・・横を向いてしらんぷり。お前、それでもCD会社の社長なのか~~~!と突っ込んだり。(もう当時はエンヤレコードを娘に任せてしまい、自分は大好きな釣りをするだけの好々爺のようになっていた)
一度だけ、ホルストのお宅に泊まらせてもらった事がある。ツアーも終わって、私たちはNYへ移動する、その前に3日オフがあったのでイタリア、ベニスに遊びに行く計画の途中で立ち寄らせていただいた。上の写真はそのときのもの。ホルストも私も若かった・・・。
ホルストは夜中にもかかわらず私たちを迎え入れ、白米を炊いてくれ、大根サラダを作ってくれた。「中平さんから教えてもらったんだよ。」って・・・。ベッドも畳でできている日本風のベッドに私たちを寝かせてくれたっけ。本当に優しい人だった・・・。
天国からどうか見守っていてくださいね・・・合掌。
ホルストと言えば、エンヤレコードの社長。山下洋輔さんを世界に知らしめた凄腕プロデューサーでもある。昨日頂いた洋輔氏の本にも出て来て初めてわかったけれど、もともと中平さんの紹介だったようだ。日本に来ていた彼は洋服のデザイナー。洋輔氏のライブを見て気に入って意気投合したそうな。そのあたりは洋輔さんの本をお読み下さい。
私が初めてドイツのギターリスト/ハンス・ライヒエルに喚ばれてヨーロッパツアーを行う事になったとき、真っ先に相談したのが山下洋輔さん。「さっちゃん、ドイツに行くならぜひホルストに会いなさい。」とその場でささっと英文でホルスト宛の手紙をしたためて下さった。今のようにメールなんてラクチンなものがない時代。
日本でお会いしたのが初めてだったのかドイツでお会いしたのが初めてだったか、今となってはそのあたり、記憶が定かではないのだが、一つだけ鮮明に記憶している事がある。
高瀬アキトリオの打ち上げを新宿のちりんぼうで行い、師匠の土岐英史とホルストを囲んでワイワイ飲んだ。外は雪がちらほら・・・。さあ、帰ろうと私は車に乗ろうとした瞬間、エンジンがかからない・・・汗。
その頃乗っていたのは「スバル360cc」というちっこい軽自動車で、これがよくバッテリーがあがる車だった。「押しがけのさっちゃん」と言われるほど、いつも誰かに助けてもらってやっとこ走る車だった。雪の日、雨の日は特にエンジンがかかりにくく、坂道を利用して自分でドアを押しながら転がり出すと飛び乗って・・・なんて一人坂道発進という芸当までできるくらいになっていた。
その時は師匠を送る、というので師匠、ホルストが別れの挨拶をしつつ,,,,あ、またバッテリーあがってる、と言うとしぶしぶ、体の大きなホルストが後ろから押してくれて、なんとかエンジンがかかったのだった。ホルスト、ありがと~!そんな懐かしい思い出。
西ドイツツアーの際「Ost West Jazz Festival」という街ぐるみのお祭りがあり、世界中のミュージシャンたちが集まるイベントに喚んで頂いた。その1年前にバンド偵察にやってきたホルストとオーガナイザーのドイツ人2人。とにかく大きな体で、一緒にぺーぱーむーんへ連れて行ったら、店にある全てのビールを空にしてしまった、という逸話も残している。どんだけ飲むねん!!
「Ost West Jazz Festival」は4年に1度の大きなJazz祭で、この時ホテルにはマクラフリン、ナナバスコンセロス,,,,etc....蒼々たるメンバーが介し、興奮したのを覚えている。私はその中でもニュールンベルグのマイスタージンガーホールのメイン会場で演奏する機会をいただいた。マイスタージンガーホールの中には会場が3つあって、同時に3カ所でコンサートが行われる。会場にいるお客様はどこに行ってもいいので、1,2曲聴いて面白くなければ、他の会場にささっと移動する事ができる。ミュージシャンにとってはこわ~~~いシステム。
幸い私たちStir Up!には1000人ほどのお客様が超満員。となりの小ホールで行われていた「ナナ&ティリロック」のパーカッションDUOのほうに行かずに留まって聴いてくださり、ホルストが日本から私が持って来たCDを100枚会場で販売してくれていたのだが、演奏直後に100枚はあっという間に完売。これによってホルストは「お前のCDをエンヤから出すぞ!」と約束してくれたのだった。
翌年、約束通り、山下さんと私の226のライブ音源をCDにしてエンヤから世界発売となった。このときジャケットは「フジヤマとゲイシャはどうか?」と冗談なのか本気なのかわからないが言われて慌ててお断りしたのを思い出す。とりあえず私の顔写真でいこう、とホルストが言ってくれたのでほっとした。裏面は中平さんがOstWestの時、楽屋で撮った写真も入っている。
このCD、私の手元にいつのまにかなくなっていたので、何年か前に中古をネットで見つけて買い戻した。すると、こともあろうに私のサインが・・・・汗。おいおい、サイン入りを売り飛ばすなよ~~~(怒)!!
このあともミュンヘンでホルスト主催のコンサートがあって、用意してくれた宿がタコ部屋状態。我がバンドメンバーのYとKが相部屋になって・・・険悪なムードになりそうになった事があった。しかもCDを持ってくるのを忘れて、ドイツ人に「CD欲しいけどないの?」と言われホルストを見ると・・・横を向いてしらんぷり。お前、それでもCD会社の社長なのか~~~!と突っ込んだり。(もう当時はエンヤレコードを娘に任せてしまい、自分は大好きな釣りをするだけの好々爺のようになっていた)
一度だけ、ホルストのお宅に泊まらせてもらった事がある。ツアーも終わって、私たちはNYへ移動する、その前に3日オフがあったのでイタリア、ベニスに遊びに行く計画の途中で立ち寄らせていただいた。上の写真はそのときのもの。ホルストも私も若かった・・・。
ホルストは夜中にもかかわらず私たちを迎え入れ、白米を炊いてくれ、大根サラダを作ってくれた。「中平さんから教えてもらったんだよ。」って・・・。ベッドも畳でできている日本風のベッドに私たちを寝かせてくれたっけ。本当に優しい人だった・・・。
天国からどうか見守っていてくださいね・・・合掌。