気づきの日々

毎日、何気ない言葉や思いつきに、ふと気づかされる時があります。
そんな日々のことを書いてみることにしました。

有限と無限

2021-12-16 11:30:02 | 日記
昨日の記事を書いている時に昔見た夢の内容が気になった。
なんとなく関連性があるみたいだけど、どういうことかな?と改めて読んだら大きな視点みたいなものが見えてきた。夢って「答えは一つではなくていろんな見方で捉え方も変わってくるよ」みたいなものだと思ってます。今の私の視点で見たらこういう風に見えました的な(笑)

夢 治療  2011.5.2.(月) 

どこかの家の和室で、たくさんの人が集まって寝ていた。
その家のご主人らしき老夫婦の旦那さんが、片方の手で円を描くようにしてサークルに手を置いていると、不思議なエネルギーが集まってきた。
そのエネルギーは、旦那さんを癒しているような感じだった。
後方からもエネルギー集団が来ているような感じがして、波のように前方の老夫婦の所へ集まって一緒に癒していた。その男性が涙を流しながらお礼を言って、エネルギー集団も後ろへと引き上げ始めた。

そのエネルギー集団は寝ている私の所で一旦止まり、何やら私の体を見てくれているようだった。そしてエネルギー帯に引っ張られて、私の身体が後ろの隣の部屋へと運ばれた。
そして私の手術みたいなものが始められ、エネルギー帯が体の中を動いているような感じがした。次に私の胸辺りで悪い箇所が中から出てきて切り取られた。
レバーのような黒くなった部分を取り出されていたけど、肺か心臓辺りだった気がする。とにかく私の中の悪い部分を切り取って持ち去ってくれていた。
私は手を合わせて感謝で「ありがとうございます」とお礼を言っていた。

そのエネルギー帯が後ろに引き上げようとしたところ、前方に侍みたいな集団が集まって来て、「待ってくれ、こちらも見てほしい。」と訴えていた。
侍みたいな集団とは、侍の絵を描いているCMを見ていたからかもしれない。
あのCMの絵の中の侍みたいな感じの人達だった。
私はどうするのかな?と後ろを、振り向いた。
そのエネルギー帯の集まりは、人の形に変わっていて「自分たちも手が足りないので、申し訳ないけど出来ない」みたいな事を言っていた。


昨日の記事で夢と似ていると思ったのは「感染者数が増えすぎて医者に診てもらえない状況」です。
「夢の中の老夫婦の旦那さんや私」と「侍みたいな集団」の違いは、自分で治そうとしているか治してくれる相手に頼っているかの違いだと思えました。
最初に老夫婦の旦那さんは自分の手を当てて病相部分を自分で癒していたのです。
それに同調するようにエネルギー体の集団が集まって来て癒しに加わりました。
この場合のエネルギー体は無限です。
私の場合は、心の病相を癒してくれていたと感じました。
この頃の私は高次への依存が強かったので自分を取り戻す為の緊急手術みたいなものだったと思います。依存はあっても力に対しての違和感は前からずっとあって、自然治癒力もずっと信じていたので、そういう波長に同調したエネルギー体だと思いました。
侍みたいな集団は「医師」みたいな立場なのかな。
助けたい人がいるけど数が足りなくて助けられないので、こっちも助けて欲しいと訴えていた。
するとエネルギー体だったものが人の形に変わって「こっちも手が足りないから出来ない」と言ったんだ。
この場合は有限なんだよね。
無限は循環して全然減らないし足りてる状態だけど、有限は限りがある。
人は意識の持ち方次第で有限にも無限にもリンク出来るのだと思う。
だから自分で治そうと意識するだけで、無限のエネルギーに同調できるのだと思います。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする