最近、自分の中での意識革命が日増しに増えてます。
そういう変化の光の中にいるんだなと実感です。
光に当たって、見えてなかった自分の滞り部分が見えてくる。
そんな感じ😅
今朝服を着替えている時に、無意識で前後に履いてました。
これまで何度もやってましたが、今朝はいつもとは違った見方ができたのです。
むむ!
こ、これは!!
変化を選択しろと言う事ですか!?
前後に履いてたと気付いたのは「違和感」でした。
なんかいつもとは違う感覚がしてイヤだな。。。
その違和感の正体は「いつも馴染んで気持ちがいい感覚」から離れたこと。
それが嫌だと感じた。
また「変わらないもの」へと無意識にフォーカスしていた自分に気づきました。
だから何度も「変化の方を見てよ!」と気付いて欲しくて、自分の心が無意識に前後を間違えていたのですね。
この現象を、やっと理解しました😅
今までは土の時代だったから「変わらないもの、馴染んだもの」が自分を心地よくさせて守っていたのです。
安定、安心の世界にいる事で、外の不安から守っていた。
でも風の時代へと変わり、その領域から新しい領域へと動く事が求められます。
風の時代は「風のように動いて、変化させる」時代。
毎朝、新しい風を日常に入れて、籠った気の流れを変える。
それを今私に求められているように感じました。
いつも同じ場所を求めてるというこれまでの無意識の感覚、行動が浮き彫りになってる。
そこに気付いたら、別に前後に着ても良くない?とか、常識に囚われなくなる。
面白いから逆に着てみようとか、そんなファッションも出てきてますよね(笑)
どう着ようと自由なんだなと言う発想を、今朝日常に新しく取り入れました。
昨日も別の気づきがありました。
花屋で花を買ったのですが、花の種類を私が選んで、そのグループの中から店員さんが一本抜いてという感じで、色々と選んでました。
家に帰って花を生けてたら、1番最初に選んだ花の茎が少し折れてグタッとしていたのです。
それを見て、最初に感じた事は「古いものから売りたいという店側の思い」でした。
その意識は私の中でも確かにあったのです。
次から次へと新しいものが気になって買ってしまうけど、古いものもまだ消化できなくて家にあり、いざ使う時は古いものから消化しているという現実が確かに私にもありました。
これも自分の意識の現実化でした。
スーパーの陳列棚でも1番前に古い日付のものを並べますよね。
古い方を早く減らしたいと言う店側の思い。
でもそれは客に向けての思いではないですよね。
両者が幸せになる方法ってなんだろう?と考えました。
客によってもいろんな考え方があります。
身体の為にも出来るだけ「新鮮なもの」を買いたい人とか、とにかく「安いもの」を買いたい人とか、その人が出している周波数の次元で違ってきます。
だからまずは日付で値段を変えて、どういう人が多いのかを知って店の方針を決めるとか、それなら店と客の両方が「自分の望む方向」を選択出来る。
そう言うアイデアもありかなと思いました。
でもそのうち、自分で細部まで拘って商品を選んでいるのは「選別意識」なのかな?とも思えてきたのです。
花屋のように、自分の欲しい種類を選んで、その中から店が用意する方法は、自分の今の状況を知るチャンスでもあるのです。
こんなのが現実で用意されましたよ、という「今の自分の心の状態を映し出す鏡」。
そう思ったら、細部まで拘って自分でコントロールしようとする思考を手放して、自分の欲しい種類の意思は伝えるけど、あとは自然にお任せする方が流れに乗っているんだなと理解しました。
願望のお願いをして、あとは現実に来るまでをお任せする引き寄せと同じです。
そこに載せるのは「感謝」だけでいいんですね。
そうすると感謝できる現実が返ってくる。
これまで私が「気づかない選別意識」で品物を選んでいたから、花屋での「選別された」という意識の現実が来た。
でも花を活けている時に、周りに支えて貰うようにして活けたら別の視点が見えました。
茎が変形して居ても、周りに支えてもらったら生きるんだなと、周りの支えに対しての感謝が生まれたのです。
共に生きるという共存社会です。
この視点を感じられたことが、私には大きかった。
1人で全部をコントロールしてやらなくても「支えられている共存意識」を感謝で感じる事で、自然と愛の波動へと向かえてる。
意識下のシフトチェンジです。
感謝は古いものを新しいものへと変容させる力がある。
だから「ありがとう」という意識で買って、「ありがとう」という意識で食べたら、例えどんなものを選んでいたとしても、大丈夫なんだなと思いました。
そういえば、昨日は「勤労感謝の日」でした。
感謝していたら、自然と愛の波動へとシフトできるという事を学んだ1日でした。
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