「力」と「愛」の両極の世界観。
その対極を以前テレビ観戦で体感したことがあります。
夏の東京オリンピックでの卓球男子個人戦、日本対韓国の試合でした。
韓国選手はどの競技でもそうですが、対日本となると物凄い力を発揮してきます。
日本だけには負ける訳にはいかないというような気迫を感じます。
なのでこちらも「日本頑張れ!!」と声をあげて応援していました。
が、しかしです。
何故がそういう時は相手に点がいくのです。
そのうちなんだか勝ち負けがどうでもよくなってきました。
そうだな、母親だったらどっちの子供が勝つかなんてどうでもいい事かな。
「どっちも今まで頑張ったのだから自分の力を出し切って悔いのないようにね」と思うとあれ不思議。日本が点を取りました。
うん?偶然??
そのうち日本に勝機が見えて、また「日本頑張れ!!」と応援に熱が入る。
するとやはり今度も相手に点がいきます。
あれれ??? やっぱり? そうなの??
またまた母親の気持ちになって見始めたら、日本が勝ちました。
力で対抗したら、そりゃ力に対して強い感情を持っている方が勝つでしょうね。
日本だけには負けたくないという感情の力の団結で更に力が大きくなる相手。
対してその力が弱い日本では勝てるわけがありません。
だから勝敗で応援すると相手の大きな力の方に、そのエネルギーが行くのかな?
引き寄せの法則ですね。
でも母親みたいな愛で一歩引いて応援すると、相手の力は素通りするのです。
愛の力、恐るべし(笑)
大きな戦いの力、戦争をこの世から無くしたいなと思ったら、自分の中に愛情をたくさん育てていけばいいのかなと思いました。
以前、夢でも似たような事を見てました。
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2012. 5.5.(土) こどもの日
東京の地下鉄で兄と待ち合わせていたら、近くで通り魔みたいな事件が起きていた。
ムチで人の目を傷つけて見えなくしている場面が見えて、怖くて遠くへ逃げようとしていた。
私は待ち合わせしている母がまだ来ないので探してくると言って、兄と別れた。
しばらくして母と落ち合うが母はとても薄着だった。
母が寒そうにしていたので、私は着ていた綿入れみたいな防寒着を母に渡した。
赤い電車に乗って埼玉方面?とにかく遠くへ向かっていた。
あまり遠くへ行っても兄と会うのに時間がかかると思って、どこかの駅で降りていた。(名前は忘れた)
兄に電話をして今いる場所を言ったら、とても驚いていた。
兄は別れた駅から2~3個手前の駅に居るみたいだった。
駅を降りたら自動的に団体観光になっていて、どこか山の上の方に向かって案内されていた。
今でも寒いのにこれ以上寒くなると風邪をひくと思ったので、展望コースを止めて駅に戻っていた。
兄に会う為にまた戻ろうと「押上」行きの電車に乗ろうとするが、どの電車も乗る手前でドアが閉まり発車した後で全然乗れなかった。
時間がかかって兄を待たせている事が気になったので電話を掛けるが、携帯が昔使っていたPHSに変わっていて画面が使えない状態でどうやっても繋がらなかった。
必死になって電車に乗り込んでいたら、なんとか乗れた。
( 二度寝の続きの夢 )
兄と上野駅で会えた。
もう暗くなったので明日上野を一緒に観光しようということになり、兄と別れた。
私も母と帰ろうかと思ったが上野動物園の前に来ていて、母が中に入りたそうにしていた。
母はいつのまにか子供(ヨチヨチ歩きの赤ちゃん)に変わっていた。
時計を見たら夜の6時過ぎでもう動物園も閉まるのでは?と営業時間を見たら夜遅くまでやっていた。
入場料の300円を渡して行けるとこだけ見て残りは明日見ようと思っていた。
赤ちゃんがおんぶをねだるので、おんぶして歩いていた。
園内は大きく二つに分かれていて、いつのまにかペンギン?鳥?がいる所に来ていた。赤ちゃんは今度はペンギンから雛鳥に変わっていて、たくさんの雛鳥の中に紛れていた。他の身体が大きい雛鳥に頭を食べられそうになっている所が見えたが、その後行方不明になった。
どうやら雛鳥同士の戦いで負けたら記憶を失くすみたいで、赤ちゃんも記憶を失くしたらしい。私は友人の名前を叫びながら、赤ちゃんの雛鳥を捜していた。
壊れたメモリーカードを拾った。
その壊れたカードを修繕すると赤ちゃんの記憶が戻るらしい。
私は誰かに教えて貰いながら、そのメモリカードを修復していた。
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怖い事で目を見えなくしていたんだね。
その恐怖で、ずっと遠くへと逃げていった私。
その場所が寒くて団体で行動する場所だった。
そこで風邪を引くと体の事を心配して、目的を思い出したんだ。
でもそこは兄のいる場所とは違う環境で、通信手段も古くて周波数が合わない場所。
そこから戻るのにとても大変だったけど、強い意思でなんとか戻れた。
そして後半の夢。
雛鳥同士の戦いで負けたら記憶を失くす。
力で対抗してもダメなんだ。大きな圧力には敵わない。
その壊れたカードを修繕すると赤ちゃんの記憶が戻るらしい。
私は誰かに教えて貰いながら、そのメモリカードを修復していた。
それって、愛情とか自分を信じる力とか、そういうものを育てる事じゃないのかな?
それで視野が広がって、ものの見方も変わり、解る事があるんじゃないのかな。
これまで正しいと信じていた事がそうではなかったとか、常識、道徳観、善悪とかのルールの囲いの枠を飛び越えるような反転。
自分の知りたい真実は外側ではなくて自分の中にある。
そのツールはすでに持っているけど、記憶を無くして使い方を忘れているだけ。
その記憶は自然と共生することで、受け取れる。
そんなふうに思ってます。