自分の過去記事を読んでて、別のことで理解出来た事があった。
人生も花や果物の成長と過程が似ているなって。
種まきして土から栄養を貰って土の中で静かに蓄えて、やがて芽を出す。
太陽の光と風、水を貰って、やがて花が咲いて実がなる。
そして収穫の時を迎える。
実った花や果物は頭を垂れて土に返り、同じ茎の別の花や果物を育てる。
一本の茎でも、ちゃんと循環して気が流れている。
一本の茎も、人の人生も似ているのではないかな。
ある夢を実現しようと心にタネを植える。
それを実現しようとするが、なかなかうまくいかない。
周りをみて、なんで自分だけ?と被害妄想にもなる。
でも自分の中にいろんな問題があって、その問題を静かに解いていくうちに光が見えてくる。
この状態が芽が出た状態で、その芽を大事に大きく育てていくとやがて花開く。
一つの夢が叶って実を落とし、次の夢をまた育てる。
人生も、ある意味「循環」しているのだと思います。
成長して老いていくだけではないと思える。
ここ数ヶ月、ずっと気になっていることがありました。
くじで当たる人と当たらない人の差って何なのだろうか?
当たる人は何度も当たるし、当たらない人は当たらない。
枠が大きくなっても、やっぱりその現象は起きるわけで。
みな平等にというのはそもそも無理な話ですよね。
その差って何なのだろうなと引っかかってました。
で、茎の話に戻る訳です。
芽が出る、芽が出ないは、人それぞれ違っていて、成長過程にあるから、まだ収穫の時期ではないということかなと理解できました。
だからくじに当たらない人は、今は心を育てている時期なのかもしれないなと。
今の私は自由に行きたい場所へ行く事が可能です。
でも20年間、ずっとお金もなく時間もないという足枷がありました。
でもその足枷も自分が作っていたものだったと、今なら解りますが。。。
その20年間は、ずっと土の中で栄養分を蓄えていた時期でまだ芽が出ていないのです。
でも例え見えなくても、しっかりと土の中で根を張っていました。
ちょっとやそっとではグラつかない、自分の中にある根っこです。
そしてやがて光が見えて、芽を出す事ができました。
あとはちゃんと育てて花を咲かせて実を実らせる。
枝葉で別れた一つの芽が花開いて実ったら、その叶った夢はやがて土へ返って別の夢の滋養となる。
そうやって茎はしっかりと大きく育っていく。
ちゃんと実ったら、その実を収穫して感謝と共に美味しく頂く。
誰が何と言おうと、自分の栄養なのだから喜びと感謝で有り難く頂く。
自分でタネを植えて長い間育てて実らせた夢なのだからね。
やがて収穫した実から、土にタネが落ちて別の隣の茎の滋養となる。
実らせる事で、周りにも影響していくんだね。
だからクジが外れても「次は私の番だ」と次へ繋げる心でしっかり自分の問題と向き合ったら、いつかは芽は出るんだなと実感できた。
外れるのは「まだ準備が出来てなくて、静かに育てている時期」なのかも。
だから人それぞれ、成長の時期は違うわけで、当落時期も違うのだと思う。
そういう意味では皆平等なのかもしれないね。
人と比べるのではなくて、自分を軸に置いて考えてみると平等なんだよ。
皆、どんな人も自分の人生を何とかしようと頑張っているのだから。