運転中での友人との何気ない会話で、面白いなと思えるような発見があった。
「こんな道を運転するのは怖いな」と感じる苦手な箇所が全然違っていた。
私の場合は「狭い道」と「夜の運転」が苦手だった。
どちらも経験がなくて運転に余裕がなくなるから。
それを話したら友人は「全然怖くない(笑)」と言った。
友人は通勤で毎日狭い道を通るし、帰りは夜の運転になるから慣れっこだった。
狭い道ですれ違うとき対向車への対応が解らなくて真っ白になると私が言うと、「向こうが先に対応して停まってくれるから大丈夫だよ」と彼女の経験を話した。
「みんな狭い道は怖いと言うけど私は怖いと感じたことがない、相手を信用しているから」と言うのが彼女の持論だった。
成程、相手が先に何とかしてくれるという「相手を信じる現実」を彼女は創り出しているから、そんな現実が彼女にやって来るんだろなと思った。
そう言うものかな?と試しに友人を送りに狭い道を通ってみた。
その帰り道、初心者マークの大きな車を運転した女性やミニバスと出会ってしまって焦った!
私はどうやら相手を信用していないらしい(苦笑)
というか私は自分で何とか切り抜ける方法を探す現実を創り出していると思った。
そして今は狭い道への苦手意識が和らいでいる。怖いという感覚がなくなってきた。
どうやって怖さを克服したのだろう?
振り返るとある場面が浮かんだ。
「買ったドローンを飛ばしてみたい」と言う想いで、いそいそと通った山道。
その経験が生きていた。
「やりたい!」「行きたい!」という想いの方が、怖さよりも大きかった。
そうやって繰り返しているうちに、慣れて周りを見れる余裕も出来た。
経験すること、楽しむことで怖さを克服できる事を学んだ。
もう一つ、得体の知れない怖さが過去にあった。
私は昔から「自分の家」「自分の部屋」と言うものに強い憧れがあった。
間取りを見て色々と想像しては、いつか素敵な部屋に住みたいとずっと思っていた。
東京に出て来てそれが叶うようになり、小さな相部屋から始まり段々と自分の想い描く部屋へと住めるようになった。
10年近く経った頃に高層マンション風の新築公団が当選し、その部屋に住み始めた頃の事だった。
今自分の願いが叶って想い描くような部屋に住めて幸せだけど、この幸せが急に地震とかで建物が倒壊してなくなたらどうしよう・・・
そんな得体の知れない怖さを感じていたことを覚えている。
幸いそんな不安は起こらずに10年近くその部屋に住むことが出来た。
いつしか素敵だった部屋は、ゴチャゴチャした空間へと変化していった。
今ならこの怖さの正体が解る。
魂の過去の経験で「そういう事」が起きて、そこから感情が止まったままだった。
その怖さが先にあって、そこから魂が成長出来ずにいた。
その怖さを克服するには「経験」と「楽しさ」が必要で、その為の「落ちる経験」だとしたら・・・
その為にこの地球生活に持って来た宿命だとしたら?
落ちることは必ずしも不幸ではないのかも知れない。
そこからどうやて生きるか、それこそがその人にとっての宝物なのかも知れない。
色々工夫して経験して見つけ出した喜びは、無くす前よりも遥かに大きい。
それは何が起きても自分で何とかできるという「自信」が創り出したものだから揺るがない。
逆に無くさない(何も起きない)のは幸せだと思う事が違うのかも。
変化がないと言うのは、成長もないし感情が麻痺してくる。
素晴らしい部屋も見慣れて当たり前になると、やがて汚れも気づかなくなる。
何となくこれまでの事が理解できた。
そしてその時の部屋と似たような現実が、今私の目の前にある😅
これを繰り返してはいけないな。。。
今から出来る事がいくつか見えているから。
私が楽しめる方向、変化を生み出す方向、笑顔になる方向へと気持ちを向けようと思う。