今日は孫の小学校で、児童会が行う「6年生を送る会」がありました。出かけていくのはちょっと気が引けたのですが、両親が出られないのだから、せめて私が行くべきかと思い直して行って来ました。卒業式の雰囲気とはまた違って、在校生が全員揃って6年生にお別れをするこのやり方も、興味深いなと思いながら見させてもらいました。
5年生の呼びかけで、壇上から6年生が一人ひとり降りてくる演出もシャレていました。ただ、6年生は120人ほどいますからちょっと時間がかかりました。この後、6年生が入学してからの6年間がスライドで上映されたのですが、多分6年生の人たちは面白かったのかも知れませんが、知らない人のアルバムを見ていても面白くないように、他の学年の子どもたちには少し長すぎたようにも思いました。6年生の前児童会長は女の子でしたが、とてもしっかりした挨拶でした。また5年生の現児童会長の女の子の挨拶も立派でした。小学校ではやはり女の子の方がしっかりしていることを見せつけられました。
この後は、6年生と在校生がそれぞれに歌を披露しました。孫娘はこの時のピアノ演奏のオーデションに挑戦したのですが、残念ながら合格できませんでした。孫娘は、両親と私たち祖父母の期待を一身に受けて、それはそれはよく練習していました。オーデションを受けた子は3人でしたが、演奏する曲は2曲ですから、このうちの一人が涙を流さなくてはなりません。この前にあった音楽集会でのピアノ伴奏もオーデションとなり、孫娘は落選していますから、今回はなんとしても合格したいという思いで、必死に練習したのだと思います。それは多分他の二人も同じです。合格する人がいれば必ず不合格になる人がいます。孫娘には良い勉強になったと私は思っています。
結果は仕方ありません。何かを決めなくてはならない時、外れる人が出たとしてもそれは選んだ人の責任でもありませんし、選ばれなかった人が全て悪いわけではありません。孫娘のクラスには前期と後期の児童会長がいましたから、ピアノの伴奏者までこのクラスから出すことには無理があったかもしれません。たとえどんな理由があろうとも、出された結果には従うほかないと思います。そんなことよりも、どんな結果が出ようと、自分は精一杯努力したか否かです。自分が一生懸命に努力をして、それでも願いがかなわなかったなら、自分の力が足りなかったということです。人生は願うようには行かないことを知ったなら、それはそれで良かったのではないかと思います。
まだまだ、長い人生です。孫やその友だちの皆さんが自分の思う道を一生懸命で生きていって欲しいと思います。校長が「立派な人になってください」と話されましたが、立派な人というのは社会的な地位のある人になれということではありません。自分の人生を一生懸命で生きる人のことだと思います。私はあれから50年も過ぎてしまったのかと考えさせられた今日でした。
5年生の呼びかけで、壇上から6年生が一人ひとり降りてくる演出もシャレていました。ただ、6年生は120人ほどいますからちょっと時間がかかりました。この後、6年生が入学してからの6年間がスライドで上映されたのですが、多分6年生の人たちは面白かったのかも知れませんが、知らない人のアルバムを見ていても面白くないように、他の学年の子どもたちには少し長すぎたようにも思いました。6年生の前児童会長は女の子でしたが、とてもしっかりした挨拶でした。また5年生の現児童会長の女の子の挨拶も立派でした。小学校ではやはり女の子の方がしっかりしていることを見せつけられました。
この後は、6年生と在校生がそれぞれに歌を披露しました。孫娘はこの時のピアノ演奏のオーデションに挑戦したのですが、残念ながら合格できませんでした。孫娘は、両親と私たち祖父母の期待を一身に受けて、それはそれはよく練習していました。オーデションを受けた子は3人でしたが、演奏する曲は2曲ですから、このうちの一人が涙を流さなくてはなりません。この前にあった音楽集会でのピアノ伴奏もオーデションとなり、孫娘は落選していますから、今回はなんとしても合格したいという思いで、必死に練習したのだと思います。それは多分他の二人も同じです。合格する人がいれば必ず不合格になる人がいます。孫娘には良い勉強になったと私は思っています。
結果は仕方ありません。何かを決めなくてはならない時、外れる人が出たとしてもそれは選んだ人の責任でもありませんし、選ばれなかった人が全て悪いわけではありません。孫娘のクラスには前期と後期の児童会長がいましたから、ピアノの伴奏者までこのクラスから出すことには無理があったかもしれません。たとえどんな理由があろうとも、出された結果には従うほかないと思います。そんなことよりも、どんな結果が出ようと、自分は精一杯努力したか否かです。自分が一生懸命に努力をして、それでも願いがかなわなかったなら、自分の力が足りなかったということです。人生は願うようには行かないことを知ったなら、それはそれで良かったのではないかと思います。
まだまだ、長い人生です。孫やその友だちの皆さんが自分の思う道を一生懸命で生きていって欲しいと思います。校長が「立派な人になってください」と話されましたが、立派な人というのは社会的な地位のある人になれということではありません。自分の人生を一生懸命で生きる人のことだと思います。私はあれから50年も過ぎてしまったのかと考えさせられた今日でした。