終日良く晴れて、乾いた風のここちよい極上の土曜日。
まさに、初夏の爽やかさ・・・。
来週から、雨期にはいりそうな天気予報。
・・・と言う訳で、引っ越し作業は、お休み(・・・いつも休みですけれど)。
風がきもいいので、居室で、うとうと。
雑木林に風が抜けて、サワサワとよい音を立てて。
こんな音も、転居先では、もう聞けなくなるでしょうかね(一応、街中・・・市街地なので)。
今日は、あまりモノゴトを考えることもせず・・・っていうか、相変らず、どうでもいいことは、考えていて、いつもの過剰な心配や不安、恐れを通り越した恐怖、大した音でもないのに、何故か、ビクついてしまうような過剰反応・・・なんか、メンタル病んでますかね?
いつもいつも、この幻の恐怖感に苛まれて、もう長いコト。
自我との葛藤とでもいうのでしょうか。
言わせておけば、要らぬお世話の恐怖感を煽る私のエゴたち。
こうなったら、どうしよう・・・(まだ起こっていないコトに対する心配がエスカレートした恐怖)。
どうせ、うまくいかない・・・(過去の経験則から導き出される不可能)。
病気になって苦しむ・・・・・(母由来のこれも未来に対する病気に特した特化した不安と恐怖)。
これらは、たぶん、私という個体が消滅するまで、耳元で、ささやき続けるだろうなぁ・・・。
もう少し、大人しくしてくれたらよいのに・・・と思う。
時折、大暴走もする。
居ても立っても居られない不安(コレは、生前の母が、外出してなかなか戻らぬときに、ああ、もう母は、帰ってこない!と、アタマの中で、叫びつづけ、病院だ、葬儀だ・・・とあらぬ心配がエスカレートしてしまうこともよくあったけれど、母が亡くなってからは、出て来なくなって、かわりに、自分自身が、外出先で倒れたらどうしよう・・・死んだあとのことはどうしよう・・・と夜中に居ても経っても居られなくなったりする)。
これ名付けて、どうしょうちゃん。
たぶん、コレが一番強力で、私のアタマの中は、常にどうしようちゃんに支配されている。
・・・になったら、どうしよう。
・・・そうなってしまったら、どうしよう。
そうなってしまったら、もうどうしようもない・・・のに。
どうしようちゃんの悪いところは、まだ起こってもいない未来を想定して、あらゆる不安を投げつけてくる・・・ああ、やはりコレは、母なんだな。
母と同じ。
母は・・・。
自分に起きた『どうしよう』ちゃんを、全部、私に丸投げしてきた。
そして、安心して、忘れる。
でも、丸投げされた『どうしよう』ちゃんは、私の中で、成長する。
些細な問題。
起きていない問題。
私は、『どうしよう』ちゃんに、侵食されてしまった。
ほんとに・・・コレ。
どうしましょうかね・・・。
そして、『どうしよう』ちゃんは、その存在を忘れさせまいと、手を変え、品を変え、どうしようを連発してくるんだよね。